プリティーポリー ("Pretty Polly") はイギリスの競走馬。おもな勝ち鞍はイギリス牝馬クラシック三冠。牡馬を相手に15連勝した。「"Peerless Polly"(天下無双のポリー)」の異名を持つ。プリティーポリーは1901年にアイルランドのエアフィールド・ロッジ牧場で生まれた。生まれた直後から美しい栗毛の馬体をしており、生産者のユースタス・ローダは直ちに「麗しいポリー ("Pretty Polly") 」と名付けた。プリティーポリーは牝馬とは思えないほどたくましい馬体の持ち主で、デビュー前からローダが生産馬を集めて行った模擬レースで優れたパフォーマンスを見せた。ローダはプリティーポリーの能力を高く評価し、デビュー前に1000ギニーとオークス、さらにセントレジャーステークスの出走登録を行った。プリティーポリーは1903年6月にデビューし、のちにダービーステークスで2着になったジョンオーガウントに10馬身の着差をつける勝利を収めた。このあとチェヴァリーパークステークス、ミドルパークプレート(のちの二冠馬セントアマントに3馬身の着差をつけた)など1200メートル以下のレースを8連勝し、9戦9勝でこの年のシーズンを終えた。翌1904年、プリティーポリーはステップレースに出走することなく1000ギニーに出走した。1200メートル以下のレースにのみ出走していたことで、1600メートルの距離をこなすことができるか疑問視する向きもあったが、1分40秒のレコードタイムを記録して優勝すると続く2400メートルのオークスも勝利し、秋には約2900メートルのセントレジャーステークスでヘンリーザファースト、二冠馬セントアマントらを破り牝馬クラシック三冠を達成した。セントレジャーステークスのあとパークヒルステークスを優勝しデビュー15連勝を達成。この記録は現在でもリボーの16連勝に次ぐ記録で、ブリガディアジェラードに並ぶ20世紀ヨーロッパ第2位の記録である)。敗れたレースはフランスに遠征して出走したコンセイユミュニシパル賞で、輸送に遅れが生じたことが祟ったとされる。翌1905年は、初戦のコロネーションカップをレコードで勝ったものの目標としていたアスコットゴールドカップを前に故障を発症し休養を余儀なくされた。秋には復帰しチャンピオンステークスやジョッキークラブステークスを優勝。翌1906年もアスコットゴールドカップを目標に据え、コロネーションカップなど2レースを勝って臨んだがゴール前でバチェラーズバットンに交わされ2着に敗れた。このときバチェラーズバットンに騎乗していたメイハーはかつて2400メートルのコンセイユミュニシパル賞でプリティーポリーに騎乗したことがあり、同レースの敗因について「プリティーポリーは偉大な馬だがステイヤーではない」と距離の長いレースへの適性のなさを敗因に挙げており、2マイル半(約4000メートル)のアスコットゴールドカップにおいてみずからの手でそのことを証明する結果となった。プリティーポリーはアスコットゴールドカップのあと故障を発症し、競走馬を引退した。引退後は繁殖牝馬となり、10頭の産駒を出した。産駒の競走成績はさほど優秀ではなかったが牝馬の産駒は繁殖牝馬として優秀な成績を収め、プリティーポリーの子孫は大きく勢力を伸ばした。その結果ファミリーナンバーによる分類において、プリティーポリーを始祖とする牝系子孫は、現在では14号族のc分枝として独立分類されている。牡馬の産駒をみると、クラックマンナンが1926年に日本へ輸出され、リーディングサイアー級の成功を収めている。晩年のプリティーポリーは歯を悪くして食が細くなり、衰弱の末安楽死処分された。遺体はエアフィールド・ロッジ牧場に埋葬された。牝系子孫には1960年代に日本で活躍した種牡馬ガーサントや、ヴェイグリーノーブルの父として知られるヴィエナ、プリティーポリーに並ぶ15連勝を達成したブリガディアジェラード、凱旋門賞を制し日本に種牡馬として輸出されたキャロルハウスらがいるが、何と言ってもプリティーポリーの血を世界に広めたのはニアークティックの母レディアンジェラの存在が極めて大きい。ちなみに日本の大種牡馬ノーザンテーストもレディアンジェラの孫であり、レディアンジェラの濃いクロスが特徴となっている。14号族のc分枝 (F-No.14-c) の牝系図の主要な部分を示すと次のとおりである。アイルランドのカラ競馬場ではプリティーポリーステークス (GI) が行われている。またイギリスのニューマーケット競馬場でも同名の競走(準重賞)が施行されている。父ガリニュールは1904 - 1905年イギリスのリーディングサイアー。当時はセントサイモン系全盛で前後のリーディングサイアーはセントフラスキン、パーシモンなどセントサイモン系に占められていた。ガリニュールはそれらに対抗していた数少ない種牡馬であった。
出典:wikipedia
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