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北陸鉄道能美線

能美線(のみせん)は、石川県石川郡鶴来町(現・白山市)の鶴来駅と能美郡根上町(現・能美市)の新寺井駅を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。1980年(昭和55年)9月14日に全線が廃止された。鶴来駅にて北陸鉄道石川線の野町駅方面への直通運転が行われていた。1970年4月1日以降は日中の運行が休止されてバス代行となり、廃止時点では辰口温泉駅のみ交換可能、朝6時より10時までは約40分間隔、15時より21時までは約90分間隔の運行であった。1922年(大正11年)、辰口温泉・湯谷鉱泉・辰口競馬場への観光の利便性向上及び九谷焼の原料・九谷焼そのものの輸送を目的とし、寺井野村の地主にして九谷焼商の酒井芳を総代に29名が発起人となり、免許を申請。この発起人には、根上村長の森喜平や寺井野村長で石川県九谷焼陶磁器同業組合連合会会長の石崎蕃も名を連ねていた。計画当初は軌間762mmの蒸気鉄道として、石川鉄道より改軌され不要になった蒸気機関車を譲り受ける予定であったが、軌間1067mmの電気鉄道に改め、翌1923年(大正12年)1月に鉄道大臣から認可を受け、同年9月に資本金60万円で能美電気鉄道株式会社を設立し工事が開始された。起点となった根上村(後の根上町)からは、設立目的からも分かる通り、積極的な姿勢ではなく3名のみしか発起人がおらず、一部地区では反対活動が行われるに至り、開通が遅れ、1925年中に新寺井-新鶴来(手取川左岸の天狗山トンネル入口付近)間が開通となった。ところが新鶴来開通前後から重役間で紛争が勃発した。神田重義が主導権を握るべく小川徳三郎と結託し酒井芳の追放を謀った。これに対し酒井は神田を不正の疑いありとして告訴し神田は1925年12月収監されることになった。まもなく保釈になった神田は翌年8月の株主総会で酒井を追放して社長に就任し役員を半減させたのである。ところがその後も神田は小川排除を謀ったことから役員は神田派小川派にわかれ互いに総会を開き解任決議を出す騒ぎとなり、法廷に持ち込まれることになった。1928年1月に金沢地裁の調停により和解をすることになったが第2期工事は遅れ1924年(大正13年)に敷設免許状が下付された小松町までの延長線は、小松から鶴来に計画を変更し、1931年(昭和6年)に天狗山トンネルと手取川鉄橋工事に着手して翌年1月鶴来まで開通となった。また林光義経営の粟生-小松間の旅客自動車運輸事業を譲受け、1935年(昭和10年)4月27日に認可を得ると能美電バスを設立し小松へ進出した。このバス事業は金沢電気軌道譲渡時には5路線 (53.1Km) を保有していた。その後1939年(昭和14年)6月17日の臨時株主総会で68万5561円1銭で金沢電気軌道に譲渡することを決議した。また能美電バスも譲渡されることになった。駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県に所在。本寺井駅 - 寺井西口駅間のうち、用水路の鉄橋を渡った寺井西口駅寄りの一部(数メートル程度ではあるが)は小松市である。

出典:wikipedia

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