今井 雄太郎(いまい ゆうたろう、1949年8月4日 - )は、新潟県長岡市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。愛称は「雄ちゃん」「雄さん」など。史上14人目・昭和最後の完全試合達成者。中越高校から新潟鉄道管理局(現:JR東日本新潟支社)を経て、1970年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。新潟鉄道管理局時代は野球部といっても特別扱いはされず、他の職員と同じように勤務し、今井の仕事は操車場で貨車の連結を行う係であった。今井によると、日本産業対抗野球大会の鉄道大会でたまたま好投したため、スカウトの目にとまったのだという。“ノミの心臓”と呼ばれるほど気が弱く、また極度のあがり症であったため、二軍では好投するものの一軍ではなかなか結果が出せず、プロ入りから5年間で2勝しか挙げられなかった。初先発した1972年5月18日の対南海戦では、2回の二死満塁からトリプルスチール(三塁走者は野村克也)を決められる経験もしている。しかし、1974年から投手コーチに就任していた梶本隆夫がその無類の酒好きに目をつけ、5月4日、大阪球場での南海戦で紙コップ入りのビールを飲ませてからマウンドにあげたところ、それまでとは別人のような好投を見せた。高橋安幸『伝説のプロ野球選手に会いに行く2』(白夜書房、2009年)収録のインタビューによると、最初の1回は梶本から「どうせこれが最後(の先発のチャンス)やから飲め」と言われて飲まされた。その後も本人が希望して飲んでいたわけではなく、酒を飲んだ後の結果がよかったのでコーチ、監督に無理やり飲まされており、数回のことだった。また、酒を飲んでプレーするのは、「苦しくて仕方なかった」とのこと。ただ、最初の時には飲んだことで苦しい方が先に立ち、それ以外の不安を考えるどころではなくなり、ブルペンで投げているのと同じような感覚になって球が走ったのだという。それ以来、眠っていた才能が一気に開花し、1978年8月31日の対ロッテ戦(宮城)では史上14人目の完全試合を達成し(日本プロ野球史上唯一の指名打者制度での完全試合達成)、同年のリーグ優勝にも大きく貢献。には19勝15敗で最多勝を村田兆治(ロッテ)と分け合い、にも21勝9敗、防御率2.93の成績で最多勝・最優秀防御率・ベストナインのタイトルを獲得、チームの6年ぶりの優勝に貢献した。リーグ優勝決定時には胴上げ投手としてマウンドに立っていた。日本シリーズの試合前に酒を飲まされたこともあるが、完全試合を達成した試合前には飲んでいなかったとのこと。親会社が阪急電鉄からオリックスに変わった以降は、中継ぎや抑えも務めた。親分肌で気取りのないやさしい性格から後輩に『殿』と慕われ、今井を中心とするオリックスのリリーフ陣は『殿様リリーズ』とも呼ばれていた。上田利治が監督を勇退したオフ、矢野実との交換で福岡ダイエーホークスに移籍し、この頃から2歳年上の夫人の実家のある佐賀県佐賀市に在住。翌に1勝を挙げ、同年限りで現役を引退した。21年の現役生活においては、タイトルを獲得するなど先発投手陣の主軸として活躍していたが、同時代のチームメイトに山田久志、佐藤義則らがいたため、一度も開幕投手となったことがなかった。からサンテレビジョン野球解説者、デイリースポーツ野球評論家。現在は福岡県内を拠点としたタレント活動も行っており、福岡放送の人気番組『ナイトシャッフル』のレギュラーを長年務めている。テレビ出演は、自宅のある佐賀県のサガテレビと、福岡放送が中心になっているが、現在は後述の定食屋経営を優先させているためなのか野球解説としての出演は少ない。今井の後、昭和時代に完全試合を達成したNPBの投手はおらず、「昭和最後の完全試合投手」の称号が与えられている。今井の後に完全試合を達成したのはの槙原寛己だけであり、今井はその試合に福岡放送の野球中継の解説者として居合わせており、槙原の完全試合達成の瞬間を現場で目の当たりにして涙を流した。2001年からはプロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズにも在籍している。2007年からは佐賀駅北口で定食屋「ゴッドマザーイマイ」を経営している。これは夫人と娘が始めたもので、店名は家族会議で「ゴッドマザー」と決めたが、何故か看板が「ゴットマザー」となっている。その夫人も2013年11月に食道がんで死去した(結婚生活38年)。駅南口では息子が「串カツ イマイ」を切り盛りしている。投球フォームはお世辞にも流麗と言えるものではなく、ステップする際も軸足(右足)の膝が外を向いていたため、水島新司の作品の中では「ガニ股投法」と呼ばれている。また、テイクバックが小さい、典型的な「かつぎ投げ(捕手が送球するような投げ方)」で、一般にかつぎ投げは投手寿命を短くすると言われていたが(例・阪神タイガースの西村一孔)、今井は天性の下半身と地肩の強さで20年以上活躍し続けた。ストレートは球質こそ重いものの球速はさほど速くはなかったため、シンカーとシュートを決め球としていた。また、両方を組み合わせた「シューシン(今井の命名)」も投げていたという。重さのある速球を見せ球にしつつ、変化球で打たせて取る投球が身上だった。入団から数年間実績を残せなかったことに表れているように極度のアガリ症であり、現在でもそれは変わっていない。ナイトシャッフルのホークス応援コーナーでは、春季キャンプやシーズン中にチームの練習を訪ねることもあるが、緊張のあまり当時監督の王貞治に近付くことすら出来ず、毎年共演者の博多華丸らから突っ込まれていた。その人柄から、ファンだけでなくチームメイトからも愛されていた。ホークス移籍後、古巣ブルーウェーブとの対戦で元同僚のブーマー・ウェルズに死球をぶつけた際、マウンド上の今井相手に怒りをぶつけることができなかったブーマーが、ホークスベンチにいた投手コーチの権藤博に突進するという珍騒動もあった。故郷・新潟県に強い愛着を持っており、血液型を聞かれると「“にい型”です」などと答えている。現在では九州に長く在住していることもあり、九州弁で喋ることが多い。サッポロドラフトワン九州限定CMにて、佐賀県民として出演している。現役時代は佐藤義則と二人で『酒仙投手』と称されており、酒にまつわるエピソードは枚挙に暇がない。入団時、遠征先で飲んで宿舎に帰ってきた時、自室と監督・西本幸雄の部屋を間違えてしまい、その布団に潜り込んでこっぴどく怒鳴られ、あわてて部屋に逃げ帰ったという話も残っている(翌日勝ち星を上げるまで禁酒を命ぜられた)。完全試合をなしとげた試合にウイスキーを飲んで試合に臨んでいたといわれるが、上記の通り本人はこれを否定している。完全試合達成後の次の登板前に「完全試合して、そのあとたらふく飲んでるやろう、それを全部出せ」と練習中ずっとノックをさせられたという。普段は、チームのエースで自身より1歳年長の山田久志を立てていた。が、宴席等で酒が過ぎると「山田さん、アンタ完全試合をやったことがありますか?」と絡みだすことが多く、チームメイトの間では「今井がこの話を始めたら宴会はお開き」という暗黙の了解が出来上がっていた。新潟出身の大酒飲みということで、水島新司の漫画『あぶさん』では、同郷で同じく大酒飲みの主人公・景浦安武の親友として登場していた。これを読んだ今井の子供は「親父、いつも酔っぱらって野球やってるんか」と尋ねたという。レギュラー番組のナイトシャッフルでは、九州地区の名所を廻ったりグルメリポートをする際に、訪問した際で美味があまたある事に付け込み、料理と一緒に酒類を飲んで昼間から真っ赤な顔になる事がしょっちゅうある。訪問先の料理店でも今井の酒豪っぷりを知っているところが多く、最近では番組中では料理屋の主人や店員たちから「ビールお持ちしましょうか?」「焼酎お飲みになりますか」と問いかけられ、今井が笑顔で「いや~すんまっせん」と返事して嬉しそうな顔で飲むのが定番になりつつある。大抵の場合、店から出てきたら同番組MCの山本華世から「今井さん昼間っからなんしと~と~!?」とツッコまれるのがオチになっている。他バラエティ多数
出典:wikipedia
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