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アタリジャパン

アタリジャパンとは、ここでは前者を「初代」、後者を「二代目」と区別して称する。この章における「アタリ(ジャパン)」は、ノーラン・ブッシュネルが創業したアタリを意味する。アタリは「ポン」で成功した1973年末に日本にアタリジャパンを設立、本社は練馬区の中村橋駅近くに置かれた。初代社長は元水泳選手の匠賢一だが、有能な日本人社長が現れるまでのつなぎ役だった。だがアタリジャパンは経営が軌道に乗らず、協力してくれる日本企業を探していた。そこへ国外への進出の機会をうかがっていた中村製作所(後のナムコ)の中村雅哉社長が目をつけ、これを引き受けた。しかし経営がさらに悪化したアタリジャパンはナムコに、日本での独占販売権を含めての売却を打診、結局中村製作所はこれにも合意した。ナムコはアタリを始めとする複数のアメリカ製ゲームのメンテナンスを担当するうちに、自社でビデオゲームを作る技術を身につけ、これが「ジービー」「ギャラクシアン」等につながって行った。ナムコのビデオゲーム独特の字体・ナムコフォントも、元々はアタリフォントである。この時代のライセンスにはエレメカの「F1 (エレメカ)」、「キャニオンボンバー」、「ゼビウス」、「ポールポジション」等がある。その後アタリ本社はアタリショックが原因により業績が悪化、1985年にアーケードゲーム部門がワーナーグループ傘下のまま「アタリゲームズ」と改名、ゲーム機部門が「アタリコープ」としてワーナーから分離した。ナムコはワーナー・コミュニケーションズの株券の半数弱を買い取り経営権を掌握。両社のライセンス関係はさらに強化された。「ガントレット」「マーブルマッドネス」もこの時代の代表作の一つである。しかし「ウイニングラン」と「ハードドライビン」がお互いライセンスされないなど、双方の協力がうまく行かない事もあった。その後「スタンランナー」「クラックス」を輸入すると暫くは関係が続いたが、ナムコが1987年に東証二部上場した事と、1990年に中村が会長に退いたのをきっかけに、関係の解消を実施。両社間の役員・株券・関連会社の整理が行われた。ちなみに「アタリゲームズ」時代に輸入した作品は「ランパート」が最後となる。この章における「アタリ(ジャパン)」は、後にインフォグラム社が買収したアタリを意味する。当稿ではアタリコープスがハードディスクメーカーのJTSに合併されてから、現在のアタリジャパンになった所までを解説する。日本は勿論「アタリジャパン」となったが、あくまでもインフォグラムの現地法人であり、初代のアタリジャパンとは無関係である。アタリマークも引き継がれているが、デザインは、例えばフジマークが初代はATARIの上、二代目はATARIの中央のAを兼ねているなどの変更箇所がある。現在は消費者から規模の拡大、サービスの拡充が要求されている。しかし2006年12月29日にはアタリジャパンサポートセンターが閉鎖され、ユーザーの間では今後の動向が危ぶまれている。

出典:wikipedia

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