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沿ドニエストル共和国

沿ドニエストル・モルドバ共和国(えんドニエストル・モルドバきょうわこく)、通称沿ドニエストルは、東ヨーロッパ、モルドバの東部ドニエストル川東岸のウクライナ国境に接する地域。国際的にはモルドバ共和国の一部(自治権を持った構成体とする場合もある)とみなされており、主権国家として承認されていないが、現在、モルドバ共和国政府の実効統治は及んでおらず、事実上の独立状態にある。沿ドニエストル共和国が定めた公用語に基づく正式名称はである。なお、英語ではと表記する。また、略称はと表記される。モルドバ語(ラテン文字)ではと表記される。なお、この地域は、ロシア語ではプリドニエスローヴィエ(プリドニエストル、、Pridn'estrov'ye)、ルーマニア語ではトランスニストリア () と呼称する。国際機関ではトランスドニエストル () という呼称を用いている。略称は (PMR) で、ロシア語の名称「"」("Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika"、沿ドニエストル・モルドバ共和国)に由来する。沿ドニエストル共和国の定める公用語はロシア語、モルドバ語、ウクライナ語の3つである。しかし、沿ドニエストル共和国での「モルドバ語」は現在のモルドバ共和国で使用されているラテン文字表記(実質的にルーマニア語と同じ)とは異なり、ソビエト連邦からの独立前に使われていたキリル文字表記である。ドニエストル川西岸の都市ベンデルを除けば、もともとこの地域はモルダビア公国やベッサラビアに属していなかった。18世紀、ロシア帝国の西の国境であったこの一帯を防衛する意味もありロシア人、ウクライナ人が移住した。ただし南スラブ族は、6世紀の後半からこの地域にいた。1924年にソ連がドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分としてモルダヴィア自治共和国を創設した。そのころはルーマニア人が大部分を占めており、ルーマニア語で教える学校も開校した。1940年と第二次世界大戦後にはモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部となる。ソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が行われたことに対して、1990年にドニエストル川東岸のロシア系住民が「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」を宣言してモルドバから分離を目指した。さらに1990年9月2日には、「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言。1992年にはトランスニストリア戦争に発展。7月、和平協定が締結され、ロシア、モルドバ、沿ドニエストル合同の平和維持軍 () によって停戦監視が行われている。先のモンテネグロの独立に影響を受けた共和国議会は2006年7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。ところがモルドバのヘルシンキ人権委員会が当日現地に出向き出口調査等独自で監視を行ったところ、当局によって発表された70%を超えるという投票率に対し実際には10-30%しか確認できなかったこと、結果に関しても少なくとも2~3倍に水増しされたか全く捏造された不公正な投票である可能性が高いと発表している。かつこの住民投票は欧州安全保障協力機構、欧州連合、アメリカ合衆国がそろってこの開催と結果を認めない声明をかねてより出している。欧州評議会においても議長国のロシアのみがこれを認める立場を固持しているのみである。また同様の住民投票は過去に数度行われており、今回のも含めて実際の影響力、ましてや拘束力は乏しいものといえる。しかし2014年クリミア危機によって成立したクリミア共和国が、ロシアへの編入を求めた結果ロシア側から承認されたことに伴い、沿ドニエストル共和国政府は再びロシア下院に対してロシア連邦への編入を求めた。元首は大統領であり、大統領は国民による選挙で選出される。長くスミルノフ大統領による統治が続いたが、議会やシェリフ・グループ、さらには駐留ロシア軍、ロシア資本の意向も絡まり、一概には独裁体制といえない政治状況にある。2011年には選挙による政権交代が実現した。1940年代から1960年代のソビエト連邦のような政治文化が街中に色濃く残っているが、二代目大統領シェフチュクによる自由化の流れも見られる。軍事、経済をロシアに頼っており、欧米寄りのモルドバに対してロシア寄りの政策を採っている。旧ソ連軍の備蓄した膨大な量の武器を保有しており、国際的な武器密輸疑惑で非難を受けている。2006年6月14日、アブハジア共和国、南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。なお、アブハジアと南オセチアも国際的な承認はないものの、ロシアなど少数の国連加盟国は「独立国家」として承認している。しかし、沿ドニエストル共和国についてはロシアを含めたすべての国連加盟国が承認していない。モルドバ共和国のドニエストル川東岸からウクライナとの国境までの南北に細長い地域を主な領土としている。なお、川は直線ではなく蛇行しており、ウクライナとの国境は直線でジグザグした部分も多い。しかし、すべての領土(実効支配地域)が東岸にあるわけではない。例えば、沿ドニエストル共和国が実効支配しているベンデルはドニエストル川西岸に位置している。一方、東岸にあるという都市はモルドバ共和国の実効支配下にある。また、中部のドゥボッサールィ地区(モルドバ語名ドゥベサリ)ではモルドバ共和国の実効支配地域が大きく食い込んでおり、分断されているところもある。なお、その分断地域(モルドバ共和国実効支配地域)を横切る道路(沿ドニエストル共和国の南北間を結ぶ)は、沿ドニエストル共和国領となっているためモルドバ共和国の飛び地が存在する。民族構成は、ルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%。1990年代の経済低迷により移民する人が多く、1989年に546,400人だったこの地域の人口は、2001年には633,600人までに増加した。ただ、年齢構成が高齢傾向にある。ソ連時代から重化学工場が立地しており、工業が主要産業となっている。現在でも、鉄鋼、発電、セメント生産、繊維生産が盛んである。反面で農業はモルドバと比べると生産量に乏しいが、温室栽培で青果物を生産していることから品質が比較的良いものが収穫出来ると言われている。2016年 ロシアは自国空軍の戦闘機をトルコから撃墜された事件への報復としてトルコからの物品の輸入を禁止したが、その代償として輸入の主要品となっていた青果物を失うこととなった。これを受け、沿ドニエストルは代替の青果供給地として名乗りを上げており、特にトマトの供給に対しては積極的にアピールをしている。(ロシアは青果物をトルコを始めとした諸外国からの輸入に頼っている現状がある。輸入される青果物の品目の中で依存度が高いのはトマトであり、2014年の青果物輸入に於けるトルコ産トマトの割合は42%で全体の4割を占めるものであった)GDP(国内総生産)はおよそ10億ドル。また、独自通貨たる沿ドニエストル・ルーブルが国内で流通している。シェリフ・グループと呼ばれる企業グループがスーパーマーケット、ガソリンスタンド、携帯電話会社などを経営しており、大きな影響力を持っている。廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア 旧ソ連諸国から見た「光と影」』光文社新書、2008年 ―第2章「『未承認国家』という名の火薬庫」に著者の沿ドニエストル訪問記が収録されている。

出典:wikipedia

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