485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。本項では、交流60Hz対応の481系・交流50Hz対応の483系ならびに交流50/60Hz対応の485系を基本に信越線の協調運転にも対応した489系についても解説を行う。1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のみの継承であったが、1両も改造されずに全車廃車となった。1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列の置換えにより廃車が進行し、2016年4月現在の定期運用は予定臨時列車扱いで毎日運転される快速列車1往復のみである。外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10mm高い1,230mmとし、屋根高さも151系に比べて120mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし後期形以降では大幅に変更された(詳細は後述)。制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載する。主電動機は定格出力120kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20‰程度の勾配を登坂可能で経済性が向上し最高運転速度は120km/hとされた。台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。パンタグラフは2基搭載とし、直流区間では離線対策から2基使用としていた。設計当初は、BT饋電方式における交直・交交セクション通過時のトラブルを懸念して1基搭載案も出ていた。国鉄末期以降は架線の損耗減少対策から130 km/h で運転されていた湖西線を除いて原則として第2パンタグラフの使用中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため2基使用を行う。横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。交流60Hz対応車で新製時には向日町運転所(後の京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」への充当を目的にモハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで増備された。制御車。前部ボンネット内にはクハ151形・161形同様に三相交流440V/60Hz/定格容量150kVAを出力するMH93-DM55A型電動発電機(MG)と容量2,950l/minのMH92B-C3000A型空気圧縮機(CP)が搭載されるが、以下の相違点がある。新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため大半が後述の増備車も含み1970年代前半に撤去された。本グループは山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日のダイヤ改正で九州地区へ転出後、12・14・17は鹿児島所属時代に、その他は1985年の勝田電車区への再転出後1986年3月までに郡山工場(現・郡山総合車両センター)で検査の際にスカート部がクリーム色に変更されたほか、1977年以降に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし仙台所ならびに勝田区に転出後の1985年以降に「ひげ (眉)」が復元された。分割民営化時にはJR東日本に承継され、独自塗装への変更や密着連結器への交換などを施工。2000年までに訓練車編成に組成された車両を除き廃車。2007年に最後まで残存した17も廃車となった。北陸・山陽・九州特急で運用されたが、1975年に全車鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)へ転属し九州地区のみで運用された。1982年より老朽化に伴う廃車が始まり、1985年に全車廃車となった。1等車(現・グリーン車)で客室定員は48名。レイアウトは前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所と181系とは異なる。調理に電気レンジを使用するため自車給電として定格容量70kVAのMH94B-DM58型MGを床下に搭載する食堂車。基本構造はサシ151形に準じているが、回送運転台が調理室側妻面にも設置されるほか、当初からFRP製椅子を採用するなどサシ151形との相違点がある。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴いキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ」仙台特急「ひばり」電車化用として仙台運転所(現・仙台車両センター)へ集中配置された交流50Hz用対応車であり、電動車がモハ483・482に変更されたグループである。50Hz対応を示す点からスカートがクリーム色に変更された。1982年の東北新幹線開業による運用減により、19・20・22・24が南福岡電車区(現・南福岡車両区)へ転出したが、その後の検査等で入場時に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし、仙台所ならびに勝田区へ再転出した1985年以降に「ひげ」を復元した。またこの運用減では21・23・27・28が向日町所へ転出しているが、このグループは1986年に上沼垂へ再転出をした。1985年に仙台所残存の25・26と1982年の九州転出車が勝田区に転入。このため上述の上沼垂転出車も含め分割民営化時にはJR東日本に承継された。2000年までに訓練車編成に組成された24・26を除き廃車されたが、この2両も2007年までに廃車。26が鉄道博物館で静態保存されているが、同車はボンネット外気取入グリルが2箇所の変則車である。モハ481・480形との大きな差異は搭載する主変圧器で、基本構造は共通する。1982年に8から老朽廃車が開始されたが、12 - 15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転属、JR東日本に承継され1990年に廃車された。本グループは1968年に編成変更により全車クロ481形50番台へ改造された。電動車ユニットが交流50・60Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・484に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題となったために新造車では1974年製の1500番台から絶縁油にシリコン油を使用したTM20形に変更され、それ以前の車両にも交換が施工された。1972年製造車は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。スカートを483系グループの19 - 28と同じ眉付きクリーム色としたほか、1969年製以降の30 - ならびに後述のクロ481-5は、ボンネット外気取入グリルのスリット形状が横型から縦型に設計変更された。また後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。向日町配置車は1975年に全車鹿児島運転所へ、1985年に仙台配置の29・30は向日町所へ転出、1986年に上沼垂へ再転出した。九州地区配置車は1977年以降「ひげ(眉)」が省略されたが、仙台所ならびに勝田区に再転出した31・32・34・36・38・40は1985年以降「ひげ」を復元。分割民営化時には29 - 32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。両社共に独自塗装への変更や密着連結器への交換などの改造が施工されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本では2000年までにジョイフルトレインの種車となった車両を除き廃車された。1968年の奥羽本線山形・磐越西線喜多方電化完成により「やまばと」「あいづ」が本系列化されることになったが、仙台運転所の編成には次の制約が課された。このため日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたのが本形式である。定員は36名。車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100mmとなった。1・2は1975年に南福岡へ、3 - 5は1983年に鹿児島車両管理所でクハ481形600番台へ改造施工された上で同所へ転出したが、1両はクロ481形に復元ならびに原番号復帰。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1995年までに廃車となった。以下の設計変更が実施されたため番台区分されたグループである。クハ481・クロ481とも101 - 103が1971年製造のほかは、すべて1972年製造である。全車仙台運転所に新製配置された。1982年には4両とも南福岡区へ転出、分割民営化でJR九州に承継。1988年に鹿児島所へ転出。1995年から1996年にかけて全車廃車となった。101 - 104が仙台に、105 - 108・111・112・119 - 124が向日町運転所に、109・110・113 - 118・125・126が青森運転所に新製配置された。しかし青森配置車は全車1973年1月までに向日町へ転出。101 - 104も1985年までに向日町へ転出したためグループ全車が向日町に配置された。しかし、分割民営化直前の1986年11月 - 12月にかけて向日町から以下の10両が転出した。この結果102のみがJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、2004年までに全車廃車となった。基本設計はモハ481+480・モハ483+482から踏襲されているが、3電源対応のほか車側表示灯を側扉寄りから車体中央寄りにする設計変更が行われた。向日町運転所には481系の、仙台運転所には483系の増備車として配置されたほか、1972年からは青森運転所(→青森車両センター→現・盛岡車両センター青森派出所)にも配置された。分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年までに、JR東日本では訓練車編成に組みこまれたモハ485-61が2007年に、JR西日本では京都総合運転所配置車が2011年にそれぞれ廃車となり区分消滅した。モヤ484-2から復元されたモハ484-61が埼玉県さいたま市の鉄道博物館で静態保存される。高需要から12両化される「ひばり」「やまびこ」用として、1970年から1972年にかけて全車仙台運転所に新製配置された。1965年までに製造された1 - 14とは内装に若干の差異があり、客室窓のカーテンがベネシャンブラインドになるなどの設計変更が行われた。1972年下半期から製造されたグループで、向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。また以下に示す大きな設計変更が実施された。上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番台、モハ484形では200番台のほか、後述する600番台の番台区分がされたが、モハ485形・サロ481形・サシ481形は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。上述した貫通型への設計変更のほか、210KVA MGと容量を2,100l/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした上で連結面車体長も21,000mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となった。2016年4月現在ではJR九州大分車両センター所属でDo32編成に組成されていた256のみが車籍を有する。AU71形搭載によりAU41形床置冷房装置収納機器室と業務用室を廃止したため定員が8名増加し72名となった。最後まで残った298が2016年1月28日付で廃車され、このグループは消滅した。200番台に車掌室と業務用室を設けたための番台区分。定員は200番台より8名少ない64名。分割民営化でJR九州に承継されたが2000年に廃車。最後まで残った196が2016年1月20日付で廃車され、このグループは消滅した。1974年から製造されたグループ。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、以下の設計変更・改良が行われた。以後に製造された1000・1500番台は基本的にこのグループの仕様を踏襲する。200番台ベースのデザインであるものの分割・併合を伴う運用の必要性を欠き隙間風などに問題のあった貫通路の廃止と運転室の居住性改善など設計変更による区分で1974年以降に製造された。2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車され区分消滅した。青森・仙台に新製配置後分割民営時までに各地に転配され603がJR東日本に、604以降はJR西日本に承継された。1976年に製造された付随車。基本番台から後位側に車販準備室・業務用室を設置する設計変更により定員が8名減の64名となり番台区分された。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。108・109の2両が1998年に廃車されて区分消滅した。1974年に製造された北海道向け特別耐寒耐雪形の番台区分である。函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川間では冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため同系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器の絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコーン油を使用するTM20形主変圧器が開発されたため北海道向けに300番台をベースにした本グループを暫定投入する事が決定。以下の設計変更が行われた。1973年度第1次債務で川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造され、22両全車が札幌運転所へ配置された。初年度は耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に投入された。翌1975年1月から順次札幌へ回送され、同年7月18日から新設エル特急「いしかり」として運転が開始された。さらに北海道での運用開始後の1976年に苗穂工場で以下の改造を施工。しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発した。これら各種トラブルの根本的解決はなされず1978年には北海道専用特急電車となる781系試作車を開発。1980年には量産車による置換え完了で同年夏までに本番台は全車が青森運転所に転出。分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害による車両故障が多発したことから、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された番台区分である。当初は「つばさ」用として秋田運転区へ新製配置。1978年からは青森運転所にも新製配置された。基本番台後期形からは以下の設計変更が行われた。さらに1978年製造のクハ481-1013ならびにモハ485・484-1025以降の車両は以下の設計変更が実施された。本区分番台では食堂車のサシ481形は製造されず「つばさ」電車化時投入グループではAU13E形冷房装置を搭載する基本番台車に引通線増設などの対策を施工し改番せず原番号のまま充当。1978年10月ダイヤ改正用増備グループでは、サシ489形にも同様の施工をしたサシ481形80番台を充当した。1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。2016年4月現在で仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両、クハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、同年6月19日のラストランを最後に運用を離脱した。信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため通過車両はEF63形の推進・牽引による無動力運転となる上に台枠・連結器の強化などの通称横軽対策が必要で電車は最大8両編成までと制限されていたが、1967年に165系電車をベースに開発された169系電車ではEF63形と協調運転を行うことにより12両編成まで増車することが可能となった。また1972年3月15日ダイヤ改正でそれまで客車急行で運転されていた「白山」の特急格上げが決定し、同列車用として485系に協調運転装置を搭載した派生系列が489系である。したがって485系とは基本設計は共通としながらも以下の相違点が存在する。1971年 - 1974年までにTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが14両ずつの12両x14編成計168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥」「しらさぎ」でも運用された。1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造。分割民営化時にはJR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。また分割民営化後の1990年にJR東日本が2両を485系から改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。1997年の北陸新幹線長野暫定開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止で存在意義を失ったことや老朽化によりJR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車となっていた新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までに殆どが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となり廃系列となった。485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたため以下で解説を行うそれぞれに対応する区分番台が存在する。485系0番台に準ずるグループ。ただしクハ489形はクハ481形100番台に準じており、下り方は0番台、上り方は500番台に区分されるほか、1971年製造車と1972年上期製造車では以下の差異が存在する。なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った同年11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。またサシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。また本区分では1972年下期製造車と1973年製造車では以下の相違が存在する。クハ489形200番台は2003年に、600番台は2011年に廃区分番台となった。1975年3月10日ダイヤ改正で金沢運転所では、「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用が向日町からの移管により担当となること。485系との共通予備車とする目的から1974年に製造された485系300番台に対応するグループ。以下の設計変更が実施された。クハ489形300番台は2004年に、700番台は2010年に廃区分番台となった。1978年10月ダイヤ改正より共通運用となった「白山」「はくたか」は3MG・8M4T編成化されたが、三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるため、同時期に製造されたサロ481形1000番台同様に210kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転機能を装備するサロ489形1000番台を組み込むことになり、1978年・1979年に10両が新製された。また本グループのみ台車はTR69H形を装着する。1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため1991年までに廃区分番台となった。485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。1968年10月1月のダイヤ改正で東北特急は上野方先頭車をクロ481形とした9両編成に統一されることになり、仙台運転所所属のサロ481形全車に郡山工場で施工した先頭車化改造である。改造は種車の車体一部を分解し、当該台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないためクハ481形0番台よりも全長が短いほか、新製車の0番台も改造車の設計に合わせたことから差異はほとんど見られない。改造後も仙台所属で運用されたが、1975年に7両とも南福岡電車区に転出。国鉄時代に52・54が余剰老朽化で、53が事故で廃車となった。残りの4両はJR九州に承継されたが1995年までに全車廃車となった。1990年にJR九州小倉工場(現・小倉総合車両センター)がクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造。出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されたほか、窓配置とシートピッチは一致しない。1両のみの区分であったが2000年に廃車。1989年3月11日のダイヤ改正で北陸特急「スーパー雷鳥」が運転開始されることに伴い吹田工場でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した制御車化ならびに車内リニューアル改造である。2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。2001年3月3日のダイヤ改正で683系「サンダーバード」投入により「スーパー雷鳥」が廃止されたため塗装変更と内装リニューアルのうえ同年7月12日より「しらさぎ」に転用。2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため旧国鉄色に塗色変更し同年9月20日から2011年3月11日まで「雷鳥」で運用された。1992年に「かがやき」「きらめき」増発用として、松任工場でクハ481-224に施したグリーン車化改造である。1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となったため旧国鉄色に変更し「加越」に転用した。2003年10月1日のダイヤ改正で「加越」が「しらさぎ」に統合されたため廃車。1990年に「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結のため吹田工場でクハ481形300番台を種車にグリーン車化改造を施工した区分。改造内容は前述の2201に準ずる。1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」に転用されたが、2002年3月23日のダイヤ改正で「はくたか」の681系置換えにより後述2両も旧国鉄色へ変更して「加越」へ転用された。2003年には3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」で運用されたが、2009年に183系化改造が施工された。2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用では、先頭グリーン車が不足したために、金沢総合車両所でクハ489-301に施工したグリーン車化改造である。2003年7月19日の「しらさぎ」683系化で余剰となり廃車。1984 - 1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所と小倉工場で制御車化改造した下り向き専用車。クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる。15両全車がJR九州に承継され11・12は後に半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52となったほか、後年は「かもめ」「にちりん」でも運用。2000年までに全車廃車となった。1988年に「北越」短編成化に伴い吹田工場で改造された区分。種車がサロ489形1000番台のため番号区分された。1000番台は2004年までに、2301も2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。基本番台新製車の続番となっているが489系0・500番台グループが種車のためクーラーはAU12形を搭載。2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが1990年に廃車。1985年3月ダイヤ改正で連結が開始された「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」。サシ481形を種車に吹田・鷹取の両工場で改造された。1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱し、502 - 505・508・509はラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は運用離脱後全く運用されないまま向日町運転所に放置され1993年に廃車。当初から1000番台車に準じた仕様で製造され、車販準備室設置やMG・CPを搭載していたサロ481-115・116・122・123・127・128へ1978年の東北地区特急列車増発時に1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工改番したグループである。1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台を181系の運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループ。1500番台新製車との関連は全くない。改造落成後は青森運転所に配置。1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出した。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に再改造され、残った1両も1997年にジョイフルトレインの改造種車となり区分消滅した。JR西日本が1989年と1991年に吹田工場でサロ481形500番台のうち6両を「スーパー雷鳥」用に以下の再改造を施工したための区分。クロ481形2000・2100番台搭載のCPを移設したため常時次位で連結されたが、2001年の「しらさぎ」転用では編成対象から外れて廃車。CPはモハ485形500番台に再移設。台車はサハ481形600・700番台に転用された。特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。1987 - 1988年に小倉工場で計13両が改造された。1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先である。グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。1986 - 1987年に「北近畿」用として吹田工場で改造施工された。1991年に213はクハ481-201へ復元。それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅。クハ481形300番台からの改造車で301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用、303は1989年土崎工場施工の「たざわ」用である。1986 - 1988年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造された。国鉄時代の改造車も含めて全車JR東日本が所有したが、投入列車に仕様を合わせたため施工内容に若干の差異がある。後に3000番台化やクハ481形への復元。さらに3000番台改造と同時にクハ復元など改造経緯が複雑な車両も多く、グリーン室部分冷房装置をAU13E形2基からAU112形への交換施工事例もある。2015年8月12日に新潟車両センター所属の1029が廃車され区分消滅した。元々は485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。他のクロハ481形がクハ481形ベースの改造車であるのに対して、この車両のみサロ481形ベースとなっているために種車の小窓が並ぶ窓配置である。181系として落成し車体も使用する最後の1両で勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年1月に運用離脱。郡山総合車両センターへ回送後、同月に廃車され区分消滅した。本形式はクロハ481形同様に客室前位にグリーン室を設置した形式であるが、種車の差異により2種類の番台区分が存在する。1986年に「たざわ」用としてクハ481形1000番台を改造したグループ。最初期落成車のみ本形式とされたが、短期間でクロハ481形1000番台に改番された。1987年 - 1988年に小倉工場でクロ480形へ前位側グリーン席5列を残して後位側を普通車化改造したグループ。52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。1983年に東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。北陸特急の増発・短編成化および福知山線・山陰本線城崎電化による「北近畿」新設に伴いサハ489形へクハ481形300番台に準じた運転台を取付て制御車化改造を施工したグループ。1985年に松任工場で改造。新製車同様に210KVAMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。分割民営化時にはJR西日本に承継されたが2011年に廃車。1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)で改造されたが、701と以下の相違点が発生したための番台区分。分割民営化時には、751・752がJR西日本に承継され1991年に183系へ再改造。753がJR東日本に承継され2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」へ再改造され廃区分となった。「くろしお」に充当されていたクハ480形のうち「北近畿」転用車に1986年に大宮工場で210KVA MG・CPを床下搭載改造したグループ。802は1990年に183系800番台へ再改造されたが、801は2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。上述の801・802との相違はMG出力が160kVAによる区分で1987年に吹田工場が施工。1990年に183系800番台に再改造。「ひたち」で運用されていたクハ481形初期車置換えのため1989年 - 1991年にかけて郡山工場でサロ481形1000・1500番台の先頭車化と普通車格下げ改造を同時施工したグループ。グリーン車の窓配置がそのまま流用されたため客室窓は小さい。E653系電車の投入に伴い「ビバあいづ」用にクロハ481-1501へ改造された1両とジョイフルトレイン「せせらぎ」の種車2両以外は1999年 - 2000年に廃車となり廃区分番台となった。ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。1980年よりサービス向上の一環としてビデオ上映を実施することから、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へ雛壇式床面化ならびに運転台仕切にスクリーンを設置する改造。客用扉周囲に「ビデオ特急」のステッカーを貼付た。主に「有明」で運用されたが、JR移行直前に上映中止となりビデオ機器も後に撤去。仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101のタイフォンは元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。しかし東北地区では冬期の積雪ならびに漂着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手擦が残存する。1986年12月から大阪 - 和倉温泉間にキハ65形改造車で臨時特急「ゆぅトピア和倉」の運転が開始されたが、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。当初は向日町運転所所属のクハ481形200・300番台車で限定運用されたが、1989年3月以降運用上の制約を避けるため同所所属の100番台車の多くに密着連結器への交換およびジャンパ連結器の設置などを施工した改造である。1993年以降に「ひたち」は2編成併結の14両編成運転を開始したことから、その対応として勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40へ施工した改造である。1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所(現・総合車両製作所新津事業所)での施工により落成した形式である。1986年に「くろしお」が381系電車に再度統一されることになり、全11両のうち「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区に8両、「北近畿」用として福知山運転所(現・福知山電車区)に3両が転出した。南福岡転出車は車体改修時に貫通扉埋込みならびに立体型特急マークの装着などの改造が施工されたが、2000年までに全車廃車された(改造施工後の画像は#JR九州改修車を参照)。福知山転出車は寒冷地対策を施工した上で1986年に2両がクハ481形800番台、1987年に1両がクハ481形850番台に改造された後に1両を除き183系化改造された。1984年 - 1985年にクロ480形0番台と編成組成をするモハ485形15両に以下の改造を鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工。分割民営化時には全車JR九州に承継。最後まで残存した5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。1986年に熊本発着「有明」の3両編成用に鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形へ以下の改造を施工。後に「ハウステンボス」へ転用。さらに「K&H」カラーへ変更。最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した。1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに伴う付属編成用として吹田・松任の両工場でモハ485形へ以下の改造を施工。後に「しらさぎ」へ転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に205が廃車。他の車両は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。1986年に「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載。1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となり、2011年に秋田車両センター所属の1005・1006・1008の3両が廃車となり廃区分番台となった。2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用に際し編成から外れるサロ481形2000番台のCPを金沢総合車両所で移設したことにより改番した区分である。本区分は「スーパー雷鳥」時代にトイレ・洗面所を撤去し自動販売機を搭載する改造を施工していたことから、床下水タンク跡にCPを搭載する。2011年までに全車廃車となった。1992 - 1994年に鹿児島車両所・小倉工場で「ハウステンボス」編成用にモハ485形の電装解除をした車両。2000年までに全車廃車となった。1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した。車番は新たに201が区分されJR九州に承継されたが1990年に廃車。1989年の651系「スーパーひたち」運転開始と同時に通常の「ひたち」は短編成モノクラス化が実施された。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生しサハ481形100番台が転用されたが、それでも不足したことから保留車となっていたサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台を郡山工場で普通車化改造を施工し充当させることになり発生した番台区分である。種車は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形基本番台からの改造車であり種車による差異はほとんどない。E653系投入による置換えで2000年までに廃車となり区分消滅。「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差なく窓配置と座席間隔が一致しない。2011年までに全車廃車となった。2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用時にモハ484形を金沢総合車両所で電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用された。2011年までに全車廃車となった。602はかがやき編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが本改造時にトイレ・洗面所へ復元した。2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500・600番台の7両では不足することから、金沢総合車両所でモハ485形を電装解除して充当したための区分で、751は種車が1000番台による区分である。2011年までに全車廃車となった。1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われた。しかし1000番台と編成組成するサシ481形では、在来車に対応する引き通し線増設改造で対応することになり全車土崎工場施工・秋田運転区配置とされた。「つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車と同時に秋田運転区に配置された57 - 59・61 - 63の6両が該当する。増発のために1978年に金沢運転所から転入した65 - 67(1973年製)・75・76(1974年製)・サシ489形改造の80番台3両の計8両が該当する。本グループは1982年に金沢に再転属後に複雑な経歴を残しており、24系客車化改造を施工され寝台特急「北斗星」運用に投入された車両が4両、そのうち1両は2011年現在も車籍を有する。1988年サハ481-118→クロ481-2101の改造にサロ489-1004のMG・CPを供出するため松任工場で撤去・改番。2003年に廃車。1990年に長野工場でサロ481形1050番台に横軽協調装置を搭載する489系化改造を施工。長野配置で運用されたが北陸新幹線の一部先行開通により上沼垂に転出。以後は上沼垂色に変更されT編成に組み込まれて運用された。後にT編成からサロが外された以後もVIP対応車で防弾ガラスなどを備えお召列車用としての装備を持つことから長らく保留車となっていたが、2010年10月に廃車。1989年に「白山」用のモハ489-18 - 21へ施工された改造。全車金沢総合車両所に配置されたが、2002年に18が廃車。残りの3両は「能登」で運用されたが、運用終了後2012年までに廃車となった。「白山」以外の昼行特急で運用される時は、コンビニエンスコーナーの営業は行われず、専ら車内販売の基地として使用された。1972年にサハ481形へ吹田工場で横軽協調装置を搭載する改造が施工されサハ489形50番台に改番されたが、試運転でEF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気再供給を短時間で行う改善が必要となったことから、翌1973年に吹田工場でCPを搭載して250番台に再改番された区分。サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが250番台と同理由で1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅。元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12である。2010年現在も「北斗星」で運用中。1972年に長野工場(現・長野総合車両センター)でサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。2両とも1986年に廃車。青森車両センター所属車のうち海峡線(青函トンネル)運用に充当する車両に施工された改造。1993年に「あいづ」は郡山発着となった際に独自の改装を施工した専用編成が用意された。その後「あいづデスティネーションキャンペーン」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センターに所属し郡山総合車両センターが改造施工を担当した。1993年に勝田電車区所属の6両編成へ以下の改造を施工し投入した。「ビバあいづ」運転終了後に元青森運転所のA7編成を2005年に改造した編成、A3編成を2006年に改造した編成の2本があるが、いずれも以下の共通する改造を施工。2005年度改造車は、キャンペーン終了後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・東武用ATSと列車無線ならびに自動放送装置搭載などの再改造が施工され小山車両センターに転出。東武鉄道乗り入れ特急「日光・きぬがわ」に投入されていたが、253系1000番台の投入に伴い2011年2月10日に仙台車両センターに再度転出。2015年7月3日に廃車された。2006年度改造車は仙台に所属し快速「あいづライナー」で運用中であるが、2011年6月に国鉄色への塗装変更を施工。1996年から2001年にかけてJR東日本が1000番台車を中心に施工した大幅なリニューアル工事による番台区分。土崎工場(現・秋田総合車両センター)とMM'ユニットの一部のみ青森運転所東派出所で9両編成2本・6両編成12本・増結用MM'ユニット3組6両の計96両へ以下に示す改造を施工し、青森運転所と上沼垂運転区に配置された。制御装置・方式などは在来車と共通のため混結運用は可能だが営業運転での実績はない。青森車と新潟車については以下の違いがある。新潟所属R1・2編成の「はくたか」運用終了後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが組成は異なる。2016年4月現在では以下の2センターに配置される。旧「白鳥」用6両3本・臨時「つがる」兼波動輸送対応用4両編成1本・増結用MM'ユニット2組4両・保留車2両の28両を配置。6両のR編成x2本の12両を配置。新潟-糸魚川間で運転される臨時快速の1往復で運用されている。表中の施工工場・配置車両基地は竣工当時の名称で記載し、以下に読み替える。1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成が配置された。2001年には勝田所属のクハ481-17が60Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に廃車となったが、2両が静態保存された。JR九州が783系以降の新型車との格差解消を目的に施工した以下の改造である。本改修は最終的に6種類の塗装バリエーションとした上でJR九州所属全車に施工された。本系列をベースとしたジョイフルトレインは以下で解説する車両があり、改造と所有はすべてJR東日本である。なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。全車改造車。施工内容は車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えを実施したケースなど、多種におよぶ。2以降はすべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレ・休息室・更衣室も設置する。「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(5024・定員28名)にはマッサージチェア・パウダールーム、5号車(5007・定員22名)には車いす対応座席・トイレ・添乗員室を装備。パンタグラフ付中間電動車。4以降はすべて新規製造構体に載せ換えたお座敷(和式)電車として落成した。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なりすべて1基搭載に変更されたほか、4 - 8・10・11は低屋根部をミーティングルームとした。「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(5024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(5007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。BOSE社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗り入れが可能である。「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースとし、前面展望映像も投影可能な32V液晶モニタを設置。前面愛称表示機は市販の40Vワイド液晶モニタを搭載する。中央本線狭小トンネル対策から静電アンテナを後位に移設し、屋根上ヘッドライトを撤去した。すべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部は展望室とされた。3以降は新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型展望席のほか、ステージ・サービスカウンター・AVコントロール室で構成されたイベントスペースを設置。元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系からの改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じ構造で、運転席を2階にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット敷き電車「NO.DO.KA/のどか」に改称ならびに普通車化再改造を施工。元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。パンタグラフ部分は低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上でトイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月の再改造で定員を30名→36名に変更。元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持つ。MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更。「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で業務用室・多目的室を設置する。モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを設置。「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースを設置。2011年に東急車輛製造で「せせらぎ」「やまなみ」の中間電動車ユニットを種車に「リゾートやまどり」用へ再改造して落成。703が2・3号車、704が4・5号車に組成される。ユニット間車両番号統一のためモハ485-702は欠番。上述の「リゾートやまどり」用制御車。種車は「せせらぎ」用制御車。車両番号統一のためにクハ485-702は欠番となった。盛岡支社所有のジョイフルトレイン「ジパング」用中間電動車。2012年に青森車両センター所属だった増結用MM'ユニットから捻出され郡山総合車両センターで改造。改造に伴う改番は未実施。上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。本系列では圧倒的に食堂車が多いが、閉店し解体された車両も多い。余剰・老朽化以外による事故廃車は本系列全体で18両ある。485系は北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、「つばめ」「はつかり」「つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。1974年4月 - 1980年9月、札幌運転所に配置。詳細は1500番台を参照。ただし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。詳細は後述。東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。1965年、仙台運転所に44両を配置し「ひばり」2往復「やまびこ」1往復に以下の編成で運用を開始。1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南電化により「やまばと」「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにダイヤ改正前の6月11日からクロ481形組込6M3T編成に組換えられた。しかしその後も増発と長編成化が実施され、1972年から1973年にかけて東北地区での運用は大きな変化を迎えることになる。これらの増発により仙台運転所に続いて青森運転所にも配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは「はつかり」季節列車1往復の運転も開始された。1973年1月31日からは「ひばり」でグリーン車2両組込13両編成の運転が開始され以下のようになった。1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」「ひばり」2往復「ひたち」1往復を増発。1975年3月10日ダイヤ改正でさらに「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からはクロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替えた。1975年11月には奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面本系列特急のピークである。1978年10月2日ダイヤ改正では、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復「やまばと」1往復区間延長→「つばさ」増発を実施したが、東北本線・高崎線で規格ダイヤが導入され特急列車の所要時間が軒並み増大した。また、仙台の9両編成がサシ481形→サハ481形に置換えられたほか、食堂車を営業休止する列車も設定された。1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業では、奥羽本線系統の特急は一部残されたものの軒並み廃止・削減され、主力は以下の新幹線連絡列車となった。また「鳥海」を除いて編成から食堂車が外された。1985年3月14日ダイヤ改正による東北・上越新幹線上野開業では東北特急は新幹線連絡の性格を強め短編成化が実施されると共に以下の変更を実施。1986年11月1日ダイヤ改正では上沼垂運転区にも配置され「白鳥」を担当。この体制で国鉄分割民営化を迎えた。西日本地区での歴史は、1964年に向日町運転所に新製配置された481系41両が「雷鳥」「しらさぎ」へ投入されたことに始まる。また東海道新幹線開業により新大阪 - 博多に運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、車両数の問題と交流区間の走行距離が短かったことから直流用の151系で運転されたが、翌1965年10月には九州特急用増備車が落成。「つばめ」は名古屋 - 熊本に運転区間が延長され東海道・山陽方面での運用を開始した。本系列増備に伴い151系は181系へ改造されるが、関東地区での増発のために181系は転出を繰り返し、1973年に向日町の181系配置はゼロとなった。一方、山陽本線には1968年10月ダイヤ改正以降583系が優先的に投入されたため山陽-九州間の運用は大阪-大分間の「みどり」だけとなったが、1969年には上野 - 金沢間運転の「はくたか」も「雷鳥」と共通運用を組んで向日町で受持ち、東は上野、西は大分までの広域運用を担当した。1972年3月15日の山陽新幹線岡山暫定開業により連絡特急が岡山発着になるも「しおじ」は大阪発着として残存。これ以降本系列は山陽-九州運用に本格的に投入され、また4月27日には「みどり」の間合い運用で日豊本線博多-大分間の「にちりん」にも投入され、九州島内運用も実施。1973年10月には「なは」への投入、さらに1974年4月25日には南宮崎電化で「日向」にも投入されて運用区間が延長、向日町所属車は新潟・上野・宮崎・西鹿児島とさらに広域運用が行われるようになった。しかし、1975年3月10日に山陽新幹線博多開業により、山陽本線昼行特急は全廃。向日町所属車は北陸運用使用車を除いて南福岡と鹿児島に転出した。一方、北陸地区への車両配置は1972年の「白山」運転開始の翌1973年に489系を向日町から金沢運転所へ転出させたことが起源で「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入した。1975年に「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更となり「加越」の運転開始に伴い485系も金沢に配置された。その後489系は「白山」の間合い運用で「あさま」への投入、1978年には3MG化と食堂車が廃止され「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。上越新幹線開業で「はくたか」の廃止、「白山」の食堂車の復活→再廃止などがあったが、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野第一運転区に転属している。また、1985年3月のダイヤ改正では紀勢本線の「く
出典:wikipedia
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