岸本 秀樹(きしもと ひでき、1982年10月18日 - )は京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)。高校の同期には赤松真人が、大学の同期には藤田一也がいる。に選抜大会に出場。ベスト8まで進出した。に近畿大学へ進学。3回生秋のリーグ戦で初登板するが通算で2勝にとどまった。2004年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから5巡目指名を受けて入団。、ルーキーながら開幕一軍入りを勝ち取り、4月3日の対中日3回戦でプロ初登板を果たした。シーズンオフに小山田保裕との交換トレードで、木村昇吾とともに広島東洋カープへ移籍。は速球派の少ない中継ぎ事情もあり、積極的に起用される。5月4日の古巣・横浜戦ではプロ初勝利をあげた。安定感に欠け、敗戦処理中心で大きな信頼を勝ち取るには至らなかったものの、横浜3年間の通算24試合登板を上回る37試合に登板した。は一軍登板がなく、二軍でも防御率5点台と不調だった。は開幕一軍入りを果たしたものの4月に二軍降格となった。5月始めに再び一軍に登録され、終盤の9月に左ひざ痛で離脱するまで、リリーフ投手として自己最多の51試合に登板した。は抑え投手のデニス・サファテに繋ぐセットアッパーとして起用され42試合に登板。シーズン終盤に調子を崩し最終的には防御率4.17だったが、8月上旬までは防御率2点台と好調を維持し、WHIPは1.26を記録した。好投の要因としてはフォークボールの制球が改善したことが挙げられている。も開幕一軍入りを果たし、13試合目の登板となった5月8日の対阪神戦の終了時点で防御率0.60を記録したように、シーズン序盤はまずまずの投球を披露した。ところが、以後は一転して失点を重ねる場面が目立つようになり、交流戦終了後に二軍へ降格。以後は7月と9月に1試合ずつ登板するも、いずれの試合でも打ち込まれた。この年は27試合に登板するも、防御率は6.75、WHIPは1.71と大幅に悪化した。には4年ぶりの一軍公式戦での登板機会がなく、10月1日付で戦力外通告を受けた。通告を受けてから2度にわたって12球団合同トライアウトに参加したものの現役を引退。からは広島のスコアラーに転身する。恵まれた体格から繰り出す平均球速約142km/h、最速153km/hのストレートを武器とし、変化球はスライダーとフォークを投げ分け、2010年からはツーシームも投げるようになった。2009年には与四球率4.62を記録するなど四球が多い。
出典:wikipedia
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