LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

長野電鉄3500系電車

長野電鉄3500系(ながのでんてつ3500けいでんしゃ)は、長野電鉄が帝都高速度交通営団(以下営団、現在の東京地下鉄(以下東京メトロ))から購入した通勤形電車。廃車となった日比谷線の営団3000系を譲受・改造した車両である。長野オリンピックを5年後に控えた1993年(平成5年)に、普通列車の増発と老朽化した2500系(元東急5000系 (初代))や0系「OSカー」などの在来車の置き換え・車種統一を目的に一気に投入された。先頭車(旧3000形)34両、中間車(旧3500形)3両の37両が投入され、長野電鉄の最大勢力車両となった。また、これらとは別に部品確保用として無車籍の先頭車2両(うち1両は事故車両の補充用として使用された)が須坂駅構内に搬入されたため、実際には39両が長野電鉄入りしている。長野電鉄では編成両数の違いによって、2両編成が3500番台、3両編成が3600番台と車両番号(車番)が区分され、さらに2両編成は木島線用での車内運賃収受用に、運転台後部にバス用の運賃箱と運賃表示器が設置された「O編成」とそれ以外の「N編成」に区分されている。車番も3両編成の「L編成」が3601 - 、2両編成の「N編成」が3501 - 、ワンマン用2両編成の「O編成」が3521 - の通し番号で再付番された。これらは「L編成」の湯田中寄り先頭車の主電動機が撤去されている点を除いては性能的にはほとんど差がない。譲受当初は先述の主電動機撤去を除けば、30 - 40 ‰ の勾配が連続する信州中野 - 湯田中間にも入線できるようにするために抵抗器が増設され、車体の窓上下に赤帯が入れられ、社章が長野電鉄のものに交換された程度の改造で就役したが、その後、使用条件の変化などからO編成以外のワンマン運転対応改造や、2001年(平成13年)には京成電鉄から譲受した冷房装置の搭載改造(N3 - N8編成とL編成のすべて)が施工された。電源装置には営団5000系電車の廃車発生品である静止型インバータ (SIV) が使用されている。2002年(平成14年)4月1日の木島線の廃止によって余剰が発生し、一部の非冷房車が運用を離脱した。残った車両は「N編成」と「L編成」が長野線、その他のO編成が屋代線と2006年(平成18年)12月から車内運賃収受が開始された長野線湯田中 - 信州中野間(旧山の内線区間)往復運用で使用されている。ただし、「O編成」のO1・O2は長野線でも使用されることがある。また、2000系の検査時に、主にN・L編成が長野線B特急運用に入ることや、場合によってはL編成がA特急運用に入ることもあるが、その際特急料金100円は不要である。これは、車内設備の相違によるものである。2005年(平成17年)には大型車体で輸送力の大きい8500系(元東急8500系)が投入され、長野電鉄では非冷房車は冷房改造をせずに営業運転終了させる方針に変更。部品確保用の2両が解体され、運用車の廃車も発生した。朝のラッシュ時に須坂 - 長野間で見られたN編成を2本併結した4両編成も8500系3両編成に置き換えられて消滅している。2007年(平成19年)、営団時代に3000系の第1編成だったN1編成(廃車済)が保存のために東京メトロに返還され、事実上の里帰りを果たした。2012年(平成24年)3月31日、屋代線の定期運用の最後の1往復(須坂 - 松代間)のみ、混雑緩和のためN7編成とN8編成を連結し、およそ5年ぶりに4両編成での営業運転が行われた(須坂と松代以外、後ろの編成はホームが短いためドアカット)。3500系は今後も8500系の増備によって廃車が続く予定であるが、8500系は現在のところ、信州中野 - 湯田中間に入線不可能なことから、2000系消滅後の1000系(旧・小田急電鉄10000形)検査時の代車も兼ねて、状態の良い冷房車が残存する予定である。当初の計画では最終的に3本が残る予定であった。2012年1月現在、O6編成が赤帯と「NAGADEN」ロゴが消され営団時代の姿になっている。※ 3524は、当初元3045号であったが、踏切事故で損傷したため事故復旧の際に元3077号に交換された。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。