湘南京急バス堀内営業所(しょうなんけいきゅうバスほりのうちえいぎょうしょ)は、京浜急行バスの子会社である湘南京急バスの路線バスのうち、主に横須賀線横須賀駅を発着する路線の一部と京急本線堀ノ内駅を発着する路線を所管している営業所である。神奈川県横須賀市の京急線沿線を中心に路線を展開している。また京浜急行バスからも路線の運行管理委託を受けており、将来は全ての路線を移管させることが計画されているが、実際は親会社である京浜急行バスへの乗務員登用制度があり、完全移管にはかなりの時間を要すると思われる。営業所記号は NB(京浜急行バスからの委託車両はB)。堀内営業所管内の運賃は、対キロ運賃制であるが、次の区間では、ワンコイン運賃のサービスを実施している。ただし、現金での支払いに限る。路線は、横須賀市北部の国道16号線沿線に集中しており、中でも系統数が多いのが、横須賀駅から東の堀内、観音崎方面である。湘南京急バスが独自に運行するのは、観音崎線の一部のみであり、他の路線・系統は京浜急行バスからの委託を受けて運行する。観音崎線は、湘南京急バスの本線格の路線である。同社が独自に運行するのは、上記の系統であり、走水・観音崎方面と防衛大学校方面に分かれる。共通区間である横須賀駅-馬堀中学間は、両者あわせ12分ヘッドで運行し、その先は観音崎方面に運行する便の比率が高く、休日はさらに高まる。観音崎自然博物館行きは休日のみの運行で、本数は大変少ない。2002年(平成14年)10月1日より、日中の須27系統(自社路線のみ)を無くし、代わりに堀内バス停において乗務員交代を実施している。観音崎線のルーツは1897年(明治30年)に石川卯之助らが開業した横須賀浦賀間乗合馬車にあるといえる。田戸(今の米が浜近辺) - 浦賀芝生間の運行で、石川馬車と呼ばれていた。1913年(大正2年)になると、浦賀横須賀間自働車会社により乗合自動車の運行が開始される。しかし当初のそれは、5 - 6人乗りで、乗客のいない時は運休し、また乗客の申し出によっては路線外へも運行していたようである。運賃も馬車が田戸 - 浦賀間13銭に対して同48銭と高額に設定されていた。大正時代後期になるとバス事業も盛んになり、多数のバス会社が設立された。なかでも当時の横須賀 - 浦賀間は重要幹線であったため、1922年(大正11年)11月1日に太平自動車が、同年に石川自動車が、更に1924年(大正13年)には横須賀自動車商会が、それぞれ運行を開始している。大正末期から昭和初期にかけて、乱立するバス事業者を統合すべく横須賀自動車が設立され、横須賀駅 - 浦賀間の路線もこれに統合された。1927年(昭和2年)5月には上宮田まで路線が延長され、同時期に石川馬車の営業権を買収し、同馬車を廃止している。また1930年(昭和5年)発行の浦賀名所案内によると、馬堀海岸駅 - 走水間および浦賀駅 - 鴨居間にバスが運行されていたことがうかがえる。観音崎線のうち、浦賀・鴨居方面を走る系統は、京浜急行バスからの委託を受けて運行している。浦賀駅 - 観音崎およびかもめ団地間を運行する系統が本数の大部分を占め、横須賀駅や堀内を発着する便は少ない。浦2・浦3は1989年(平成元年)に久里浜営業所から移管された。尚、久里浜営業所担当時代から、ハンドル時間の調整か、現在の堀25にあたる観音崎始発の鴨居経由堀内行が少数ながら設定されていた。久里浜営業所の車両は浦賀駅構内のロータリーか現在の久里浜行バス停手前で降車扱いをしていたが、堀内営業所車両は現在と同じ場所まで走行したため、利用者からは不便がられた。現在もその点は改善されていない。堀23は、始発より数便と終バスまでの数便は堀内発着になるが、これは営業所入出庫の都合である。大津線は堀ノ内駅から横須賀線衣笠駅を結ぶ路線である。始発終発時間帯には車庫のある堀内発着の便が設定されている。衣笠線は久里浜駅・堀ノ内駅から横須賀線衣笠駅を結ぶ路線である。久里浜駅から国道134号、県道27号を走り、全線が横須賀線と並行している。衣笠線は1955年(昭和30年)に運行を開始しているが、衣笠と久里浜を結ぶ路線は戦前にも存在した。すなわち、京浜急行バスの前身である湘南電気鉄道のバス分門が、法塔から大津を経て久里浜新田へ至る路線を1937年(昭和12年)3月に申請し、1939年(昭和14年)10月に免許を得ている。さらに道路を改修して翌1940年(昭和15年)2月21日に営業を開始した。この時の担当は衣笠営業所であった。しかし、戦争によるガソリン消費規制や道路改修の影響で、1941年(昭和16年)2月、開業後1年にして運行休止となった。なお、当時起点であった法塔は県道27号の旧道と同26号の旧道が交叉するところであるが、途中経由地や終点の久里浜新田の場所は不明である。2006年(平成18年)12月1日より前は京浜急行バス久里浜営業所の所管であった。京急本線金沢八景駅と追浜駅の中間にある内川橋から国道16号を下り、JR横須賀駅、京急横須賀中央駅を越えて県立大学駅に近い安浦2丁目まで行くルート。全区間で京急本線と並走する。内川橋、瀬が崎の両停留所は横浜市金沢区にあり、堀内営業所の一般路線では唯一の横浜市内乗り入れ系統となっている。この系統の源流は戦前の横須賀自動車の時代にまで遡り、戦後の最盛期には現在横浜京急バス追浜営業所に移管されている磯子線(4系統)、杉田営業所の横浜線(110系統)と合わさって、横浜市西区の国鉄横浜駅まで行く長距離路線だった。また、現在横浜線・磯子線となっている区間では横浜市営バスへの運行委託や2社局共同運行も行われたが、追浜駅以南の横須賀市内は大東急時代から民営単独で維持されている。2006年(平成18年)に上がった地域での運行要望を受け、2009年に運行を開始した路線。8時台 - 11時台・13時台 - 16時台のみ、1時間に2 - 3本運転される。横須賀中央駅から新港ふ頭を循環する一方向の路線で、2013年3月15日より運行を開始した。当路線開設に伴い、神奈川歯科大学附属病院・三笠公園・ポートマーケット前の各停留所が新設された。1時間に1本程度の運行である。京急では、新橋駅から神奈川県への深夜急行バスを2路線運行しているが、このうち逗子駅への便を当営業所が担当している。新橋駅・品川駅で乗車扱いののち、大船駅までは無停車で運行し、その後大船線・名越線の一部停留所に停車する。なお、2007年(平成19年)2月16日から、鎌倉駅までだったものを逗子駅まで延長し、同時に鎌倉営業所から当営業所へ移管された。免許は当社独自のもので、NB表記車が充当される。かつては久里浜営業所や三崎営業所同様、日野車の牙城であった。現在も日野車が在籍するが、いすゞ車・エルガの割合が高くなり、日野車もブルーリボンIIが導入されるようになったため、ジェイバス製の車体の車両が過半数以上となっている。その中で、L尺の日野・ブルーリボンシティは京急全体でも1台しか導入されておらず、新製時から一貫して当営業所に配置されている。日野・レインボーは台数は少ないものの、10.5mノンステップロング車、9mワンステップ中型車、7mノンステップ小型車が在籍する。日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)車と三菱ふそう車は少数派で、日産ディーゼル車はスペースランナーJPが1台のみで残りはUA系の古参車。三菱ふそう製路線車は小型車の三菱ふそう・エアロミディMJのみの配置である。大型車主体でワンステップバスが多いが、横須賀市からの助成金により、ノンステップバスが湘南京急バス所属車と京浜急行バスからの委託車を合わせて20台程度が在籍している。また、日産ディーゼル製スタンダードデッカーの深夜急行バス用車両が湘南京急バス所属車として1台在籍している。検査等により使用できない場合は、他の営業所の空港リムジン車を借り入れて運行することがある。当営業所は自社運行路線と京浜急行バスからの受託運行路線の双方が存在するため、車両の営業所表記もNB表記車とB表記車の双方が存在する。基本的に車両運用もNB表記車とB表記車で分けられている。
出典:wikipedia
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