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ドラえもん (1979年のテレビアニメ)

『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』を原作とするシンエイ動画制作のテレビアニメである。『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。これらを区別する呼称は公式には発表されていないが、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月から放送中のシリーズを第2期とする。本記事では第2作第1期について記述する。1979年(昭和54年)4月2日から2005年(平成17年)3月18日まで26年間放送された。全1787話制作され、特番用に作られた話数に数えられない作品もカウントすれば全1814話にまで達する。2005年のテレビアニメ版(テレビ朝日版第2作)の放送話数・期間を含めると、テレビ朝日のアニメ作品の中では最長寿作品となっており、日本のアニメ作品の放送期間では、最長寿の『サザエさん』(フジテレビ系、1969年~)と『ルパン三世』シリーズ(日本テレビ系、1971年~。しかし金曜ロードSHOW!のテレビスペシャルを含む。)に続く第3位という記録を誇る。(話数では第2位を誇る。)また今作はシンエイ動画が自社制作したテレビアニメ作品の第1作目である。1979年4月2日より月曜〜土曜までの10分の帯番組としてテレビ朝日のみで放送を開始。同年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された。当初関東ローカル放送だった10分帯番組は1979年10月1日より北海道テレビと静岡けんみんテレビで、九州朝日放送など数局でも1980年春より放送を開始した。その後も原作と共に人気を急上昇させ、まだテレビ朝日の系列局が少ない中でも全都道府県で放送される大ヒット作となった。テレビ朝日や藤子漫画だけでなく、日本を代表する国民的アニメ番組としての『ドラえもん』ブランドを成長させたのは、本作の影響が非常に大きい。現在に続く放送枠及び30分枠での放送が開始したのは1981年10月2日からであり、帯枠放送時からの移行で制作体制も刷新されそれらの美術設定等は2005年の放送終了まで続く事となる。同枠は1975年4月の『勇者ライディーン』よりNET→テレビ朝日が制作、旭通信社(現:アサツー ディ・ケイ)が広告代理店を務めており、1976年の『マシンハヤブサ』から今作の枠移動が行われるまで東映動画が放映権を保持していた。1977年から1981年までは「東映魔女っ子シリーズ」を含めた少女向けアニメを放送する枠として展開されていたが、今作の枠移動により東映動画は6年間保持していた当枠を手放す事となり、放送されていた『ハロー!サンディベル』は30分繰り下がって金曜19:30へ移動となっている。劇伴は菊池俊輔が担当した。菊池は放送開始から20年以上にわたってテレビシリーズと映画のBGMを手がけた。うち一部の楽曲はサントラCDとして商品化された。主題歌『ドラえもんのうた』のシングルレコードは1987年の時点で日本で150万枚を売り上げている。毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『○だ一番! ドラえもん祭り』(「○」には季節が入る)などと題して1時間から2時間に拡大される特番があり 、やや長い中編のアニメ化なども行われた。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた 。特に大晦日はその年の曜日がどの曜日であっても関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、『ドラえもん』の他、『パーマン』、『忍者ハットリくん』などの傑作も放送 )、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただし、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒しをして30日に放送、タイトルも『冬休みだよ!ドラえもん』に変更された。1回に放送する話数は1981年9月まで3話だったが翌月以降は2話(これに伴う1話あたりの放送時間は後述)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった)、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった。なお、30分作品が日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分は全て10分作品の再放送だった。テレビ朝日での10分帯放送も1980年4月以降は土曜日のみ再放送となった。1980年1月1日に初めてアニメオリジナル作品が放送された。また、1981年の放送作品には原作者が同一である『ポコニャン』を原作とした作品が多く制作され、1990年代後半には『チンプイ』、2000年代には『キテレツ大百科』のエピソードを原案にした作品も数作品制作された。また放送が長期に渡ったこともあり、同一の原作を数回アニメ化する“リメイク版”も数多く制作された。初のリメイク作品は1985年に放送された『オオカミ一家を救え!!』である。放送後期にアニメオリジナル作品が量産される傾向が見られ始め、末期にはほぼ全ての作品がアニメオリジナル作品となった。その時期では主に特番などにおいてリメイク版の放送を行った。リメイク作品は帯放送枠時代に放送された作品が中心だが、30分時代に放送された作品をリメイクする場合もある。2005年3月の放送終了までの日本での歴代平均最高視聴率は1983年2月11日の放送で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが、1990年代以降は年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。なお、木村純一プロデューサーによると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという。1996年に原作者の藤子・F・不二雄が逝去した際、遺族がアニメの放送終了を求めたことがあった。テレビ朝日側でも人気や視聴率低下で番組の終了が検討されていたが、筆頭スポンサーであるユニーが遺族やテレビ朝日を説得し、放送は継続された。2004年11月22日当日付の朝日新聞にて声優陣一新の決定が初めて世間に公表され、リニューアルに伴い、2005年3月18日放送の特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル』をもって、同年4月15日からの第2作2期にバトンを渡す形で本作は放送終了を迎えた。当日、直前に放送された『スーパーJチャンネル』では声優陣の卒業特集が行われ、最後のエピソード『ドラえもんに休日を?!』の収録に密着した。ナレーションは玉子役の千々松幸子が担当。準レギュラーからは田中亮一(先生役)、渡部猛(神成役)、佐久間レイ(ミニドラ役)、よこざわけい子(ドラミ役)の4人が降板の挨拶を行った。1973年のテレビアニメ『ドラえもん』第1作の放送終了後、漫画『ドラえもん』の映像化権は、かつての制作会社の日本テレビ動画が消滅していたこともあって宙に浮いていたが、その後は原作者からの信頼を獲得した東京ムービーへと委ねられていた。そして1976年の秋には、東京ムービーの下請制作を担っていたAプロダクションが、シンエイ動画へと社名を変更して独立。東京ムービーの社長を務めていた藤岡豊は、『ドラえもん』の映像化権をシンエイ動画への餞別として快く譲渡した。楠部三吉郎の回想では、1977年秋に原作者である藤本弘(藤子・F・不二雄)にアニメ製作の許諾を求めると、藤本はしばらく沈黙してから「いったいどうやって『ドラえもん』を見せるのか、教えてもらえませんか。原稿用紙3、4枚でいいから、あなたの気持ちを書いてきてください」と答えた。楠部は旧知の高畑勲に依頼して企画書を書いてもらい、高畑とともに再度藤本を訪れて企画書を見せると、藤本は「わかりました。あなたにあずけます」と即答したという。楠部は後日藤本が「『オバQ』にしても、『パーマン』にしても、みな幸せな家庭へ嫁に出すことができました。でも、『ドラえもん』だけは出戻りなんです。(中略)だからもし、もう一度嫁に出すことがあったら、せめて婿は自分で選ぼうと、そう決めていました」と、企画書を求めた理由を話したことを記している。シンエイ動画は手始めによみうりテレビ(YTV・日本テレビ系列)へ新作のセールスを行っており、同局のプロデューサーだった佐野寿七が本格的な企画書を作ったものの、上層部の理解を得られずに企画は頓挫する。佐野は『ドラえもん』の企画書を広告代理店の旭通信社に譲渡することで、シンエイ動画と旭通信社による各テレビ局へのセールスが新たに開始された。楠部三吉郎は、東京ムービーと関係の深かったよみうりテレビ東京支社長が「また一緒にやろう」と誘ってくれたが、シンエイ動画が東京ムービーと「揉めて」独立した経緯があり、東京ムービー時代の「コネ」に頼るのは「仁義に反する」と考えて他局に売り込んだと記している。1978年になると、テレビ朝日の株主だった小学館も再アニメ化への根回しを開始。テレビ朝日の編成部で19時から23時までのプライムタイム担当者だった高橋浩に「藤本先生が『私の作品はどこが受け入れられなかったのでしょうか?』と言われている。『ドラえもん』が日本テレビ放送網で失敗した理由を教えてほしい」という要望で、1973年のテレビアニメ『ドラえもん』26話分の台本と漫画の単行本数冊を入れた風呂敷包みを贈っている。それを自宅に持ち帰った高橋は、小学校低学年と幼稚園児だった娘たちが単行本を楽しそうに読む姿を見て『ドラえもん』は低年齢層向けの作品だと確信するが、アニメ版の台本を読むと対象年齢のターゲットが少し高いように感じた。書店でも、当時の子どもたちが面白そうに単行本を読む光景を観察した高橋は、『ドラえもん』の再アニメ化をテレビ朝日の上司に提案するが「日本テレビで失敗したものがテレビ朝日で成功するわけがないだろう」という一言で却下。高橋は、低視聴率の枠があったら再び『ドラえもん』の企画を出す作戦に切り替える。その後、プライムタイムの低視聴率を問題視したテレビ朝日の編成局長と編成部長が、担当者の高橋を呼び出して責任を問う機会があった。「19時直前の10分番組がローカル放送の『ANN首都圏ニュース』のベルト編成で、なおかつ毎日2%の視聴率では、プライムタイムへのフロー(流れ)ができていません。18時50分から19時までの枠を視聴率が取れ、ベルト編成ができる番組に切り替えれば、プライムタイムの数字は自ずと上がるのではないでしょうか」という高橋の考えに対し、「現在の18時30分から20分間の全国ネットニュース、18時50分から10分間のローカルニュースという編成を、18時から30分間の全国ネットニュース、18時30分から20分間のローカルニュースに拡大すれば、報道局は納得するだろう。そうすれば、18時50分からの10分間をあけることができる」という編成部長の妙案で、高橋は月曜から土曜まで10分間のベルト企画を社内外から募集することになった。高橋が、アニメ、人形劇、特撮もの、歌ものなどを含めて88本も集まった企画に『ドラえもん』も入れて選定中の頃、小学館やシンエイ動画と組んで『ドラえもん』の再アニメ化を各テレビ局にセールス中だった旭通信社が、テレビ朝日におけるベルト企画の状況を聞いてきた。高橋が『ドラえもん』を薦めると、旭通信社も同意して『勉強部屋のつりぼり』と題したパイロット版を持参。このパイロット版は高橋の上司の編成部長にも好評であり、様々な紆余曲折を経た『ドラえもん』の再アニメ化は10分間のベルト新番組として、1979年4月の改編期に決定する。テレビ朝日における月曜から土曜までの時間帯(18時50分~19時)は関東限定のローカルスポンサーしか存在せず、安い広告料しか得られない広告代理店も製作リスクが高いことから、月曜から土曜まで放送した『ドラえもん』を日曜朝(8時30分~9時)の全国同時ネット用に再編集して放送する珍しい編成になった。)楠部三吉郎によると、他局へのセールスに色よい反応がなかったため、パイロット版を作ることにしたという。なお、楠部はパイロット版の完成時期を「1978年秋」と記している。パイロット版の時点で本放送キャストの大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也、千々松幸子の6人が既に同役で参加しているが、パイロット版で起用されていたキャストは、放送決定後に改めてプロデューサーなどの意向を含め変更されることが多いため、これはかなり特異なことである。楠部三吉郎は、このキャストは音響監督だった浦上靖夫が選んで連れてきたと記している。本作の第1話「ゆめの町ノビタランド」はプロローグ的な意味合いなどは全く持たない平常的な作品であり、普通に本編から始まっていることから、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられている。他にも、しずかの髪の色が栗色であったり、美術設定に川本征平が起用されているなど、第1作と同一の設定も散見される。なお、ドラえもんが初めてのび太の前に現れる原作の第1話にあたる「未来の国からはるばると」は、翌年の正月特番として放送された。構成(通常時)1993年下半期以降は基本的にAパートは新作、Bパートは再放送。1話あたりの放送時間は時期により異なる。「ドラえもんのうた」の歌手、エンディングテーマの曲および、サブタイトルと次回予告、エンドカードのアニメーションは放送年期により変化している。提供クレジットは、1990年代前半までブルーバック、その後はその日の新作からのワンシーンが静止画を経て、映像で紹介されている。BGMは、「ドラえもんのうた」やその時期のエンディングが使われていたが、80年代後半から90年代初頭の一時期だけ「ポケットの中に」(映画第1作・第2作のエンディング)が使われたことがある。1981年9月(第617話)までは挿入されていたが、同年10月以降廃止された。内容に関しては、放送した内容に関連したことを改めて5秒程度で描写される。一部を除き、ドラえもんかのび太は必ずといっていいほど登場する。作品に関与していればジャイアン、玉子なども登場し、本編との関わりがなくともドラミやノラミャー子などが登場することもあった。617話までの前期作品(特番を除く)には全て押入されていた。BGMには『青い空はポケットさ』のイントロが使用されているものがほとんどだが初期の作品では『ドラえもんのうた』のイントロが使用されている回が4回ある。ドラえもんの「ぼく、ドラえもんです」で始まり、次回のAパートの紹介と、A・Bパートのサブタイトルを読み上げ、「楽しみにまっててね」の一言で締める流れである。BGMは、ほとんどの回で「ドラえもんのうた」のインストゥルメンタルが使用されている。特番・映画の予告では「○月○日夜○時より、ドラえもん○○スペシャル」または「映画ドラえもん○○」と言う。基本的には30秒だが、時期により15秒(特に劇場版の公開前後は宣伝スポットが流れる為、このケースが多い)であったり、次回予告そのものがカットされたりすることもある。2代目は、提供クレジットの後に「ドラドラどこかにドラえもん」を編集したものがBGMとして流れ、黄色い画面をバックに画面右方向からドラえもんが現われ、次に立て札で次回予告を表示し、最後に立て札を裏返した上で「おたのしみに」の表示に書き換えてドラえもんが画面左方向に立ち去っていく形で番組が終了する段取りになっていた。よって2代目でナレーションが行われていなかったのはそのためである。◎は現在他系列局だが、放送当時テレビ朝日系列と他系列とのクロスネットだった局。特記なきものは1番を使用。「ぼくドラえもん」は10分枠でのみ使われており、全国放送の30分枠に着目した場合、一貫して「ドラえもんのうた」が使われていた。初期の10分帯枠にはエンディングがなく、最初のエンディングは日曜枠のものである。「あしたも♥ともだち」までは基本的に3、4年周期(1983年クリスマス前限定の「サンタクロースはどこのひと」を除く)で、「ぼくドラえもん2112」は7年半使用と、20世紀はエンディングテーマをかなり長期サイクルで使ってきたが、「またあえる日まで」以降はタイアップ色の強い曲で半年ごとに変わっていた。このほか、映画の宣伝のため一時的にエンディングが変更された時期がある。1996年ごろまでは毎年2月 - 3月にかけてエンディングテーマ後に新作映画公開のお知らせが入るため、エンディングテーマもショートバージョンでの放送となっていた。日曜枠で、本編終了直後に流れていた歌。そのあとCMを挟んでエンディング「青い空はポケットさ」が流れていた。テレビ朝日では「推理クイズ・マゴベエ探偵団」(名古屋テレビ制作)の途中で日曜日朝6時55分からも流れていた。ドラえもん、ドラミちゃんのえかきうたは後に水田わさびと千秋がカバーしている。アニメ版『ドラえもん』第2作1期の放送は約26年間も続いたので画調も時間と共に少しずつ変わってきた。しかし中にはスタッフたちが意図的にキャラクターデザインを変更したことが何回かある。大きく分けて計3回行われている。キャラクターデザインは中村英一により行われた。本人も自覚しているがあまり原作の絵と似ていない。本人いわく「アニメ用のキャラデザインをするにあたって大変悩んだ。何とか原作に似せようと努力したがやはり自分の絵になってしまい力不足を痛感した。」とのことであるが、キャラクターデザインはもとより絵への影響は作画監督者による影響の方が大きい。作画監督者により絵は大きく異なる。だが基本はキャラクターデザイン者および総作画監督を務める中村英一の指導のもとに絵が確立されるため大きく異なるといってもそのキャラクターが誰だか分からなくなるということはまず無い。のび太の家が原作の物と形状が大きく異なる。外見上は原作の家より第1作と同じ木造である点は同一であり、窓、その他の形状などはいずれの物とも異なる。美術設定を第1作に引き続き担当した川本征平は、戦後の区営住宅をイメージして設定したと語っており、庭に設置されたバーゴラや、タテはめ板の外壁、瓦棒葺き屋根、中廊下式などの造りがそのことを特徴づけるデザインとなっている。当時原作で「タケコプター」と「ヘリトンボ」の名称が入り混じっていた。番組スタッフの別紙壮一がそれらをタケコプターに統一し、それを原作側が逆輸入し原作でも名称がタケコプターに統一された。1980年4月の特番からドラミは登場するが、作者の意向でガチャ子は登場しない。帯枠時にガチャ子が登場する原作が数作品アニメ化されているが、いずれにおいても同じである。しずかのニックネームは原作では「しずちゃん」だが、アニメ版ではほぼ「しずかちゃん」へ統一している。また、原作でしずかは「あなた」を「あんた」などと言うことがあったが、担当声優である野村道子が放送開始から間もなく「あなた」に統一した。また、静香の母のキャラクターデザインはふくよかに描かれた原作のものとは大きく異なっており、初登場した第3話以降 映画も含め最終話まで、静香によく似たオリジナルのデザインが通された。このデザイン設定は第2作2期にも引き継がれている。アニメオリジナル作品が増加した2000年代に入るとジャイ子を初めとしてミニドラ、スネ吉、神成、ミイちゃん、ジャイアンの犬であるムクなどの脇役たちの登場が増加する。また、原作に登場したひみつ道具の効用はほとんどそのままに外見とストーリーを少し変えただけの作品も多く放送されている。『ドラえもん』は基本的には一話完結なので、単行本収録順にアニメ化をしているというわけでもなく、原作の作品を順不同にアニメ化して放送している。そのため、放送し残した作品などもある。『ドラえもん』は一話完結であるとはいえ、登場人物が前にあったことを基本的に覚えていて、のび太が「前に使った道具だ」などと言ったりする。そのため、てんとう虫コミックス第11巻収録の「もしもボックス」よりも先にてんとう虫コミックス第13巻収録の「お金のいらない世界」が放送された時には矛盾が生じたことがある。放送開始時には、すでにてんとう虫コミックス第15巻まで出版されていた。原作初期のドラえもんおよび、前作である第1作のドラえもんには現在に続く保護者的側面はほとんど無く、かつてのQ太郎のようにナンセンスなギャグ騒ぎを起こすトラブルメーカーとしての側面が強かった。しかし、放送開始初期の帯枠時はアバウトな一面も見られたものの、今作においてドラえもんがトラブルメーカー的なキャラクターに描かれることはまず無かった。帯枠から金曜の枠に入った時点では、すでにドラえもんはのび太を呼び捨てにすることはほとんどなくなっている。それ以降に原作初期の作品がアニメ化された場合も、原作のドラえもんの比較的過激なセリフは、ほかのキャラクターに差し替えられていたり、改訂されていたりする。その中で大きかったのは、大山のぶ代による「ドラえもんは子守用ロボットであるから乱暴な言葉遣いなどはしない」という考えによって彼女なりに意識して演技を続けた結果であり、「ぼくドラえもんです。」というセリフも元々「です」とは付いておらず彼女自身が付け足したものである。他にも「のび太を呼び捨てにしない」などの意向を持ってドラえもんを演じていた。原作もある程度は同一ではあるが、のび太がひみつ道具を携えて町へ行き騒動を起こすくだりは今作では少し濃めに強調されており、ドラえもんがのび太に同行することは稀である。その一連の経緯で今作での「ドラえもん」というキャラクターはのび太に対する保護者的側面が強く描かれるようになっていった。映像的な面においては、今作のドラえもんの身長は設定上は原作と同じ129.3cmであるものの、実寸100cmで描かれている。理由は至って単純であり、ただその方がかわいらしく見えるため。これにより今作では放送開始時から、原作ではたいして大きくないドラえもんとのび太の身長差は格段に大きく描かれており、この点は第1作には見られなかった工夫である。また、この作画設定は次作にも受け継がれている。ビデオ・DVDはすべて小学館より発売されている。本作のビデオソフトは、放送開始時から長らく発売されていなかったが、1993年に放送15周年記念として順次刊行された。「傑作選」として発売しているため、収録されているものは一部である。このため、未収録話が多数存在するほか、収録順も放送時とは異なる。なお、本放送時のフォーマットは使用されておらず、ビデオ用に編集されている。このため、次回予告は一切収録されておらず、オープニングとエンディングはビデオの最初と最後に収録されている。また、スタッフのクレジットもビデオ用にすべて差し替えられている。また、スタッフのクレジット表記は放送時のものとビデオ刊行時のものが混在して表記されている。2009年にTV放送30周年記念として1979年放送分(10分番組)を全話収録したDVD-BOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』が発売された。続巻は発売されていない。これ以降は収録話数・価格を抑制した『ドラえもんTVシリーズ名作コレクションDVD』(ISBNにより書店でも販売)に転換している。ただしコレクションDVDに収録される作品はほとんど特番用作品で、今作のレンタル用DVDに収録されているものとも収録作品がかなり重複している。そのため、日本で放送が長期化している主に国民的アニメと言われている作品の中では現在まで一切映像ソフトが発売されていない『サザエさん』を除いて、映像ソフト未収録作品の割合が極端に多い。また、放送当時は問題とされていなかったが現在になって差別描写として扱われるようになった演出の含まれる作品も、現在では本編の前に注意書きと断りのテロップを挿入したうえで収録する事で、問題をクリアしている。2012年4月23日、小学館は2011年発売の『ドラえもんTVシリーズ名作コレクションDVD』ゆめの町ノビタランド編と『ドラえもんタイムマシンBOX1979』に収録されている「一生に一度は百点を」で、制作当時のいたずら書きに不適切な表現があったとして該当部分約2秒を削除したDVDに交換することを発表している。2005年3月の放送終了以降、放送回数の莫大さ故に容易な再放送が行えないため、本作の本放送フィルムを使用した純粋な再放送は一度も行われていない。これについては帯枠時の617回分が10分番組故に細々し過ぎてしまう点や、それ以降の新作と再放送作を合わせて放送した番組の編成形態などにも問題がある。純粋な再放送は放送30周年を記念した2010年の特番のみで、当時の10分番組として開始した第1回放送分である「ゆめの町ノビタランド」を、オリジナリティを考慮したうえでそのまま放送された。2014年からは前述のとおり、CSのテレ朝チャンネル2にて「ドラえもん名作コレクション」として放送中。ここでは傑作選という形式でいくつかの作品を1つの番組にまとめ再編成した上で再放送を行っている。2015年の大晦日に地上波の新作大晦日特番の番組宣伝を兼ねて、歴代の「大晦日だよ!ドラえもん」1980年~2004年分、現声優陣の「大晦日だよ!ドラえもん」2005年~2013年分の一斉再放送が行われた(ただし、提供クレジット部分の一部カットと本放送時にあったCM入り時テロップ「CMのあとは○○だよ!!」などの表記削除が行われている。それ以外の本編は完全にノーカットのオリジナル)。大晦日の特番に関してはCSではあるが初の完全再放送であり、権利関係が厳しい中、テーマ曲をカットせずに放送された。放送開始からおよそ1年、帯枠時だった1980年に劇場用作品第1作が公開された。それ以降、毎年3月に新作が公開され2004年までに全26作品が公開されている。また、第4作以降の作品は全て芝山努が監督を担当している。1988年公開分のみ原作者の体調不良により原作となる大長編が存在せず、1997年以降の原作者死去後は、藤子プロが原作漫画の執筆を担当した。原作漫画の大長編シリーズとしても2004年の物が最終作となっている。毎年1本新作を公開する製作体制は小学館のノウハウとなり、後にポケットモンスターの劇場版シリーズなどにも生かされている。

出典:wikipedia

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