荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月21日 - )は北海道紋別郡西興部村出身の元プロ野球選手(投手)。西興部中時代から速球派投手として知られ、北海高校では2年からエース。2年秋の秋季北海道大会の対千歳高戦では、北海道高校野球史上初の完全試合を達成。1959年、3年春の春季北海道大会の対歌志内高戦では、初回先頭打者から13連続三振の快記録もマークする。同年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け、甲子園出場を果たすことはできなかった。同期には茅野智行(芝浦工大 → 西鉄)・八木沼陽一(立教大 → 河合楽器)、1期下には佐藤進(富士鉄室蘭 → 国鉄・産経 → 中日)などのメンバーを擁していた。シュート、アウトローに速球を配する巧みなコントロールが武器。1959年のシーズンオフ、読売ジャイアンツに入団。将来のエース候補として大いに期待されたが間もなく肩を痛め、思うような成績を残すことはできなかった。1962年に西鉄ライオンズに移籍する。同年に一軍初登板を果たすが、その後は出場機会がなく、1971年限りで引退。引退後はデサントに勤務。その後巨人にスカウトとして復帰し、後に編成部専任次長も兼任、ドラフトによる選手補強に手腕を発揮した。現在に至るまで、北海道高校野球史上最高の投手という評価を受けている。また、著名なスポーツアナウンサーでもある西田善夫も、「自分が見た高校生の投手では作新学院高の江川卓と北海高の荻野一雄が双璧」と後年語っている。
出典:wikipedia
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