寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は元文部省官僚。映画評論家。京都造形芸術大学芸術学部マンガ学科教授。官僚時代にはゆとり教育の広報を担った。福岡県福岡市出身。当時九州大学医学部講師で後に鹿児島大学医学部小児科教室教授となる医師・寺脇保の長男として生まれる。母方の祖父も小児科学の医師で九州大学医学部長や九州大学総長、久留米大学学長等を務め勲一等を受けた遠城寺宗徳。遠城寺は父・保の師でもある。10歳まで福岡で過ごした後、父の鹿児島大学医学部への赴任に伴い鹿児島県に転居。1965年、ラ・サール中学校に首席合格(中学の同級生に俳優・タレントの池畑慎之介(ピーター)がいた)。1971年にラ・サール高校を卒業後、高校卒業時の成績は250人中230番台であったが、卒業式では卒業生総代として答辞を述べた。その内容はというものだったため、同級生から喝采を浴び、翌朝の地元紙には「造反答辞」と報じられた。高校卒業後は現役で東京大学に入学、法学部に進学した。1975年、東京大学法学部を卒業し、文部省にキャリア官僚として入省し、1992年には職業教育課長就任。広島県に教育長として出向(1993年-1996年)した後、文部省に復帰した。事務次官有力候補者が任命される官房三課長には就かなかったものの、大臣官房政策課長を経て、いわゆる中二階ポスト(局次長・審議官・部長)である大臣官房審議官(生涯学習政策担当)に就任した。この間、同省の推進した「ゆとり教育」政策に関して、マスコミの前面に出て同省の見解を説明するスポークスマン的な役割を担った(ゆとり教育に関わる点の詳細は後述)。2002年、大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となった。2006年4月、同省の事務方より退職勧奨を受けるが、小坂憲次文部科学大臣に慰留されたこともあって辞職せず、中二階ポストから寺脇のために新設された課長級に当たる大臣官房広報調整官に就任するという異例の降格人事となった。その後、2006年11月10日付で文部科学省を辞職した。現在は東大卒の元文部官僚との冠付きで関西ローカル番組によく出演している。この他、北海道芦別市にある星槎大学通信制課程共生科学部の客員教授も務めている。文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。また、在任時には、いわゆる「ゆとり教育」「脱偏差値」「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「生涯教育」などを推進したため、「ミスター文部省」と呼ばれた。そのため、「ゆとり教育」を中心としたこれら一連の政策への批判が高まるとともに、個人としても批判を受けることが多くなった。元産経新聞論説委員の高山正之からは、小尾乕雄・鳩山邦夫と並んで、日本の教育を崩壊させた戦犯だと批判されている。2002年の文化庁への異動は、文部科学省が批判をかわすためであったが、文化庁への異動後も「ゆとり教育」肯定の立場から発言を続けた。文部科学省退官直前には、「今後も教育や文化について、民間の立場から取り組んでいく」と述べ、その後も「ゆとり教育」推進の立場からの発言や著作を続けるほか、NPOカタリバが主宰する高校生支援・キャリア学習プログラム「カタリバ大学」の学長を務める。また2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し、開校後は理事を務めている。ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。また、朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている。映画評論家としての顔もあり、大学在学中から『キネマ旬報』の「読者の映画評」欄の常連であった。その後、1975年から映画雑誌から原稿依頼が来るようになる。「キネマ旬報」にも「映画評論家」の肩書きで寄稿するようになった。1987年からは月刊の個人ミニコミ『B級映画映画評論家通信』を発行し公開された日本映画全てを批評して、3冊の著書にまとまるなど映画に関する著書もある。そのため、マスメディアには映画評論家としてコメントを寄せることも少なくなく、文部科学省在職時代から、日本映画映像文化振興センター副理事長に就任している。観る映画は日本映画だけと公言していたが、1995年にあきた十文字映画祭で寺脇にとって約30年ぶりの外国映画となる韓国映画を4本鑑賞し、急に韓国映画を観るようになり、2003年から2007年まで4年間で250本の韓国映画を鑑賞。『キネマ旬報』誌では「映画が〈日韓〉をつなぐ」を連載した。洋画についてもほとんど観ていなかったが、2008年になって本格的に観るようになったという。映画を通じた日韓の文化交流にも当たっている。2004年に文化庁が主催して韓国で開催されたイベント「日本映画:愛と青春」(1965年から1998年に発表された日本映画46本を上映したもの)は、文化庁に在職していた寺脇が中心となって進めた企画だといわれているが、黒澤、小津ら、巨匠と呼ばれる監督の作品をあえて排し、日活ロマンポルノに属する作品を入れるというラインナップが物議をかもした。日活ロマンポルノ評と取材を通じて、映画監督の根岸吉太郎と脚本家の荒井晴彦と懇意になり、荒井が発行人を務める『映画芸術』誌の運営に2009年から協力。寺脇が在籍する東北芸術工科大学に映像学科が新設される際には、教授と学科長として根岸を招聘した。インタビューでは「今の私にとっては日本の社会に準じるくらい自分の生活と結びついている社会だと思う」との理由から、外国映画は韓国のものしか観ないと答えている。洋画を観ない理由として「アメリカだとかイギリスの社会は私とはあまり結びついているものではないから、それほど観たいとは思わない」と述べている。ピンク映画や、いわゆる「B級映画」についても言及することが多い。ピンク映画の世界では、親しみを込めて「ケンちゃん」と呼ばれている。2012年、昭和天皇の戦争責任論をテーマにして、坂口安吾の小説「戦争と一人の女」の映画化を企画した。フリーマガジン「らくご☆まがじん」顧問。寄席情報誌『東京かわら版』に連載「演芸ノ時間」を持つ。2009年12月12日に現役の内閣総理大臣(鳩山由紀夫)や仙谷由人行政刷新大臣(のちの国家戦略大臣)と会食した際に、「落語評論家」の肩書になっていた。
出典:wikipedia
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