『ベストテンほっかいどう』("Best10 Hokkaido")は、HBCラジオの音楽番組。パーソナリティは中野智樹とMAYU。『ベほ』という略称も使われている。1971年11月に放送を開始し、幾度の変遷を経ながら放送を続けている長寿番組である。タイトルの通り、北海道の邦楽ヒットチャートのベスト10をランキング形式で発表。低迷期もあるものの、月~金曜の帯番組時代に高聴取率を獲得し、特に1987年頃までは道内ラジオ全局・全世代の中で聴取率1位を頻繁に獲得していた。首位を争っていたのはニッポン放送からネット受けしている『テレフォン人生相談』だった。なお、80年代には当番組に対して、洋楽のみを集計したHBC制作のチャート番組(週1回・1時間)も存在したが、現在は無い。ランキングの決定要素は聴取者からのリクエストに加え、オリコン、USEN、レコード店売上等も対象としてきた。2008年10月現在は、オリコン人気ランキング、moraダウンロードランキング、道内主要CDショップのセールスデータ、ハガキ・メールリクエストを集計したものをランキング決定要素としている。なお、CD発売(またはネット配信による発売)前の曲は、ランキング入りの対象とならない(発売予定がなく、オンエアのみの曲はこの限りでは無い)。以前は曲毎に獲得ポイントを発表していた(集計方法は後述)が、現在は子細な集計方法を公表していない。TBS系『ザ・ベストテン』が放送されていた時期には、当番組のランキングがラジオ総合ベスト10のデータとして活用されていたほか、この時期にDJを務めていたパーソナリティは『ザ・ベストテン』で北海道地区の「追っかけマン」も兼任していた。かつては番組の冒頭で「輝く伝統と信頼あるランキング、放送回数○○○○回を数えて、21世紀に走り続けるベストテンほっかいどう」という下りから始められていた。スタート当初は午後の生ワイド番組「ハロードライバー~こちら第3スタジオ~」(月~金曜・14:00~17:30)内の1コーナー扱いで、タイトルは「ベストテン北海道」だった。その後、番組表上は「ハロードライバー」枠に含まれるものの、事実上独立した番組となり、16:00~17:15に放送していた。途中に道路交通情報・天気予報・フェリー情報等が挿入されたため、実質の放送時間は60分程度だった。パーソナリティは「ハロードライバー」のパーソナリティが兼任していた(一部例外あり)。当時はランキング決定要素として「レコード売り上げ」「有線放送リクエストランキング」の実働データと、「ハガキリクエスト」「電話リクエスト」のリスナー参加によるデータの4つをそれぞれランキング化。レコード・電話リクエストは1位200点~20位10点の10点刻み、有線・ハガキリクエストは1位100点~10位10点の10点刻みでそれぞれポイントを与え、600点満点の合計ポイントで総合ランキングを決定していた。このランキングデータは、放送中の曲紹介時にパーソナリティにより「レコード○位、有線○位、ハガキで○位、テレホン○位、トータル○○○ポイント、×××(歌唱者)、□□□□(曲名)、第×位!」という形式で公表されていた。またリスナー参加企画として、その日の10・8・6・4位の曲をそれぞれ生電話でつながったリスナーが予想する「ランキングシャウト」コーナーがあり、予想が当たったリスナーには好きなシングルレコード1枚がプレゼントされた。場合により、通常のランキングシャウトに代えて、下記のシャウトになることがあった。なお参加した4人全員がランキングを当てた場合は、プレゼントが「好きなアルバム1枚」にアップグレードされた。リスナーの呼称とは別に、リクエスト参加者を「リクエスター」と呼ぶのはこの頃から現在に至るまで変わっておらず、『全てのリクエスターの中から抽選で*名に~』と言った言い回しがなされている。当時の番組の流れは概ね以下の通り。昼番組として放送されていた1988年9月までは、土曜日に放送されていた午後ワイド番組(「ダイナミック・サタデー」→「夢色土曜日・これがラジオだ」→「夢色土曜日・晴れた顔して多恵子です」)内の15時台に、月~金曜のポイントを集計した「ダイナミックベストテンほっかいどう」(後に「ベストテンほっかいどう週間ランキング」に改題)が放送されていた他、日曜午後(13:00~16:30)には「決定!全日本歌謡選抜」(後に「TOYOTA SUPER COUNTDOWN 50」へ改題。1982年4月~1994年3月)が、ナイターオフ期の毎年10月~3月には「ジャンボとケロコのHBCベスト100 マラソンランキング」(1973年~1983年・月~金曜18:45~20:00)が放送され、前述の洋楽チャート番組も含めHBCラジオでは毎日、午後に何らかの音楽ランキング番組を放送していた。これは全国的にも珍しい編成だった。当番組に転機が訪れたのは1988年。この前年辺りから、STVラジオの『ドライビングパートナー・STVホットライン』に同時間帯聴取率1位を奪われるケースが増えてきた。このため1988年10月に、同局が平日生ワイドを全面改編するのに伴い「ベストテンほっかいどう」は夜番組へと移動。放送時間は当初月曜~金曜の22:00~23:00で、翌1989年4月より21:15~22:50、1992年4月より21:00~23:00、1994年4月からは21:00~23:30となる。新たなメインターゲットである小・中学生・高校生でも聴きやすい夜へ移行したことにより、聴取者を取り戻すことに成功。長期間にわたり安定した聴取率を記録した。皮肉なことに、2005年まで聴取率同時間帯1位を殆どの時間帯でSTVなど他局に明け渡してきたHBCが、1位を獲得できる数少ない番組の一つが、この夜に移動してきた「ベストテン」であった。STVラジオも1989年以降『サッポロ2130 夜は金時』など自社制作の夜ワイドを数多くぶつけて対抗するものの、1~2年程度で番組を入れ替える時期が長く続き、1994年の『船守さちこのスーパーランキング』開始まで試行錯誤を繰り返すことになる。夕方時代は、実時間が短い中に情報コーナーなども含まれていて時間がタイトだったことと、同じパーソナリティが担当していた「ハロードライバー」で15時台にゲストコーナーが設けられていたこともあり、歌手などのゲストを招くことは殆どなかったが、夜ワイドへ移行した「ベストテンほっかいどう」では、時間枠拡大を生かして、夕方時代にはなかったゲストコーナーや企画ものコーナーを新設したほか、「ランキングシャウト」に代わるコーナーとして1989年の秋改編より、留守番電話へ寄せられたメッセージをそのまま再生する「話し太郎」が導入され、放送中を中心とした夜~深夜の時間帯は、留守番電話「話し太郎」にメッセージを入れたい中高生が殺到し、話し中が長時間続く状況が生じていた。ランキングの決定要素も改められ、「レコード」「有線」「ハガキリクエスト」「電話リクエスト」の4つのランキングデータは変わらないものの、電話リクエストについては1位300点、2位290点~の10点刻み、有線・ハガキリクエストについては1位100点~10位10点の10点刻みとなった。レコードは1位100点~10位10点の10点刻みで、11位0点、12位以下-10点と減点され、それぞれポイントを与え、合計ポイント(600点満点)で総合ランキングを決定するという算定方式となった。しかし、1999年の秋改編より、TBSラジオの「アクセス」をネット放送する事となり、1999年9月をもって、単独番組としての「ベストテンほっかいどう」は一旦終了する。単独番組が終了した「ベストテンほっかいどう」は、1999年10月より、ナイターオフの枠で新たにスタートした「MOVE ON」の1コーナーに規模を縮小、「MOVE ON ベストテンほっかいどう」(ムーブ・オン ベストテンほっかいどう)となる。さらに2000年4月からは日曜午後の「松橋勝巳 サウンドスタジアム」内の1コーナーに移行と、放送時間が二転三転する流浪の時代へと突入する。このときの放送はそれまで土・日に放送されてきた「週間ランキング」を受け継いだものであり、デイリーランキングの放送はこの時点で中断している。これ以後の放送時間や内容の変遷を以下に時系列で示す。2008年春の改編以降は日曜日に放送日が定着。特に2012年以降はプロ野球のシーズンオフに放送時間を延長→シーズンインで短縮を繰り返す形態が定番となった。夕方時代夜ワイド時代流浪時代
出典:wikipedia
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