白頭山(はくとうさん、朝鮮語: ペクトゥサン Paektusan・)は、中華人民共和国(中国)吉林省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)両江道の国境地帯にある標高2,744mの火山。別名、長白山(ちょうはくさん、 チャンパイシャン)。中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯にあるこの山は、古くは「不咸山」「白山」「太白山」と呼ばれた。このうち「白山」「太白山」は中国でも朝鮮でも後世までこの山の別名としても使われた。李氏朝鮮の時代には「太白山」と呼んでいた。白頭山という名称の起源は不明である。満州民族の満州語ではゴルミン・シャンギヤン・アリン( 転写:Golmin Šanggiyan Alin、「どこまでも白い山」)と金の時代より使われ始めた。清朝では長白山(ちょうはくさん。中国語:'/' チャンパイシャン、Chángbáishān)と漢訳され定着している。同じく領土地域に含まれる北朝鮮では「金日成将軍の歌」など、長白山(チャンベクサン、Changbaek san、朝鮮語:)の名称を長らく用いてきたが、近年では白頭山を使うのが一般的になってきている。現在も実効支配の領土地域ではないが、韓国は「長白山」呼称は中国による侵略の残滓であるとして国際的な呼称問題運動を展開して摩擦を起こしてきた(また領有権について歴史認識問題も発生している(#領有問題)。その結果、近年では「長白山」より「白頭山」の名称が先に記述されたり、世界各国でアルファベット表記のPaektusan、Baekduが採用されるにいたって、後手にまわった中国で反発の声があがり、「長白山」の名称を積極的に使うように各地で巻き返し運動が展開されている。山の中央部は、地下のマグマの上昇圧力により、毎年3mmずつ上昇を続けている。また、黒曜石の産地でもあり、朝鮮半島北部の旧石器時代から新石器時代の遺跡で出土する石器に用いられる黒曜石の産地は白頭山であることが多く、既に黒曜石を介した交易が存在したとされている。なお、海溝の沈み込み帯から離れ過ぎた位置に存在している火山のためマグマの成因が不明であったが、2009年9月から3年間かけた地球深部の三次元構造調査・研究の結果、中国北東部(白頭山)の地下に沈み込んでいる太平洋プレートのマントル遷移層スタグナントスラブに、大きな穴が空いていることが発見され、穴と白頭山の成因に関連性があると考えられている。頂上には天池(ティエンチ)と呼ばれるカルデラ湖がある。満州を潤す松花江、および中国と北朝鮮の国境である鴨緑江・豆満江はこの山を源と発している。天池は周囲12kmから14kmで水深の平均は213m、一番深い部分は384mとなっている。10月中旬から6月中旬までは天池は氷に覆われる。天池の周りは2,500mを超す16つの峰が取り囲んでいる。その最高峰は将軍峰であり一年の8ヶ月は雪に覆われている。天池から北に出る川があり、出てすぐのところで落差70mの滝長白瀑布を形成している。山麓は、朝鮮側は朝鮮半島の摩天嶺山脈などの高原地帯、中国側はなだらかな傾斜が東北平原まで続く。中国側の山麓では、朝鮮人参の中国版とも言える長白山人参(又は中国産朝鮮人参)が栽培され、日本などに輸出されている。この他、中国側では様々な薬草が栽培されている。白頭山の気候は非常に移り気である。山頂の年平均気温は摂氏マイナス8.3度である。夏の間は18度に届く時もあるが、厳冬期はマイナス48度にまで下がる時がある。1月の平均気温はマイナス24度、7月の平均気温は10度であり、一年のうち8ヶ月は気温はマイナスに零下まで下がる。山頂の平均風速は秒速11.7m、12月には平均で秒速17.6mの強風となる。平均湿度は74%。近代的な火山研究が始まったのは1900年代以降で活動歴の解明は進んでおらず、研究者により様々な年代の噴火説が出されている。周辺国の歴史記録書に白頭山の火山活動を示唆する記述がある。白頭山は約1万年間の活動休止期間後の10世紀前半に過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こし、その火山灰は偏西風に乗って日本の東北地方にも降り注いだ(白頭山苫小牧テフラ(B-Tm))。火山爆発指数は6と推定されている(火山爆発指数の一覧を参照のこと)。この噴火と926年の渤海滅亡との因果関係が指摘されているが、各種の年代推定は940年前後を示唆するものが多く直接の関係はないとの見解が有力である。噴出物の地質調査結果によれば活動は6ステージに分けられる。2002年から2005年頃まで周辺で群発地震が散発的に発生し、地割れや崩落が起き山頂の隆起が観測されていた。更に、2006年には衛星画像の解析から山頂南側で温度上昇が観測され、ロシア非常事態省は、白頭山に噴火の兆候があると発表している。更に2010年6月19日には、釜山大学の尹成孝(ユン・ソンヒョ)教授が、中国の火山学者の話として、2014-2015年に噴火する予測を立てていることを韓国各紙で明らかにしている。2002年以降、地震の回数が以前よりも約10倍に増加。頂上の隆起・カルデラ湖や周辺林からの火山ガスの噴出が確認されている。もし大規模な噴火が起これば、その規模は2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火の約1000倍となり、極東地域では甚大な被害が予想され、大韓民国気象庁が対策に乗り出し始めている。なお、白頭山の噴火間隔は約100年とされている。2010年のアイスランドの火山噴火や、2011年3月の東日本大震災が発生してから、諸国の学界では白頭山噴火の可能性が提起され、北朝鮮でも噴火説が広まっている。白頭山は渤海が滅亡する926年までは渤海領であり、その後は渤海を滅ぼした契丹(遼)の領土になった。その後は金の領土、モンゴル帝国の領土と変遷していった。朝鮮人が白頭山を領有するようになったのは李氏朝鮮の世宗(在位:1418年 - 1450年)の時代になってからであり、世宗は鴨緑江・豆満江沿いの要塞化を進め、白頭山は朝鮮民族と北方民族との境界となった。白頭山は周囲に住む民族から崇拝を受けてきた。文化・信仰としてはまず、韓国でも北朝鮮でも、『三国遺事』が引用する「朝鮮古記」による「檀君神話」が国定教科書で教えられていて、最初期の朝鮮国が白頭山で起こり、その後、平壌に遷都したので、白頭山は「朝鮮民族の揺り籠」であると多くの人が信じている。しかしその根拠になっている『三国遺事』に登場する山の名前は太伯山で、今(『三国遺事』が書かれた当時の今)の妙香山(北朝鮮の平安道にある山)だと書かれている。なお「三国遺事」の第三巻に含まれる「臺山五萬真身」と「溟州五臺山寶叱徒太子傳記」に白頭山という名称が見受けられ、これが朝鮮の文献における白頭山という名称の初出であるが、これは現在の江原道内の山であって現在の白頭山のことではない。仏教関連の項目に、中国の五臺山などと共に、仏教の修行地として登場している。李栄薫は、現在白頭山は朝鮮民族の聖地ではあるが、李氏朝鮮時代の白頭山は、性理学の自然観と歴史観とを象徴する山であり、朝鮮民族の聖地ではなかったこと、20世紀植民地時代に消滅の危機に瀕した朝鮮人が民族意識を共有するに至り、白頭山が朝鮮民族の聖地に生まれ変わった事を論証している。それによると、1778年に、徐命膺という学者・高級官僚が白頭山に登ったが、徐命膺は「この場所は中国領でもなく朝鮮領でもない遥かな辺境であり、千年に一人二人登るか登らないかという場所であるが、ついに私が登ってみると、この大きな池の名がないので、天が私に名をつけよという思し召しだろう」と言いつつ、太一沢と名付けたという。太一沢とは森羅万象が太極に起源をもち、森羅万象は太極に帰一するという意味であり、太極を発想した徐命膺に、檀君翁の降臨した場所であると興奮する今日の韓国人の姿はみられない。徐命膺以外にも、18、19世紀に幾人が白頭山登山記を残したが、ある人は白頭山を天下一の名声高い中国の崑山の脈を正統に受け継ぐ山であると言い、ある人は白頭山から朝鮮領を見下ろし、箕子の国が広がっていると詠ったといい、李朝時代の白頭山は、性理学の自然観と歴史観とを象徴する山であり、20世紀に入り日本の抑圧を受け消滅の危機に瀕した朝鮮人は、民族という新たな発見に至り、白頭山が民族の聖地に変わったという。そして、白頭山を神聖視した最初の人物は崔南善であり、崔南善は白頭山で発生した茀咸文明こそが朝鮮文明の根源であるという学説を作り出し、証明するために1927年に白頭山へ登り、「白頭山覲讃記」を著するが、崔南善にとって白頭山は民族の聖地であり、白頭山は消えゆく朝鮮人が生まれ変わるべき母親の子宮のような場所であった。白頭山周辺は、もともと濊・貊・粛慎が居住しており、彼らの聖地だった。その後この地における濊貊の勢いは衰え、粛慎の後裔とされる女真(満州族)が霊山としていた。女真の金は、1172年には山に住む神に「興国靈応王」の称号を贈り、1193年には「開天宏聖帝」と改めている。清は女真語の呼称を「長白山」と漢訳し、金と同様、この山に対する毎年の典礼を行った。清朝の歴史書『満洲実録』によると、清朝の皇室愛新覚羅氏の祖先は長白山の湖で水浴びをしていた三姉妹の天女の末の妹が、天の神の使いのカササギが運んできた赤い実を食べて妊娠して生んだ男の子ブクリヨンションである。ブクリヨンションは成長後、母から乱れた女真の国を治める天命を受けて生まれてきたことを聞かされ、長白山から船に乗って川を下っていき、争っていた女真の人々はブクリヨンション見て争いやめ、王として仰いだ。清朝時代には長白山は神聖な山としてあがめられた。また東三省は封禁地とされたため東三省に含まれる長白山も自動的に一般人が立ち入ることは禁止されていた。朝鮮王朝末期の19世紀終わりから20世紀にかけて、白頭山を朝鮮人のナショナリズムの象徴とする運動が生まれ、それ以降、大韓民国や北朝鮮双方の国歌や朝鮮民族の代表民謡であるアリランでも歌われるようになった。過激な韓国人民族主義者が白頭山を自国領と主張するパフォーマンスが行うことがあり、中国を警戒させている。第二次世界大戦前は、満州国との境界であったことから、白頭山山麓の針葉樹の密林は反満抗日ゲリラの拠点ともなり、しばしば日本軍によるゲリラ掃討戦が繰り広げられた。金日成は、自分が白頭山を根拠とするゲリラ(パルチザン)の指導者であり、小白水の谷にある白頭山密営で金正日が生まれた、と自称しており、現地では「生家」とともにそのような案内が行われているが、証言などから「金正日ロシア(ソ連)極東生まれ説」が有力となっている。朝鮮人が満州の豆満江以北地域である間島へと移住する動きが絶えず、1712年、清と朝鮮の役人達は白頭山の分水界に国境を示す定界碑を建てた。ここに書かれた、国境を「西方を鴨緑とし、東方を土門とする」という表記の解釈をめぐり、土門を豆満江とする清側の主張と、土門江(松花江支流)とする朝鮮側の主張が19世紀末から20世紀はじめにかけてぶつかりあった。1962年に結ばれた中朝辺界条約によって天池上に中朝国境線が引かれる形で終結した。この条約により天池の54.5%が北朝鮮に、45.5%が中国領としてほぼ半分に分割される事になった。これに対して韓国のメディアや世論は批判的であり、中国側の主張を北朝鮮が呑んだといい、松花江を境界とする主張を続けている。ただし、中国側においては、天池を含む白頭山全体が元々中国の領土であり、条約及び現在の国境線は北朝鮮に対する譲歩であったという認識がほとんどである。中国と北朝鮮の間では国境が画定しているが、中国と韓国の活動家グループの間で、白頭山および間島地域の領有権論争がある。韓国の活動家は、中国側で近年行われている経済開発、文化イベント、インフラ整備、観光資源開発、世界遺産への登録申請、冬季オリンピックの招致などはすべて、この白頭山地域全体の領有権を主張する動きの一環だとしている。中国側でこの地域を「長白山」と呼ぶこと自体に対しても韓国側は歴史の歪曲だとし反発している。中国側は「東北工程」プロジェクトでこの地域を研究に含んでいる。大瀑布や温泉などがあることから、中国政府は外貨獲得のため観光地化を進めている。日本や韓国からツアー客が訪れる際は、交通等の便が良い中国側から主に入山する。また夏季を中心として(7 - 9月頃)北朝鮮側(平壌からチャーター航空便を利用してへ飛行)からのツアーも行われている。最近、韓国の現代峨山が韓国から白頭山に向かう観光ツアーの実現について北朝鮮側と交渉を続けているが、今もって条件面で折り合いがついていない。白頭山はユーラシア大陸から日本に向け吹き付ける冬の季節風の経路中にある為、山体により気流が乱され日本海にカルマン渦や帯状対流雲を発生させる事がある。この現象が発生すると、雲がぶつかる地域で局地的な大雪となる。
出典:wikipedia
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