『プロポーズ大作戦』(プロポーズだいさくせん)は、1973年4月2日から1985年3月26日まで朝日放送(ABCテレビ)で放映された公開恋愛バラエティ番組である。メイン司会を横山やすし・西川きよしが務めた。スタート当初は関西ローカルの深夜番組(30分枠)だったが、一部のTBS系列局や関東の独立U局に番組販売ネットされていた。この当時ABCはTBS系列だったが、TBSでの放送はなかった(TBSが余りにも関西の色が強すぎると同局での放送及び全国ネット化に難色を示したという)。その後、毎日放送(MBS)とのネットチェンジ(腸捻転解消)により、テレビ朝日(当時・日本教育テレビ=NET)系列へネットチェンジ後の1975年12月2日から同系列を中心に全国ネット化、プライムタイム枠に昇格して放送され、放送時間も1時間に拡大された。キダ・タローの作曲による番組テーマ音楽も視聴者に長年親しまれた。ABCホールでの公開収録だった(年に数回は地方での公開収録も行なわれた)。1985年3月26日に番組は関西ローカル時代から数えて12年間の歴史に幕を下ろした。最終回はサヨナラスペシャルと題し、過去の秘蔵映像が流され、エンディングでは、ザ・お葬式と題して、番組で使われていた小道具が特別に作られた専用ボックスに収められ、番組を締めくくった。番組は大きく分けて2部構成であった。なお、30分番組時代には、以下に述べる「前半」部分のみの番組だったが、45分枠に拡大した際に「後半」部分が付け加えられた。その「後半企画」で三つ目にできたのが、担当ディレクター小森成樹が命名、企画した「フィーリングカップル5vs5」であった。さらに1時間に拡大した際に、「中間」部分がそれぞれ付け加えられた。オープニングではテーマ曲が流れる中、セット上のタイトルロゴを映してタイトルコール後、司会者にパンしてすかさず観客席にスイッチングされる。テーマ曲の演奏が終わると司会者がスタンドマイク1本(末期はそれぞれハンドマイクを持って)で漫才風のトークをしてキューピット役のきん枝(後期は高田みづえ→斉藤ゆう子と週替りのきん枝の代役→桂文福)を紹介し、きよしが改めてタイトルコールをする。その後、オープニングクレジット映像が流れる。その映像は大学のサークルなどロケ先で恋人募集中の複数の女性がメッセージを送るものであったが、末期は観客席を中心とするスタジオを映していた。前半は、「目当てのお相手」との出会いを求めて番組に応募してくる視聴者の依頼に答えて、スタジオでの「ご対面」を実現させるというコーナーだった。実際に番組がきっかけで2組が結婚したことが確認されている。ここでの依頼は、「お相手」が「通勤時にいつもすれ違う」など、どこの誰かが分からないので探して欲しいというものと、「取引先の受付嬢」など、どこの誰かは分かっているが、直接告白するきっかけがないので、番組をきっかけにして気持ちを伝えたいというものに二分された。コーナーの進行としては、最初に、司会者と依頼者がトークを行い、「見かけたきっかけ」や「お相手」に対する熱い思いなどを聞き出した後、やすしの「神の御前にて身を委ねたる、○○殿の願いを叶えたまえ~」という台詞とともに、「お相手」がステージのカーテンから登場するというのが、基本的なパターンだった。また、「お相手」の登場後には、キューピットが、「お相手」のプロフィールの紹介や、見つけ出すに至った経過の報告があった。さらに、司会者、キューピット、依頼者、「お相手」によるトークの後、依頼者から「お相手」に対する告白タイムが設けられていた。ただし、「情報が少なすぎる」「相手は判明したが、番組収録日までに連絡が取れなかった」「出演拒否」などの事情により、「お相手」が登場しない場合もあった。この場合には、カーテンは開かずに横からキューピットが出てきて、「経過の報告」や「出演拒否理由の説明」が行われた。また、「出演したいが、番組収録日に会場に行けない」などの場合には、キューピットが「お相手」の自宅などを訪問した風景を収録したビデオが流されることもあった。ちなみに、番組開始から暫くは、「恋の相手」ばかりでなく、「20年前に生き別れた父親に会いたい」などという、純然たる「人探し」の依頼も受けていた。その場合、事情があって相手がカメラの前に立つことができず、カーテンを開けずにその裏で対面を果たす、ということもあった。中間部は様々な企画が試みられた。基本的には歌手がABCホールで歌う前の「フリ」的なコーナーであった。毎回のゲストに関するコーナーで、ゲストが街であっち向いてホイをやり、ゲストに勝った人はカードを引いて出た事を行う「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」や、ゲストが何かやっているVTRを見せ、観客から募った3名がゲストは誰かを解答する「スターWho's Who」などが行われた。ゲストの歌の後の「フィーリングカップル5vs5」には歌手も加わり、必ず「歌手からの一問」を出した。後半の「フィーリングカップル5vs5」と題され、大学生が学校対抗形式で、それぞれ男性チーム・女性チームに分かれて5人ずつ登場し、集団お見合いをさせるというコーナーである。参加者はお気に入りの相手を第一印象で選んだ上で、それぞれの個性や学校生活などについて自由に話を持つ。そして最終的に出演者の目前にある大型テーブルを使って判断をし、両想いになるとカップル成立と判断するものであった。番組初期の頃は紐くじ方式で、カップル成立か否かを判断していた。番組中期から使用されていた、ある意味番組の象徴とも言える電光掲示による大型テーブルは、番組終了まで途中リニューアルされながら使われていたが、番組終了後は倉庫に保存される事も無く解体された。なお、このコーナーは東京・大阪のネットの腸捻転解消後を機に1時間に放送時間が拡大された際に設けられたものであり、カップル不成立ジングルは『霊感ヤマカン第六感』のジングル(通称・ジョーカー坊やBGM)を使用した。出場者の入場時には番組テーマ曲が流れる中、客席の入口よりチーム名の入ったプラカードを持ったエスコート役(男性チームは女性、女性チームは男性)の後から出場者が登場するものであった。カップル成立・不成立の結果を見るときは、きよしが「音楽スタート!」と叫んでから行っていたが、その前に代表者1名の結果を見るのがパターンだった。その見方は、代表者が選んだ相手に直接ラインが行く(この時やす・きよは「♪ジャ〜ンジャジャジャジャ〜ン!」と歌っていた)方式だったが、後に1人ずつラインが出る物と、一斉に放射状にラインが出るのが追加された(なお後者は、途中で意地悪く一旦止めるのがしばしば有った)。そしてカップルが成立したら、そのカップルにインタビューをした後、「儀式」と称して男性から女性へのキスとなる。そのキスの場所は女性が決めるのだが、時によって「おまかせ」として男性の自由となる時も有った。これが好評なので、後期からは観客が「おーまかせ!!おーまかせ!!」と叫ぶ様になった。電光掲示テーブルの導入については、紐くじ方式を引き続き使用する予定であったものが「プライムタイムに全国ネットで放送される番組で安っぽいセットを使うわけにはいかない」と考えたスタッフが予算オーバー覚悟で導入したものであり、当時の在阪局制作の番組としては異例といえるセットであったという逸話がある。また、紐くじでは引っ張った際に紐が絡むアクシデントがあり、判定の見苦しさを解消する目的もあったという。大学対抗がメインだが、1980年(昭和55年)の年末に放送された内容では、男子は大学生で女子は芸能人選抜チーム(松田聖子、柏原芳恵、河合奈保子、浜田朱里、研ナオコ)が出演したことがあった(ちなみに、松田聖子が女子チームキャプテン)。それで その時は、松田聖子、柏原芳恵、研ナオコの3人と男子大学生とのカップルが成立している。女子のタレントチームは年に一回程度放送したが、5番の席は演出上研ナオコ、または和田アキ子であった。年に1回程、小学生以下の児童による「子供大会」もあり、大学対抗とは違った面白さが大人の視聴者にも好評であった他、子供達に優しく接する横山やすしの姿が見られたりした。尚、ローカル時代初期のフィーリングカップルでは社会人も出場させたが、数回でやめて、フィーリングカップルといえば大学生というコーナーにした。数年に1回、パーフェクト達成(全員、つまり5組のカップルが誕生する)があったり、全滅(5組ともカップル不成立。ボード上は破れたハートが表示される)もあった。なおカップルにはそれぞれ自転車が賞品として与えられるが、全滅の時は、2台有る自転車の内1台は観客にその場で抽選して与え、もう1台は視聴者行きとなった。その時は、必ず葉書に司会者が言う「合い言葉」を書く事になっていた(「合い言葉」を書かないと無効)。中期期になると、途中で「体力測定」と称し、チーム全員が様々な体力ゲームを行ったVTRが流された。番組が放送された昭和50年代はVTRテープがまだ2インチ規格で高価・操作頻雑だったうえ、著作権法の影響、何よりも視聴者参加型番組だったことなどで番組の資料保存が大きく制約されていたことから、放送された番組の映像で、現存しているものは20-30本(回)程度である。
出典:wikipedia
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