シャルル=ルイ=アンブロワーズ・トマ(Charles Louis Ambroise Thomas, 1811年8月5日 メス - 1896年2月12日)はフランスのオペラ作曲家。代表作は「君よ知るや南の国」を含む『ミニョン "Mignon"』(1866年)と『ハムレット "Hamlet"』(1868年)。そのほか約20曲のオペラ作品や室内楽曲、合唱曲などがある。エマニュエル・シャブリエは「良い音楽と悪い音楽とがある。それとアンブロワーズ・トマの音楽もある」とコメントを残している。フランス東部のメスに生まれ、生家は今でも現存する。幼児期より音楽家で弦楽器奏者であった父親にピアノやヴァイオリンの演奏法を学ぶ。12歳の時(1823年)に父親と死別した後、母と兄と共にパリへ移り住み、1828年にパリ音楽院に入学。ジャン=フランソワ・ル・シュール()に師事して作曲法を学ぶ。1832年にカンタータ『エルマンとケティ "Hermann et Ketty"』によってローマ大賞を受賞。3年間ローマに留学する。留学後はオペラ界に進出し、1837年に初演されたオペラ・コミック『二重梯子 "La double échelle"』が成功を収め、オペラ=コミック座で115回上演されたと伝えられる。1841年に『カルマニョーラ伯爵 "Le comte de Carmagnola"』が初演されて以降は、主にオペラ=コミック座で多くの作品を生み出し、名声を博す。さらに1850年の『夏の夜の夢 "Le songe d'une nuit d'été"』では成功したと同時にトマの名を盤石のものにしている。1856年以降は、母校パリ音楽院で教鞭を執ることになり、作曲科の教授に就任する。母校ではジュール・マスネらを育成した。教授職としての活動や社会活動も同時に行っていたため、オペラの作曲も次第に遠ざかっていく。1860年の『エルヴィーラの物語 "Le roman d'Elvire"』では、高い評価を得られず逆に冷淡な評価を受けたため、6年間はオペラの作曲を止めて、主に合唱曲や宗教曲などを中心に過ごしていった。1866年に『ミニョン』を発表し初演されると、瞬く間に成功を収め、再び名声を獲得した。トマの存命中に上演回数が1000回を達成している(1894年5月)。また1868年に悲劇ともいえるオペラ『ハムレット』も生み出し、こちらも大きな成功を収めている。1871年にはフランソワ・オーベールの後任として同音楽院の院長に就任し、亡くなるまでその地位にあり、教育の改革に注いだ。1896年の2月12日に84歳で没する。
その生涯に20作のオペラを作曲している。現在『ミニョン』や『ハムレット』が知られているが、『レーモン』の序曲も知られる。"詳細はアンブロワーズ・トマのオペラ作品一覧を参照"
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出典:wikipedia
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