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伝奇小説

伝奇小説(でんきしょうせつ)主に中国の唐宋時代に書かれた短編小説のこと。六朝の志怪小説より発展して成立した。唐代伝奇、唐宋伝奇とも呼ぶ。これらを元にした後代の作品を呼ぶこともある(芥川龍之介「杜子春」など)。六朝時代の志怪小説では超自然的な怪異譚や逸話を記録として梗概程度に記していた、もともとの「小説(とるにたらないものがたり)」的なものだったのが、唐代になると作者の創作した複雑な物語となり、文章も修辞に凝ったものになった。その過程で、志怪のころの『怪』を描くことが必ずしも必須の条件ではなく、「鶯鶯伝」や「李娃伝」のように、現実に根ざした、「怪」の登場しない作品群(山中遊郭で妓女とよしみを通じる「才子佳人小説」)もあらわれるようになった。その点で、唐のこれらの伝奇小説は、その後の中国文学における白話作品のさきがけになっていった。古来より論語で「子不語怪力乱神」と述べられた影響が長く残っていたが、唐代にはこれへの拘泥は薄くなり、詩人の顧況は孔子の意は「子示語」であると述べて、怪異譚譚の創作に共感を示した。唐代最初期の作品と言われる王度「古鏡記」では古鏡の霊験による妖怪退治の話が述べられる。安史の乱以後の中唐の頃には、陳玄祐、沈既済、李公佐、元稹、陳鴻、白行簡、蒋防など多くの伝奇小説が書かれた。晩唐には牛僧孺の「玄怪録」、李復言「続玄怪録」、薛漁思「河東記」などの作品集も編まれるようになった。「玄怪録」に収められた「杜子春」は、玄奘の伝えたインドのワーラーナシーの伝説を翻案したものの一つで、唐代における名作とされる。魚に転成する話である薛偉「魚服記」も後世に様々に翻案されている(明代の馮夢竜「薛録事魚服証仙」、江戸時代の上田秋成「雨月物語」など)。『遊仙窟』作者の張文成の子孫の張読による、『宣室志』に収められた「李徴」は、人が虎に変身する話で、明代の『古今説海』などの選集では李景亮「人虎伝」とも伝えられており、これを元にして中島敦「山月記」が書かれた。皇甫枚「緑翹」は森鴎外「魚玄機」となった。陳鴻と白居易は口承文芸に興味を持ち、「長恨歌物語」では陳鴻が散文部分、白居易が韻文部分(長恨歌)を担当した。この詩と小説にる構成は当時の作品の典型でもある。宋代には口承文芸近い口語文章語で書かれた小説が出現する。また商業の発展にともなって商人の生活も多く描かれるようになった。洪邁は唐代の伝奇小説が唐詩に劣らずすぐれたものであることを認め、怪異譚の収集や執筆を行い「夷堅志」にまとめている。明代には唐代に倣った文言短篇小説集『剪燈新話』が現れて、その模倣も続出し、さらに『太平広記』がしばしば流用されるなど、伝奇的な嗜好が広まり、清代には『聊斎志異』が書かれた。近代になって魯迅『唐宋伝奇集』、汪辟疆『唐人小説』などにより研究が進んだ。など中国や日本の古典的な伝承や説話等にある怪奇な事件や、作者独自の想像による史実とは異なる歴史を題材にした小説。「封印されていた古文書」「呪われた旧家の血筋」「某地方に伝わる風習」「歴史の裏舞台で暗躍した秘密組織」などに、時には超常現象や超能力なども加味されて物語が展開する。東雅夫は日本の伝奇小説を以下の3つのタイプに分類し、またそれぞれの代表作を挙げている。また個々の作品が特に強く持つ特徴により、「伝奇SF」(または「SF伝奇ロマン」)、「伝奇ホラー」、「伝奇ファンタジー」、「伝奇ミステリー」、「伝奇サスペンス」、「伝奇アクション」などさまざまな呼称が使われる。大正時代に芥川龍之介は『今昔物語』などに題材を取った王朝物や、中国の説話を元にした「酒虫」(1916年)や「杜子春」(1920年)などを書き、谷崎潤一郎も中国を舞台にした「人魚の嘆き」(1917年)や、後に伝奇時代小説「武州公秘話」(1931-32年)などを書いていた。明治時代から冒険小説などで活躍した江見水蔭も伝奇的な時代小説を執筆した。『講談雑誌』編集長の生田調介に見いだされて、白井喬二が1920年から「忍術己来也」、1922年に「神変呉越草紙」を連載すると、芥川龍之介は「あれだけのものを空想で書いたとしたら、たいしたもの」と評し、1922年にはやはり生田に誘われた国枝史郎が「蔦葛木曽桟」を連載する。これらは荒唐無稽とも言える空想力による作品ながら、それまでの立川文庫のような作品かに比べれば大人の読物として成り立っていた。1924年には吉川英治が、新雑誌『キング』で「剣難女難」、1926年には「鳴門秘帖」と絢爛たる作品で人気を得た。野村胡堂は捕物帖の他に「美男狩り」(1929年)、「隠密縁起」(1941年)といった伝奇作品を残している。三上於菟吉は謎とサスペンスを凝らした作風で、「雪之丞変化」などの時代小説も残した。三上が高く評価した角田喜久雄は、探偵小説的手法を駆使した作品、1935年に「妖棋伝」で伝奇小説作家として認められ、次いで「風雲将棋谷」「髑髏銭」「鍔鳴浪人」などを立て続けに発表して、人気作家となった。戦後になって山田風太郎が数々の忍者小説に加えて、「妖異金瓶梅」(1954年)など奇抜な伝奇小説を書いた。また歴史作家の早乙女貢も「死神は黒衣をまとう」(1971年)、「猫魔岳伝奇」(1974年)など多くの伝奇小説がある。晩年の石川淳は、『至福千年』(1967年)、『狂風紀』(1980年)など奔放な伝奇小説を世に問い支持を集めた。1968年に国枝史郎「神州纐纈城」が復刊されると、これを三島由紀夫が高く評価し、この分野の作品の再評価の機運が高まった。その中で半村良が「石の血脈」(1971年)、「産霊山秘録」(1973年)などの伝奇ロマン(または伝奇SF、SF伝奇ロマン)と呼ばれるスケールの大きな作品を生み出す。次いで谷恒生「魍魎伝説」(1982-88年)、荒俣宏「帝都物語」(1985-87年)、高橋克彦「総門谷」(1985年)、夢枕獏「陰陽師」(1988年)といった伝奇ロマン・伝奇バイオレンスの作品群が人気を博し、以後同種の作品のブームとなった。

出典:wikipedia

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