アラバマ (USS Alabama, BB-60) は、アメリカ海軍の戦艦。サウスダコタ級戦艦の4番艦。艦名はアメリカ合衆国22番目の州に因む。その名を持つ艦としては3隻目。アラバマは1940年2月1日にノーフォーク海軍工廠で起工し、1942年2月16日にリスター・ヒル夫人(アラバマ州選出上院議員J・リスター・ヒルの妻)によって命名、進水し、1942年8月16日に初代艦長ジョージ・B・ウィルソン大佐の指揮下就役した。艤装完了後アラバマは、1942年11月11日にチェサピーク湾で整調巡航を始めた。1943年になるとメイン州カスコ湾に向かい訓練を行った。その後1月11日にチェサピーク湾に戻り、整調訓練を行った。ノーフォークでの検査後、アラバマは第22.2任務群に割り当てられ、1943年2月13日に戦術的機動作戦のためにカスコ湾に戻った。イギリス海軍はシチリア侵攻のためその戦力を地中海に振り向け、北部での船団警護に必要な艦艇が不足していた。イギリスの支援要請に応じて、アラバマとサウスダコタ ("USS South Dakota, BB-57") がその任務に就いた。1943年4月2日にアラバマは第22任務部隊の一部として、サウスダコタおよび5隻の駆逐艦と共にオークニー諸島へ出航した。ニューファンドランド島アージェンティアのプラケンティア湾を経由し、1943年5月19日にスカパ・フローへ到着する。第61任務部隊に配属、イギリス本国艦隊の一部となり、共同作戦を調整するための集中的な訓練演習を行った。大戦の終盤、アラバマは本州の南部海岸から行動した。1945年8月15日に日本が降伏すると、アラバマは横須賀や東京に占領業務に従事する水兵を運んだ。アラバマの乗組員は艦隊中一番に上陸した。その後、捕虜収容所捜索の偵察飛行を行う空母部隊の護衛任務に従事した。アラバマは9月5日に東京湾に入り、占領業務から帰国する兵士を乗艦させると9月20日に出航した。マジック・カーペット作戦の一環として沖縄で海軍構築大隊の700名の水兵を乗艦させ帰国の途につく。10月15日にサンフランシスコに到着し、10月27日の海軍記念日には9,000名の訪問客が乗艦した。その後10月29日にカリフォルニア州サンペドロ湾へ向かい、1946年2月27日まで留まる。続いて不活性化オーバーホールのためピュージェット・サウンド海軍工廠へ向かった。アラバマは1947年1月9日にシアトル海軍基地で退役し、ブレマートンの太平洋予備役艦隊入りした。1962年6月1日に除籍されるまでアラバマは同所に留まった。アラバマ州民はアラバマを記念艦として保存するため「USSアラバマ戦艦委員会」を組織し、その資金を調達した。アラバマは1964年6月16日に引き渡され、1964年7月7日にシアトルで記念式典が開催された。1964年9月14日にモービル湾に牽引され、永久展示されている。1986年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。アラバマは第二次世界大戦の戦功により9個の従軍星章を受章した。
出典:wikipedia
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