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トム・ブレイディ

トム・ブレイディ(Thomas Edward Patrick Brady, Jr. 1977年8月3日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のアメリカンフットボール選手である。ニックネームはや自身のイニシャルと背番号をあわせたTB12。ポジションはクォーターバック(QB)で、NFLのAFC東地区に所属するニューイングランド・ペイトリオッツでプレーしている。2000年代から現在にかけてのNFLを代表する選手の一人である。2000年のNFLドラフトにて、6巡全体199位でペイトリオッツから指名を受けプロ入りを果たすと、2年目から先発QBに定着し、同年にチームをフランチャイズ史上初のスーパーボウル制覇に導いた。以降負け越したシーズンは一度もなく、いずれもQBとしてリーグ史上最多の13度の地区優勝、10度のカンファレンスチャンピオンシップ進出と6度のカンファレンス制覇、さらには同ポジションでそれぞれ歴代最多タイとなる4度のスーパーボウル制覇と3度のスーパーボウルMVP獲得を達成している。このほか11度のプロボウル、それぞれ2度のNFL MVPとリーグ最優秀攻撃選手に選出された。リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞はブレイディと彼の幼少期のアイドルであったジョー・モンタナの二人しか達成していない快挙である。彼のプロ入りと同年にペイトリオッツのヘッドコーチ(HC)に就任したビル・ベリチックと共に、2000年代のNFL界に"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)と呼ばれる一時代を築き上げた。プレーオフ並びにスーパーボウルでの勝利数やTDパス・獲得ヤード数、連勝記録など、様々なNFL記録を保持しており、ジョー・モンタナや長年のライバル関係にあったペイトン・マニングらと共に、NFL史上最高のQBの一人と評されている。サンフランシスコにほど近いカリフォルニア州サンマテオで生まれる。小さいころからサンフランシスコ・49ersのファンで、モンタナは彼のアイドルだった。4歳のころには、かの有名な「ザ・キャッチ」をスタジアムで目撃している。出身高校は地元サンマテオので、同校はNFLの殿堂入りワイドレシーバー(WR)であるリン・スワンや野球選手のバリー・ボンズなど多くのスポーツ選手を輩出している。高校時代までは野球もプレーしており、1995年にはMLBのモントリオール・エクスポズから捕手としてドラフト指名を18巡で受けるなど、この頃はフットボール選手としてよりは野球選手として知られていた。フットボールを始めたのは高校1年生からで、この時は0勝8敗1分けのチームで控えQBを務めた。先発QBを務めていた選手がバスケットボールに専念するためにチームを離れたことで、2年目からは先発QBとして定着する。初めての先発試合では、試合時間残り2分から5点差をひっくり返す決勝TDドライブを決め、チームに逆転勝利をもたらすなど、2シーズンで11勝9敗の成績をおさめた。1996年にミシガン大学に入学する。チームには後のプロボウルQBであるブライアン・グリーシーなどが在籍しており、ブレイディは当初7番手QBだった。グリーシーに率いられたチームは1997年に無敗シーズンをおくり、ローズボウルを制覇して全米チャンピオンに輝いた。先発QBを務めたかったブレイディにとって、最初の2年間は苦しい時期だった。グリーシーが卒業したあとの3年目のシーズンは、ブレイディにとってようやく先発QBの座を得られるであろう待望のシーズンだったが、チームは後にメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースやNFLのダラス・カウボーイズでプレーすることとなる大物新人ドリュー・ヘンソンに大きな期待をかけていた。このような不遇の時期を過ごしていたこともあり、ブレイディは度々転校も考えたが、チームのアスレティック・ディレクターを務める(オリンピックの金メダリストであるマイケル・フェルプスなど、数多くのアスリートの心理サポートを行ったことで有名)の助けも借りながら、無事3年目には先発QBに定着する。しかし4年目には再びヘンソンとのポジション争いが熾烈となり、チームはブレイディを先発QBとして起用しながらも、第2Qにはヘンソンに交代し、その上で後半にどちらを起用するかを決定するという併用策を用いた。そんな状況下でミシガン大は開幕5連勝の好スタートを切るが、迎えた第6週、ライバルであるミシガン州立大学との一戦で、チームは17点のビハインドを負う。この日はヘンソンが後半のQBとして起用されていたが、ヘッドコーチのロイド・カーはブレイディを再起用し、最終的に敗れたものの、31-34の接戦にまで持ち込んだ。ブレイディは翌週の試合でもパス300ヤード超えのパフォーマンスを見せ、QBポジション争いに終止符を打った。以降すべての試合でフルタイムのQBを務めると、ペンシルベニア州立大学戦を筆頭に度重なる逆転勝利を演出し、一部から「カムバック・キッド」と呼ばれるようになった。大学でのキャリア最終戦となったオレンジボウルではアラバマ大学と対戦。2度の14点差のビハインドを跳ね返すと、を35-34で制した。ブレイディはパス369ヤード4TDの活躍でチームの勝利に貢献した。ブレイディは大学最後の2年間をスターターQBとして過ごし、25試合で20勝をあげた。ミシガン大学でのブレイディの通算成績は、大学史上3位となるパス710回中442回成功、それぞれ同4位・5位の5,351ヤード・35TDパスというものだった。こうして最後の2年間は上々のシーズンを送ったブレイディであったが、2000年のNFLドラフトでは高い評価を得ることができなかった。あるレポートでは「貧層な体格で、細く痩せこけており、機動力とラッシュをかわす能力を欠いていて、強肩でもない。」と評価されていた。彼に興味を示してミシガン大のHCロイド・カーの元に電話をかけたのは、ペイトリオッツのたった1チームだけだった。カーは電話越しに、「ボビー(ペイトリオッツの人事を担当していたボビー・グリア)、ブレイディを指名して後悔することは決してないだろう」と伝えた。指名が遅れた理由としては、スカウティング・コンバインでの低調なパフォーマンスとアスリートらしからぬ貧相な体型が挙げられる。また多くのプロ関係者は、3年目に先発に定着しながら、一時的とはいえ4年目にブレイディがヘンソンと併用で起用されることになった事実を懐疑的に見ていた。ブレイディの憧れのチームであった49ersは、この年にQBの指名を狙っていたチームの一つであったが、当時のHCスティーブ・マリウチは「我々はトムのことを全て知っていた」としながらも、「ウエイトルームじゃ見かけられないような」体型と40ヤード走での5.2秒という低調な記録を指摘し、さらに「彼のパスが我々を驚嘆させたか?そんなことはなかった。まさにシュートするようなパスを投げる選手は他にいたが、彼はむしろ『まずまず』といった具合だった。ミシガンのコーチたちが机の上に立って『これはジョー・モンタナ以来の最高傑作だ』と言ったと思うかい?ノーだ。かすりもしないよ。だから彼らもブレイディとドリュー・ヘンソンを併用したのさ。」と続けた。チームは3巡目でジオバーニ・カルマージを指名したが、レギュラーシーズンで一度もパスを投げることなくリーグを去った。のちにブレイディは、自身が大ファンであった49ersがカルマージを指名した時のことを「発狂ものだったよ」と回顧している。最終的に6巡でブレイディを指名することとなったペイトリオッツは、この年からQBコーチを務めることとなったディック・レイバインが、ブレイディを「チームのシステムに最もフィットするQB」と高く評価していた。ブレイディのスカウトを担当したレイバインは彼の妻に、新たなジョー・モンタナやブレッド・ファーブを見つけた、と語り、「20年後、トム・ブレイディの名は知れ渡っていることだろう」と続けた。しかし、チームはスーパーボウル出場経験もあるエースQBドリュー・ブレッドソーを含め3人のQBを抱えており、同ポジションのニーズの低さから指名を見送っていた。またHCのベリチックは、ミシガン大が先発QBの座をブレイディからヘンソンに明け渡そうとした事実を慎重に見ていた。当時のGMだったスコット・ピオリによると、チームは3巡目からブレイディの指名について話し出したという。しかし上記のような理由からその後も指名を見送り続けた。オーナーのロバート・クラフトによると、5巡目に入ったとき、ベリチックは「ワオ。まだブレイディが残っているのか」と漏らしたという。そしてドラフト6巡・全体199番目の指名権にて、ペイトリオッツはようやくブレイディを選択した。ブレイディの前には、のちのプロボウルQBであるチャド・ペニントン、マーク・バルジャーなど合わせて6人のQBが指名されていた。2011年にESPNは、ブレイディとブレイディの前に指名された6人のQB達の人生を追った"The Brady 6"というドキュメンタリーを作成した。ドラフト当時を回顧したブレイディは、指名が遅れた悔しさや長年支えてくれた両親への思いなどから涙を浮かべた。ドラフトされた瞬間については「最高に興奮したよ。『これで保険会社のセールスマンにならなくてすむんだ!俺は指名されたよ、ありがとう神様!』ってね」と振り返っている。以降の活躍も相まって、ブレイディはNFLドラフト史上最高の掘り出し物だと評する声が多い。ブレイディはドラフト指名を受け、ニューイングランド・ペイトリオッツに入団した。チームのオーナーであるロバート・クラフト に初めて名前を呼ばれたときには、誤って「カイル」と呼ばれた(オーナーがタイトエンド(TE)カイル・ブレイディと混同したため)。ブレイディは「ミスター・クラフト、僕を指名したことは今まであなたの組織が下してきたなかで最高の決断です。」と真剣に語った。ペイトリオッツではチームの顔でもあるブレッドソーがスターターQBを務めており、チームにはブレイディを含め4人のQBがいた。ルーキーのブレイディは最初のトレーニングキャンプを4番手QBの待遇で過ごし、レギュラーシーズンでは敗戦濃厚になったデトロイト・ライオンズ戦でプロ初出場を果たしたが、同シーズンの出場はこの試合だけであった。ブレイディのプロ一年目はパス3回中1回成功6ヤードTDなし、4人のQBの中で最も少ない出場に終わった。ある日ブレイディはQBコーチが置き忘れたノートブックを好奇心からめくってみると、そこには「反応が遅い」などといった厳しい評価が記されており、「彼は全てにおいてスピードを上げる必要がある。」と指摘されていたチームはオフにブレッドソーと10年1億300万ドルという大型契約を結んだ。またブレッドソーの控えとして、ダン・マリーノのバックアップを務めた経験もあるデーモン・ヒュアードを獲得したが、QBコーチのレイバインはブレイディの成長を高く評価した。しかし同年の8月、そのレイバインが心臓発作のため帰らぬ人となった。当時チームはトレーニングキャンプの最中だったため、HCのベリチックとオフェンシブ・コーディネイター(OC)のチャーリー・ワイスが分担でQBコーチの役割を引き継いだ。ベリチックはブレイディのキャンプでのパフォーマンス高く評価し、ブレイディはブレッドソーに次ぐ2番手QBに指名する。その後のプレシーズンで3試合に出場したブレイディのパフォーマンスは、ブレッドソー以上のものだったとベリチックは語っている。しかしOCのワイスは、あくまでチームのナンバー1はブレッドソーであり、控えQBに関しても、「コインを投げて裏表で決めてもよかった」ほどブレイディとヒュアードの差は僅かであったとのちに語っている。アメリカ同時多発テロ事件で中断されていたレギュラーシーズンが再開された9月23日、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦で大きな転機が訪れる。10-3と7点差を追う第4Q、エースQBブレッドソーがモー・ルイスのハードタックルで胸部内出血の重傷を負い、代わりにバックアッパーであったブレイディが出場した。試合には敗れたが、この出来事は前述のペイトリオッツ王朝の始まりとして語られることがある。チームは既に引退していたジム・ハーボーを復帰させようとするなど数名のベテランQBの獲得を考えたものの、最終的にはQBを獲得することはなかった。こうしてブレイディは第3週でプロとして初の先発出場を果たすと、後のライバルとなるペイトン・マニング率いるインディアナポリス・コルツを44-13で破ってキャリア初勝利をあげた。第5週のサンディエゴ・チャージャーズ戦ではキャリア初のTDパスを通すなどチームを見事な逆転勝利に導き、第6週ではコルツを相手に3TD、QBレイティング148.3と自身最高のパフォーマンスでチームの勝利に貢献した。第15週のマイアミ・ドルフィンズ戦では23ヤードのパスレシーブも記録している。ブレッドソーが負傷から復帰してからも先発を任される事となったブレイディは、シーズンでパス2,843ヤード18TD、QBレイティング86.5という活躍をおさめ初のプロボウルに選出された。ブレイディの活躍やHCベリチックの指揮するディフェンス陣の奮闘もあり、チームは11勝5敗で地区優勝を果たし、第2シードでプレーオフに進出した。ホームのフォックスボロ・スタジアムで行われたディビジョナル・プレーオフでは、豪雪の中オークランド・レイダーズと対戦した。前半はブレイディがインターセプト(INT)を喫するなど、チームは第4Qまで13-3とリードを許すが、その後自らのTDランで追い上げる。3点を追う試合時間残り2分6秒からのドライブでは、疑惑の判定をはさみながらもオフェンスをFG圏内まで導くと、キッカー(K)アダム・ビナティエリが45ヤードのフィールド・ゴール(FG)を決め、試合はオーバータイムへ突入する。先にレシーブを得たペイトリオッツは、敵陣28ヤード地点での4thダウンギャンブルを成功させるなどしてドライブを進め、最後は再びビナティエリがFGを決めて16-13でレイダーズを撃破した。第4Q終盤での疑惑の判定は大きな波紋を呼び、この試合はその判定が下された元となったルールの名称をとってタック・ルール・ゲームと呼ばれている。このタック・ルール・ゲームは、その後のブレイディとペイトリオッツの運命を大きく左右した試合として知られている。AFC第1シードのピッツバーグ・スティーラーズとの対戦となったAFCチャンピオンシップゲームではブレイディが第2Q途中に負傷するアクシデントに見舞われるも、スペシャルチームの活躍や代わったQBブレッドソーがTDパスを決めるなどして試合を優位に進め、24-17でスティーラーズを破り、チームは史上3度目のスーパーボウル出場を果たした。迎えた第36回スーパーボウルでは、1999年・2001年シーズンのリーグMVPであるQBカート・ワーナーや2000年シーズンのリーグMVPであるマーシャル・フォークなどを擁し、当時「芝の上で行われる最高のショー」("The Greatest Show on Turf")と呼ばれたリーグ屈指のオフェンスを誇るセントルイス・ラムズと対戦した。チームはコーナーバック(CB)タイ・ローのINTでこの試合はじめてのTDを奪うと、第2Q終盤にはブレイディがWRデイビッド・パッテンへTDパスを決め、圧倒的不利と言われていた前評判を覆し、一時はペイトリオッツが17-3とリードを奪った。しかし第4Qにラムズが猛追を見せ、第4Q残り1分21秒というところでチームは17-17の同点に追いつかれた。試合はスーパーボウル史上初のオーバータイムにもつれるかと思われたが、ブレイディはタイムアウトを使いきった自陣15ヤードからの攻撃をWRトロイ・ブラウンへのパスなどで敵陣31ヤードまで進め、最後はビナティエリの決勝FGでタイムアップとなる劇的なゲーム・ウイニング・ドライブを決めた。スーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは、QBとしてNFL史上最も若い(すべてのポジションを含めればマーカス・アレン、リン・スワンに次いで3番目に若い)スーパーボウルMVPに輝いた。また24歳でのスーパーボウル制覇は当時のスーパーボウル優勝QB最年少記録であった。NFL史上に残る番狂わせに貢献したブレイディは、以後NFLのスターダムへと駆け上がっていく。ブレッドソーが同地区のバッファロー・ビルズへと去り、名実ともにペイトリオッツのエースQBとなったブレイディだったが、チームは序盤から中盤にかけて4連敗を喫するなど、このシーズンはレギュラーシーズンを9勝7敗で終えた。AFC東地区は3チームが9勝7敗で並んだが、同地区内の対戦成績の結果、ジェッツがプレーオフに進出した。ブレイディはリーグ1位の28TDパスを記録したが、QBレイティング85.7、シーズン9勝7敗という成績はキャリア最低の数字であり、開幕戦の怪我でシーズンを棒に振った08年を除き、ブレイディがプレーオフを逃した唯一のシーズンである。自身も肩に怪我を抱えるなどチームを含め全体的に苦しんだシーズンであったが、第10週のシカゴ・ベアーズ戦や最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦では劇的な逆転勝利を演出し、チームも最後までプレーオフ争いに加わった。ブレイディはこのシーズン以降数年間に渡り、毎週チームのインジュアリー・レポートに「右肩の怪我」で登録されていた。なおこの怪我を理由に公式戦を欠場したことは一度もない。第1週のバッファロー・ビルズ戦でブレイディは4INTを喫しチームは31-0で完敗した。第4週でも敗れ2勝2敗とスタートに失敗し、主力の放出と相俟ってHCベリチックに対して批判の声も上がった。しかしその後チームは快進撃をはじめ、第5週からレギュラーシーズン終了まで12連勝を果たした。ブレイディはパス3,620ヤード23TDレイティング85.9の活躍をおさめ、チームは14勝2敗で2年ぶりの地区優勝を果たした。ブレイディはMVP投票においてダブル受賞したスティーブ・マクネアとペイトン・マニングに次ぐ票を獲得し、プレーオフではその二人が所属するテネシー・タイタンズとインディアナポリス・コルツをそれぞれ破り、3年間で2度目のスーパーボウル進出を決めた。カロライナ・パンサーズとの対戦となった第38回スーパーボウルでは、当時のスーパーボウル新記録となる32回のパス成功を含む354ヤード3TDの活躍を見せ、29-29の同点でむかえた第4Q残り1分8秒からの攻撃では、ビナティエリの41ヤード決勝FGにつながる決勝ドライブを完成させ、チームを勝利に導いた。ブレイディは自身2度目となるスーパーボウル制覇とスーパーボウルMVP受賞を成し遂げた。スーパーボウルMVPの複数回受賞はジョー・モンタナ(3回)、テリー・ブラッドショー(2回)、バート・スター(2回)と並んでNFL史上4人目の快挙となった。開幕から第8週で敗れるまで6連勝を果たし、NFL記録となる21連勝(プレーオフを含む)を達成した。ブレイディはパス3,692ヤード28TD、レイティング92.6の活躍で2001年シーズン以来自身2度目のプロボウル選出を果たし、チームは14勝2敗で2年連続の地区優勝を果たし第2シードでプレーオフに進出した。プレーオフ初戦のディビジョナル・プレーオフでは、チームはリーグ最多得点のコルツをわずか3点に抑え20-3で完勝すると、AFCチャンピオンシップゲームでは、ブレイディがQBレイティング130.5を記録する活躍を見せ、リーグ最少失点のスティーラーズから41点を奪い41-27で勝利した。フィラデルフィア・イーグルスとの対戦となった第39回スーパーボウルでは、236ヤード2TDの活躍で24-21の勝利に貢献した。MVPは当時のスーパーボウル史上最多タイとなる11キャッチを記録したペイトリオッツのWRディオン・ブランチが受賞したが、ブレイディはMVPを受賞した過去2回のスーパーボウルよりも高いQBレイティングを記録した。ブレイディはテリー・ブラッドショー、ジョー・モンタナ、トロイ・エイクマンに次いで、スーパーボウルを3度制覇したNFL史上4人目のQBとなった。また、28歳の誕生日を迎える前にスーパーボウルを3度制覇したQBはNFL史上ブレイディただ一人であり、ブレイディはスーパーボウル3度制覇を成し遂げたNFL史上最年少QBとなった。加えて、キャリア最初の5年間で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたのはNFL史上ブレイディただ一人である。スーパーボウル連覇の偉業に加え、プレーオフ無敗のまま4年で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは"Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)の象徴としてNFLに一時代を築き上げた。オフシーズンに3度のリーグ制覇を支えたオフェンシブ・コーディネーター(OC)チャーリー・ワイス、ディフェンシブ・コーディネーター(DC)ロネオ・クレネルの両コーチがチームを去った。マット・ライトやロドニー・ハリソン、タイローン・プールなど主力の怪我人の続出やディフェンスの不振などに苦しんだチームの中で、ブレイディ自身もスポーツヘルニアの痛みに悩まされるなど、決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが、パス4,110ヤード26TDレイティング92.3と、これまでで自己最高クラスの成績を記録し、キャリア3度目のプロボウル選出を果たした。加えて、AP通信によるのセカンド・チームにも選出されている。チームは10勝6敗で3年連続の地区優勝を果たし、ワイルドカード・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズに28-3で完勝をおさめ、NFL新記録となるポストシーズン10連勝を成し遂げた。しかし、続くディビジョナル・プレーオフでは、敵地インベスコ・フィールド・アット・マイル・ハイでデンバー・ブロンコスに27-13で敗れ、ブレイディはプレーオフ11試合目にして初の敗北を味わった。高校では大舞台に進んでおらず、大学時代は先発出場したボウルゲームで勝利を収めており、これがまさに自身初のポストシーズンでの敗戦であった。怪我のためプロボウルは欠場したが、試合前のセレモニーに歴代スーパーボウルMVPが招かれた第40回スーパーボウルでは、スーパーボウルMVPの代表としてコイントスを務めた。なお、現役選手として同大会のコイントスを現役選手が勤めたのは、これが初めてであった(英語版の"Pre-game ceremonies"の項を参照)。第39回スーパーボウルMVPのディオン・ブランチとフランチャイズ記録となるポストシーズン通算7TDパスキャッチを記録したデイビッド・ギブンズの二人のスターターWRがチームを去り、ベテランのトロイ・ブラウンと新加入のリシェ・コールドウェルを除けば、NFLでの総キャッチ数が全選手あわせて6回というレシーバー陣でトレーングキャンプを迎えた。WR陣は最も多い選手でわずか4TDキャッチと軒並み低い成績に終わるも、チームは昨シーズン不調だったディフェンスが調子を取り戻し、ブレイディはパス3,529ヤード24TD、QBレイティング87.9の活躍でオフェンスを引っ張った。チームは12勝4敗で地区優勝を決めプレーオフ進出を果たした。ワイルドカード・プレーオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、続くディビジョナル・プレーオフでは、この年MVPを獲得したRBラダニアン・トムリンソンを擁する第1シードのサンディエゴ・チャージャーズを、24-21の逆転勝利で破った。しかしAFCチャンピオンシップゲームでは、前半に大きくリードしながらも逆転でインディアナポリス・コルツに敗れ、スーパーボウル進出はならなかった。スーパーボウルや大学時代のボウルゲームを含め、タイトルゲームで敗れたのはキャリア初のことであった。シーズンを通してブレイディは4人の選手にそれぞれ40回以上のパスを通し、24個のタッチダウンパスを11人に投げ分けてタレント不足のチームをチャンピオンシップゲームにまで導いたが、この試合ではコールドウェルが二度に渡って手痛い落球を犯してしまうなど、限界を見せつけられる形となった。なお、QBフィリップ・リバースが足首の怪我で辞退した為、繰り上げでのプロボウル選出を打診されたが、これを断っている(代わりにビンス・ヤングが選出された)。オフにランディ・モス、ウェス・ウェルカー、ダンテ・ストールワースといった新たなWRがチームに加入した。多彩なレシーバー陣を手に入たブレイディはOCジョシュ・マクダニエルズと共に、レシーバーをフィールド全体に大きく広げるを展開した。パサーとしての能力を最大限に発揮したブレイディは、ペイトリオッツと共にNFL史上に残る歴史的なシーズンを送った。開幕から全試合で34点以上を記録して5連勝を収めると、先発QBとしてレギュラーシーズン100試合目となった第6週のダラス・カウボーイズ戦では、キャリアハイとなる5TDパスを決める活躍を見せ48-27で勝利をおさめた。これはブレイディにとってキャリア76勝目(レギュラーシーズンのみ)となり、スターターQBになってから最初の100試合で76勝という成績はカウボーイズのレジェンド、ロジャー・ストーバックと並んでNFL記録となった。第7週のマイアミ・ドルフィンズ戦ではキャリアハイを更新する6TDパスをあげ49-28で勝利した。ブレイディはパス25回中21回成功354ヤードの活躍で、自身初となるQBレイティング満点(158.3)を記録した。6TDパス、QBレイティング満点はいずれもペイトリオッツのフランチャイズ記録となった。第8週ではワシントン・レッドスキンズを52-7で破り、開幕8連勝を収めた。ブレイディは早くもキャリアハイを更新するシーズン30TDパスを記録し、ここまで1試合平均41得点という爆発的なオフェンスを指揮した。第9週では同じく無敗のインディアナポリス・コルツを24-20の逆転で破り全勝対決を制した。ブレイディはこの試合でも3つのTDパスを決め、ペイトン・マニングの持つ8試合連続3TDパス(もしくはそれ以上)の記録を塗り替えた。またベイブ・パリの持つシーズン最多TDパス31のチーム記録も塗り替えた。第11週はバッファロー・ビルズを56-10で破り、5TDパスを決めたブレイディはキャリア通算TDパスを185としてスティーブ・グローガンが持つフランチャイズ記録(182)を塗り替えた。第12週ではフィラデルフィア・イーグルスを31-28で破ったが、ブレイディは1TDパスに終わり、3TDパスの連続試合記録は10で止まった。第13週のボルチモア・レイブンズ戦では、相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみ第4Qで7点のリードを許すが、残り55秒でジャバー・ギャフニーへの逆転TDパスを通し、27-24で勝利をおさめた。ブレイディはシーズン40TDパスを達成したNFL史上4人目のQBとなった。第14週のピッツバーグ・スティーラーズ戦では4TDパスを決め31-13で勝利し、リーグ最速でプレーオフ進出を決めた。ブレイディはキャリア2度目となるシーズン4,000ヤードを達成し、このシーズンの通算TDパスを歴代3位の45とした。また、この試合は3TDパス(もしくはそれ以上)を記録したシーズン11度目の試合となり、ダン・マリーノが1984年シーズンに樹立したNFL記録を塗り替えた。第15週のニューヨーク・ジェッツ戦は、悪天候もありシーズン唯一のTDパスなしの試合となったが、ブレイディはQBとしてNFL史上4番目に長い記録となる108試合連続先発出場を達成した。第16週ではマイアミ・ドルフィンズを28-7で破り、レギュラーシーズン全勝に王手をかけた。ブレイディのこの日3つ目のTDパスはチーム全体でシーズン71個目のTDとなり、1984年シーズンにドルフィンズが記録した70TDのNFL記録を塗り替えた。第17週はレギュラーシーズン全勝をかけてニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。第2QにブレイディからモスへのTDパスが決まり、モスはジェリー・ライスの持つシーズン最多TDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングの持つシーズン最多TDパス49に並んだが、直後のリターンでTDを奪われるなど、一時は12点のリードを許す苦しい展開となる。しかし、第4Qにブレイディがモスに65ヤードのTDパスを通して逆転し、ブレイディはシーズン最多記録となる50TDパス、モスはシーズン最多記録となる23TDレシーブを同じプレーで達成する快挙を成し遂げた。その後は逃げ切って38-35で勝利をおさめ、シーズンが16試合制になってから初のレギュラーシーズン全勝を達成した。初戦のディビジョナル・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズと対戦し、ブレイディはポストシーズンのNFL記録となるパス16回連続成功を果たすなど28回中26回成功263ヤード3TDパスの活躍を見せ、31-20で勝利をおさめた。1試合でのパス成功率92.9%はNFL記録となった。AFCチャンピオンシップゲームでは、ブレイディが3INTを喫するもディフェンスが奮闘しTDを許さず、21-12でサンディエゴ・チャージャーズに勝利した。ペイトリオッツは1972年にマイアミ・ドルフィンズが成し遂げたシーズン17連勝(当時レギュラーシーズンは14試合制)を塗り替えるシーズン18連勝を達成し、7シーズンで4度目のスーパーボウル出場を果たした。この勝利でブレイディはスターターQBとして(プレーオフを含む)NFL史上最速でキャリア100勝目をあげた(通算100勝26敗)。これはそれまでNFL最速であったジョー・モンタナの記録(100勝42敗)よりも16試合はやい達成となった。1972年シーズンにマイアミ・ドルフィンズが達成して以来のパーフェクトシーズンが期待される中、ブレイディは2月3日の第42回スーパーボウルを迎えた。対するニューヨーク・ジャイアンツはシーズン最終週でペイトリオッツに敗れて以降調子をあげ、敵地でダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを破り、ワイルドカードから見事スーパーボウル進出を達成した。試合はペイトリオッツ優位と見られていたが、ブレイディは5つのサックを浴びるなどジャイアンツの激しいパスラッシュに苦しみ、試合は予想外のロースコアゲームとなった。それでも第4Q残り2分45秒でモスへのTDパスを決め14-10と逆転したが、最後はイーライ・マニングがデイビッド・タイリーのスーパーキャッチを経た決勝ドライブを決め、ペイトリオッツは14-17で敗退した。ブレイディはパス獲得ヤード、TDパス、QBレイティングでリーグトップの成績をおさめた。また、当時NFL史上5位となるパス成功398回、同3位のパス4,859ヤード、同7位のパス成功率68.9%、同2位のQBレイティング117.2、NFL新記録となる50TDパス(2013年にペイトン・マニングが更新)、更にはINTわずか8と、キャリアで自己最高の成績を収め、プロボウルとのファーストチームに選出された。シーズン中はの選ぶNFL週間最優秀選手に4回(第6、7、11、17週)、AFC週間最優秀攻撃選手に5回(第3、6、7、14、17週)、AFC月間最優秀攻撃選手に2回(9月と10月)選出された。これらの活躍を受け、ブレイディは50票中35.5票を獲得して最優秀攻撃選手賞に、そして50票中49票を獲得して自身初のリーグMVPを受賞した。右足の状態が思わしくなくプレシーズンを全休した 。そして開幕戦のカンザスシティ・チーフス戦でセイフティ(S)バーナード・ポラードから膝にタックルを受け負傷退場しシーズン絶望となった。このときのプレーは2009年シーズンから通称ブレイディルールとして禁止されている。この怪我で連続先発試合出場記録は111で途切れた。ブレイディを欠いたペイトリオッツは序盤に苦戦するがその後QBマット・キャセルの活躍もあって立て直し、シーズン11勝5敗と善戦するも惜しくもプレーオフ進出を逃した。当初は膝の感染症にかかるなど開幕に間に合うか心配されたがその後順調に回復し、第1週のバッファロー・ビルズ戦で1年ぶりに公式戦復帰を果たした。試合は第4Q終番で11点のビハインドを許し敗色濃厚だったが、第4Q残り2分10秒からブレイディが2つのTDパスを決め逆転し25-24で見事復帰戦を飾った。その後はブランクもあってか苦戦が続き、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦では相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみTDなしに封じ込められ16-9で敗れた。第5週のデンバー・ブロンコス戦では20-17とキャリア初のオーバータイムでの敗北を喫するなど(無敗での通算7勝はNFL記録)スタートで3勝2敗となった。しかし第6週のテネシー・タイタンズ戦では6TDパスQBレイティング152.8を記録し、1976年以来の大差となる59-0で勝利した 。この試合で記録した1Q間での5TDパスはNFL記録となった。なお第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で節目となるキャリア200個目のTDパスを決めた。116試合目(途中出場を含む)での200TD達成はNFL史上4番目に早い記録となった。その後ブレイディは調子をあげていき、右手の薬指と3本の肋骨の骨折を抱えながらも4,398ヤード28TD、QBレイティング96.2とキャリアで2番目に良い成績をおさめ5度目のプロボウル選出を果たし、カムバック賞を受賞した。しかしながらチームは10勝6敗とキャリアで2番目に悪い成績に終わり、リーグトップのパスレシーブ回数を記録していたWRウェルカーを怪我で欠いたワイルドカード・プレーオフではホームでボルチモア・レイブンズに敗れシーズンを終えた。ブレイディはキャリア初のプレーオフ初戦敗退とプレーオフでのホーム敗戦を味わった。このシーズンはテディ・ブルースキーやロドニー・ハリソンなど王朝時代を支えた多くのベテラン選手が引退やトレードなどでチームを去ったこともあり、ペイトリオッツは第4Qでの逆転負けを4度も許すなど勝負強さに欠いた。ブレイディは通したパスの約55.5%がモスとウェルカーの両エースWRに偏っており、特にウェルカーには約33%と大きく依存していた。(レシーバー不足だった2006年は最も高い選手で約18.7%で2007年は約28%)一方サックは16回とキャリアで最も少なかった。ブレイディは多くのベテラン選手が去ったことについて「彼らは特別な選手であり、特別な人物だった。ペイトリオッツのユニフォームを着れば、ペイトリオッツらしいチームプレイができる訳じゃない。コーチ、選手たちが一体となって同じゴールを目指し、努力しているからこそだ。彼らのような選手を失うことは、大きな喪失だった。」と話し、 このシーズンの敗因としてチームとしての自信や信頼、メンタル的な強さの欠如をあげた。このシーズンが2005年にチームと結んだ6年6000万ドルという契約の最終年だったため、新契約やシーズン終了後の去就をめぐる様々な憶測がメディアを賑わせた。シーズン開幕が間近に迫った現地9月9日に2011年シーズンから2014年シーズンまでの4年総額7200万ドル、一年あたりの平均年俸はNFL史上最高額の1800万ドルという大型契約を結んだ。またその直後、自動車の運転中に交通事故に遭うが、幸い怪我はなくすぐに練習に復帰した。開幕戦ではシンシナティ・ベンガルズと対戦し3TDパスを含むQBレイティング120.9の活躍を見せチームの勝利に貢献した。この勝利でブレイディは開幕戦の通算成績を8勝1敗とし、これは1970年以降のQBではロジャー・ストーバックの8勝0敗に次ぐ記録となった。38-30で勝利した第3週のバッファロー・ビルズ戦では3TDパスQBレイティング142.6を活躍をみせキャリア通算のTDパスを233とし、殿堂入りQBのスティーブ・ヤングを抜いて歴代19位となった。2勝1敗で迎えた第4週のマンデーナイト・フットボールではパス153ヤード1TDにとどまるも、ディフェンスやスペシャルチームの活躍もあり41-14でマイアミ・ドルフィンズに勝利した。この勝利でブレイディは通算成績を100勝31敗とし、NFL史上11人目となるレギュラーシーズン100勝を達成した。また131試合での100勝達成はそれまでの記録であったジョー・モンタナの139試合を抜いてNFL史上最速記録となった。翌週はバイウィークであったがチームはシーズン終了後の去就が注目されていたWRランディー・モスをミネソタ・バイキングスへとトレードし、数日後にかつてペイトリオッツで2度のスーパーボウル制覇に貢献したディオン・ブランチをトレードで獲得した。迎えた第6週では昨シーズンのプレーオフで完敗したボルチモア・レイブンズと対戦した。試合は第4Qでレイブンズに10点のリードを許す苦しい展開となるも、再加入後初となるブランチへのTDパスを決めるなどして同点に追いつき、レイブンズの攻撃から始まったオーバータイムでは両チームあわせて5回のパントを経たのち最後はKスティーブン・ゴストコウスキのFGが決まり23-20で逆転勝利をおさめた。この試合でブレイディはオーバータイムでの成績を通算8勝1敗とし、またキャリア通算のウイニングドライブ数を30回とした。その後2連勝を果たすも第9週でクリーブランド・ブラウンズに敗れ6勝2敗となったが、ここからブレイディとペイトリオッツは快進撃を始める。第10週では同じく6勝2敗のピッツバーグ・スティラーズと敵地ハインツ・フィールドで対戦し、ブレイディは新人TEロブ・グロンコウスキーへ3つのTDパスを決めるなどパス350ヤードQBレイティング117.4の活躍を見せ、チームは39-26で前評判を覆す完勝をおさめた。第10週ではライバルのインディアナポリス・コルツと対戦し、ブレイディは2TDパスを通すなどして第4Qまで31-14と試合を優位に進めると、最後はディフェンスがこの試合3つ目のINTを奪ってコルツの猛追を振り切り31-28で勝利をおさめた。この勝利でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を25とし、1995年シーズンから1998年シーズンにかけてブレット・ファーヴが樹立したNFL記録に並んだ。第11週では伝統の感謝祭ゲームでデトロイト・ライオンズを45-24で破り、ブレイディはパス27回中21回成功341ヤード4TDという成績でキャリア2度目となるQBレイティング満点の158.3を記録した。これでブレイディはキャリアでQBレイティング満点を複数回記録したNFL史上6人目の選手となった。試合後にライオンズのセンター(C)ドミニク・ライオーラはブレイディを「まるで外科医のようだ。」と評した。第12週ではペイトリオッツと共に9勝2敗で並んでいたニューヨーク・ジェッツと対戦した。チームは第2週に敵地での同カードで敗れており、地区首位をかけた重要な一戦であったことや共にAFC最高勝率を収めていたことなどからジェッツのHCレックス・ライアン自ら「今季最高のゲームになるだろう。」と話していたが、ペイトリオッツは序盤からジェッツを圧倒し45-3の完勝をおさめた。ディフェンスがジェッツのQBマーク・サンチェスから3つのINTを奪うなどしてジェッツをTDなしに封じたほか、ブレイディはパス29回中21回成功326ヤード4TD(QBレイティング148.9)の活躍を見せた。この試合でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を26としNFL新記録を樹立したほか、NFL史上13人目となるキャリア通算250TDパスを記録した。第13週ではシカゴ・ベアーズと対戦し、ブレイディは強風と豪雪の中パス369ヤード2TDの活躍を見せチームは36-7で完勝をおさめプレーオフ進出を決めた。続く第14週のグリーンベイ・パッカーズ戦でも勝利をおさめ、ブレイディは7試合連続で2TD(もしくはそれ以上)インターセプトなしというNFL新記録を樹立した。また自身キャリア二度目となるシーズン30TDパスを達成した。34-3で勝利した第16週のバッファロー・ビルズ戦でもブレイディは3TDパス0INTをマークし自身の記録を8試合連続に更新したほか、第6週のレイブンズ戦で喫して以来パス319回連続インターセプトなしというNFL新記録を樹立した。この勝利でペイトリオッツは2年連続となる地区優勝と2007年シーズン以来となるプレーオフ第1シード獲得を決めた。ブレイディはシーズン最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦でも2TDパス0INTを記録しチームも38-7で勝利した。ブレイディはシーズンが16試合制となって以降シーズン全試合で最低1TDパスをマークしたNFL史上6人目のQBとなった。ペイトリオッツはホームゲーム8戦全勝、最後は8連勝を達成しリーグトップの14勝2敗でレギュラーシーズンを終えた。AFC第1シードのペイトリオッツはディビジョナル・プレーオフで、ワイルドカードからインディアナポリス・コルツを接戦で破って勝ち上がってきたニューヨーク・ジェッツと対戦した。第12週で大勝していたこともあり試合はペイトリオッツ有利と見られていたが、第1Qのペイトリオッツ最初のドライブでブレイディがレギュラーシーズンと合わせて実に340投ぶりのINTを喫してしまう。その後も5つのサックを浴びるなどジェッツディフェンスに苦しめられ、28-21で2シーズン連続となるプレーオフ初戦敗退を喫した。ブレイディはパス3,900ヤード36TD(4INT)、NFL史上5位となるQBレイティング111.0という成績でレギュラーシーズンを終えた。パス36TD、QBレイティング111.0はリーグトップの成績となった。ブレイディは異なる2つのシーズンで通算QBレイティング110以上を記録したNFL史上初の選手となった。またこのシーズンのINT率0.8%(パス492回中4INT)はNFL史上最も低い数字となったほか、TDパスとINTの比9:1(36TD 4INT)という成績は自身が2007年シーズンに記録した6.25:1(50TD 8INT)を大幅に塗り替えるNFL記録となった。なおシーズンでのTDとINTの比が6:1を上回る成績を記録したプレイヤーはNFL史上ブレイディただ一人である。ブレイディはファン投票でリーグ最多の187万7089票を集め2年連続6回目となるプロボウル選出を果たした。なおスターターとしての選出は2007年シーズン以来自身2度目である。これらの活躍が評価され、ブレイディは50票中21票を獲得しNFL最優秀攻撃選手に、史上初となる満票でのシーズンMVPに選出された。また自身3度目となるオールプロにも満票で選出された。前年のドラフトにて指名した二人のタイト・エンド、グロンコウスキーとアーロン・ヘルナンデスを中心とするオフェンスが猛威をふるい、ブレイディはシーズンでパス5,235ヤード・39TDを記録した。チームは喪失ヤードでリーグワースト2位と守備陣が苦戦。本来はWRやスペシャルチームの選手であるジュリアン・エデルマンやマシュー・スレイターをディフェンスに起用するなど苦肉の策をうちながらも、リーグ3位のターンオーバー奪取数とブレイディ率いる攻撃陣(得点数・獲得ヤードでそれぞれリーグ3位・2位)が全体を引っ張る形で13勝3敗の好成績を収め、AFC第1シードでプレイオフに進出した。プレイオフでは初戦でティム・ティーボーがQBを務めるブロンコスと対戦し、プレイオフ記録タイとなる6つのTDパスを決めるなどして圧勝する。カンファレンス・チャンピオンシップではレイブンズの守備陣に苦戦するも、第4Qに自らのTDランで逆転し、最後はレイブンズのKビリー・カンディフのFGが大きく外れ、自身5度目のスーパーボウル進出を決めた。しかし、この試合でシーズン18TDに加え、TEとして歴代最多となる1,327ヤードを記録するなどの活躍を見せていたグロンコウスキが怪我を負ってしまう。第46回スーパーボウルでは2007年にパーフェクト・シーズンを阻まれたジャイアンツと再び相対する。ブレイディはこの試合最初のプレーで自殺点を献上してしまうなど、ジャイアンツの守備陣に苦戦を強いられるが、第2Q残り8秒というところでダニー・ウッドヘッドにTDパスを通し逆転、スーパーボウル史上最長となる96ヤードのTDドライブを完結させる。第3QにもヘルナンデスにTDパスを通し、17-9とリードを広げるも、自身スーパーボウル2度目となるインターセプトを喫するなどして追加点を奪えない。試合時間残り4分6秒、敵陣44ヤード地点でブレイディはウェルカーにパスを投げるも、少し高めに浮いたパスをウェルカーはキャッチできず。決まっていればファーストダウン更新で大きく勝利に近づいていたが、次のプレーでもパス不成功に終わり、パントで攻撃権を受け渡すこととなる。ジャイアンツは試合時間残り3分46秒からの攻撃でQBイーライ・マニングがWRマリオ・マニンガムに38ヤードのパスを通す。第42回スーパーボウルでのヘルメットキャッチに続くスーパープレーで勢いづいたジャイアンツはその後もパスを通してペイトリオッツ陣内に侵入。最後は攻撃時間を残すためにジャイアンツにわざとTDを決めさせてブレイディに逆転の望みを託すも、ヘイルメイリー・パスが不成功に終わり、21-17で再びジャイアンツの前に屈することとなった。ブレイディは攻撃の核であるグロンコウスキとヘルナンデスの負傷に苦しめられながらも、34TDに対し8INT、4,827を記録する活躍でプロボウルに選出された。チームは獲得ヤード・得点数で共にリーグトップとなるなど、前年に引き続き攻撃が好調を保った。第6週でシアトル・シーホークスに敗れ、3勝3敗のスロースタートを切るも、以降レギュラーシーズン最後の10試合で9勝を挙げ、12勝4敗の第2シードでプレイオフに進出する。プレイオフではシード明けの初戦でヒューストン・テキサンズと対戦した。この年、テキサンズとはレギュラーシーズン第14週でも戦っており、当時11勝1敗で大躍進を果たしていた同チームを相手に42-14の大勝を飾っていた。その試合で4つのTDパスを決めていたブレイディは、この試合でも3つのTDパスを決めるなどの活躍を見せた。試合は接戦模様の前半から第3Qにペイトリオッツが一気に14点を追加して突きはなし、41-28で勝利を収めた。これでブレイディはモンタナを抜いて、NFL史上最多となるプレーオフ17勝目を手にした。カンファレンス・チャンピオンシップでは2季連続でレイブンズと対戦。先のテキサンズ戦で負傷したグロンコウスキを欠いて挑んだこの試合では、ブレイディは54回ものパスを投じたものの、2つのINTを喫するなど、今季で引退を表明していたレイ・ルイス率いる相手守備陣に苦戦した。チームは前半を13-7とリードして折り返すも、後半は得点を奪うことができず、28-13で敗れシーズンを終えた。オフシーズンにチームの看板TEコンビの一人だったヘルナンデスが殺人容疑で逮捕、チームからも放出されるという事件が起こる。また2007年以降、ブレイディのターゲットとして活躍し、チーム歴代最多キャッチ数記録の保持者だったWRウェルカーが、ライバルであるペイトン・マニング率いるブロンコスへ移籍する。グロンコウスキも怪我の為に開幕からの出場が叶わず、チームは06年を思い起こさせるようなレシーバー不足に陥った。しかしチームは苦戦を交えながらも開幕4連勝を飾ると、第6週のニューオリンズ・セインツ戦では、幾度となく試合終了かと思われるような窮地に達しながら、残り10秒でブレイディが劇的なTDパスを決めて逆転勝利を飾って連敗の危機を脱する。第7週では試合には敗れたもののグロンコウスキが待望の復帰を果たし、第9週では強豪のスティーラーズを相手に55-31の完勝を収める。第12週のデンバー・ブロンコス戦では、前半を0-24の大量ビハインドで折り返すも、後半に28点を連取して一時は逆転する。その後、試合はオーバータイムにもつれるが、最後は移籍したウェルカーが絡んだブロンコス側のミスがターンオーバーに繋がり、ペイトリオッツがFGを決めて大逆転勝利を完結させた。第14週のブラウンズ戦でもチームは苦境を跳ね返す。前半を無得点で折り返すなど攻撃陣が機能しないまま第4QにTDパスを決められ、試合時間残り2分39秒で26-14と逆転が非常に厳しい状態に陥る。ブレイディのこの日初めてのTDパスがWRエデルマンに決まって残り時間は1分1秒。続くキックオフで連続攻撃権奪取を目指したオンサイドキックに見事成功すると、最後は残り31秒でWRダニー・アメンドーラへの逆転TDパスを通し、今シーズンの象徴ともいえる劇的な逆転勝利を手にした。しかしこの試合でグロンコウスキが膝にタックルを受けて大けがを負ってしまい、シーズン絶望となってしまった。チームはレギュラーシーズンを12勝4敗で終え、2年連続となる第2シードでのプレイオフ進出を果たした。ブレイディはグロンコウスキの怪我も相まってレシーバー不足に悩まされたが、09年にドラフト7巡指名で加入後、ウェルカーの陰に隠れて燻っていたWRエデルマンがキャリア最高となるシーズンを過ごし、ウェルカーの穴を埋めた。ブレイディは25TDパスに4,343ヤードと近年の数字から個人成績を大きく下げたが、それでも自身9回目となるプロボウルに選出された。プレーオフではシード明けの初戦でアンドリュー・ラック率いるコルツを43-22で寄せ付けず完勝。チームはランで234ヤード・6TDを記録するなど、地上戦でコルツを圧倒した。3季連続での進出となったカンファレンス・チャンピオンシップでは、長年のライバルであるペイトン・マニングと06年以来となるプレーオフでの決戦となるが、このシーズンに07年のペイトリオッツ並びにブレイディの記録を塗り替えるなど屈指の攻撃力とタレント力を誇ったブロンコスの前に第4QまでTDを奪えず、最終的には26-13で敗れた。このシーズン、ブレイディはチームに多くの劇的な勝利をもたらしたが、一方でタレント不足だけでなく、自身のパフォーマンスも下降している傾向にあることを一部メディアから指摘された。プロ・フットボール・フォーカスのサム・モンソン氏は、ブレイディの2011年をピークとした成績の下降をとりあげ、「ブレイディはもうトップ5にはいるQBではない」との記事を発表し、大きな反響をもたらした。半年後、彼はそれが間違いであったことを認めることとなる。チームはオフシーズンに長年の功労者でプロボウルの常連でもあったLGローガン・マンキンスをトレードで放出し、TEティム・ライトを獲得する。ブレイクを果たしたエデルマンと再契約を果たし、タレント不足だったレシーバー陣にはフリーエージェントだったブランドン・ラフェルを獲得した。また守備ではチームNo.1のコーナーバックだったアキーブ・タリブとの再契約に失敗すると(タリブはブロンコスに移籍)、同日にリーグ屈指のシャットダウンCBであるダレル・リーヴィスを獲得した。しかし開幕戦でチームは同地区のドルフィンズに20-33で敗れ、これは2003年以来となる開幕戦での敗戦となった。その後はバイキングスとレイダースに連勝するも、ブレイディの苦戦は顕著だった。開幕3試合全てでパス獲得ヤードは250ヤード未満、TDパスは各試合で一つずつのみだった。この間、ブレイディは7度のサックを受けた。そして迎えた第4週のカンザスシティ・チーフス戦で、チームは41-14の大敗を喫する。ブレイディはパス159ヤード・1タッチダウンに抑え込まれ、さらに各2つのインターセプトとサックを献上した。うち一つのINTはリターンTDだった。ブレイディは第4Qに控えQBのジミー・ガラポロと変わってベンチに退いた。全米放送のマンデーナイト・ゲームで喫したこの大敗に、多くのメディアはペイトリオッツのシーズン並びに長年にわたる王朝は終わりを迎えたと報じた。その中心だったヘッドコーチのベリチックとQBブレイディへのバッシングも激しく、様々な解説者たちが痛烈な批判を繰り返した。HCのビル・ベリチックは、結果的にこの試合のハーフタイムが、チーム4度目のスーパーボウル制覇を成し遂げることになるシーズンの転換期であったと、のちに回顧している。敗戦に関して悲観的な見方が多かった中、ベリチックはチームに「良い兆候を見た」と話し、「我々は全60分間を戦い、必死にプレイしようとしたんだ、もう勝てるチャンスが全くなかった試合終盤においてもね。私はそれが良い兆候だと思ったよ。良いプレイをしたからではない、しかし必死にプレイしたことに対してね。」と続けた。試合後の会見でベリチックは記者から、QBのポジションも再評価しなおすかと尋ねられた。試合を引き継いだガラポロが好パフォーマンスを見せたからであったが、ベリチックは鼻で笑って答えなかった。後日の会見では記者陣からしつこく敗戦について質問されるが、のちに有名になる"We are on to Cincinnati"「我々はシンシナティ(翌週の対戦相手であるベンガルズのこと)に向かっている」というフレーズを13回も繰り返し、ブレイディに関する批判も煙に巻いた。迎えた第5週、チームは開幕から3連勝と波に乗るベンガルズと対戦する。この試合でペイトリオッツは終始ベンガルズを圧倒し、43-17で完勝を収めた。ブレイディはパス292ヤードと2つのTDパスで攻撃陣を引っ張った。この試合でブレイディは、リーグ史上6人目となる通算パス50,000ヤード獲得を達成した。試合後、この日レシーブ100ヤードと1TDパスキャッチを決めたグロンコウスキは「俺たちはトム・ブレイディをトム・ブレイディにしてやったのさ、君たちが1週間にわったて彼を批判しつくした後に・・・ファンも、何もかもをね。最高の気分だよ」と語った。この試合を機に、ブレイディとペイトリオッツは勝利を積み重ね、第13週でパッカーズに敗れるまで7連勝を果たした。この間のチームの平均得点は37.25点だった。第9週でライバルのペイトン・マニング率いるブロンコスを全く寄せ付けない完勝を収めたあと、前述のように「ブレイディはトップ5のQBではない」との記事をシーズン前に発表していたサム・モンソン氏は、「ブレイディはトップ5のQBではない。No.1だ」として、いかにブレイディのパフォーマンスが劇的に変化したかの解説記事を掲載した。同氏は過去数シーズンにわたっての下降傾向を、シーズン第5週から大きく覆している点を指摘。特にロングパスの精度、プレッシャーを受けた時のパスの正確性が格段に向上しているとした。このように、シーズン初期の不調から見事に脱却したブレイディとペイトリオッツは、12勝4敗で地区優勝ならびに第1シードでのプレイオフ進出を決めた。ブレイディはパス4,109ヤード33TDの成績でプロボウルに選出された。シード明けのディヴィジョナル・プレーオフでは近年のプレーオフで雌雄を争ってきたボルチモア・レイブンズと対戦。第1Qと第3Qの2度にわたって14点差をつけられる苦しい試合展開だったが、通常5人のOLを4人にするトリッキーなフォーメーションやWRジュリアン・エデルマンを使ったトリックプレーが功を奏し追いつくと、試合時間残り5分21秒でWRブランドン・ラフェルへのTDパスが決まり、この試合初めてのリードを奪う。その後のレイブンズの攻撃をしのぎ切り、4年連続となるカンファレンス王座決定戦への進出を決めた。試合後、レイブンズのヘッドコーチであるジム・ハーボーはペイトリオッツのトリッキーなフォーメーションを批判したが、ルールにのっとったものであり、他のチームも既に導入していたプレーであった。AFCチャンピオンシップゲームでは、長年のライバルであるコルツと相対する。昨年のプレーオフ、そして今シーズンのレギュラーシーズンでもペイトリオッツは地上戦でコルツを圧倒しており、この試合でもRBリギャレット・ブラントがラン143ヤードと3TDを記録した。守備陣も3つのターンオーバーを奪うなどしてQBアンドリュー・ラック率いるコルツ攻撃陣を封じ込め、45-7で圧勝を収めた。ブレイディは史上最多となる6度目のカンファレンス制覇並びにスーパーボウル出場を決めた。この試合が後述する、ボールに関する空気圧不正問題、通称"Deflategate"(デフレートゲート)の始まりとなった。第49回

出典:wikipedia

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