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聖神社 (和泉市)

聖神社(ひじりじんじゃ)は大阪府和泉市にある神社。和泉五社の一つで和泉国三宮。現在の社殿は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもので、本社本殿や末社本殿が重要文化財に指定されている。旧府社。『延喜式神名帳』には和泉国和泉郡「聖神社」とあるが、「信太大明神」「篠田社」「信太聖社」などとも呼ばれる。聖大神は『古事記』に「聖神」と登場する大年神の御子神である。『和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起』によると本地仏は地蔵菩薩となっている。神武天皇東征の際に瓊々杵尊を祀ったとする伝承と、白鳳3年(675年)8月15日に天武天皇の勅願により渡来氏族の信太首(しのだのおびと)が聖大神を祀ったとする伝承の二説がある。貞観元年(859年)5月7日に官社に指定され、同年8月13日に従五位下から従四位下の神階を受ける(『三代実録』)。延長5年(927年)に施行された『延喜式』ではその「神名帳」に記載される(式内社)。中世の『和泉国神名帳』では神階が「正一位」となっている。鎌倉時代には信太氏が代々神主職となっていたが、南北朝時代に南朝方についたために、その後信太氏は神主職の地位を失う。かわって延文5年(1360年)には和田蔵人が神主職についている。南北朝時代より同じ和泉国の大鳥神社、泉穴師神社、積川神社、日根神社とともに「五社大明神」と呼ばれるようになる。和泉国の神社の3番目の地位を占めるが、「三宮」の記述は中世にはない。天正3年(1575年)、織田信長に所領1100石を安堵されるが、同13年(1585年)の豊臣秀吉の根来攻めで兵火にあい、所領も没収された。江戸時代の初期に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として各地の社寺を造営したが、当神社も慶長9年(1604年)に造営されている。現存する当時の社殿は本社本殿と末社三神社・滝神社・平岡神社の本殿で国の重要文化財及び大阪府の有形文化財に指定されている。また神宮寺として真言宗の万松院があり、五重塔や鐘堂があった。寛政8年(1796年)には社家と社僧の間で紛争が起こっている。明治になると、神仏分離により神宮寺の万松院は廃寺となった。明治5年(1872年)に郷社に列格し、昭和18年(1943年)3月に府社に昇格する。戦後、神社本庁の被包括宗教法人となる。泉大津市助松町から伸びる「中和泉街道」は「布引の道」とも呼ばれ、助松浜に上陸した信太大明神が、聖神社に向かう際に布を引いたことに由来する。なお、「中和泉街道」の碑は、紀州街道との交差点に立っている。本殿は桁行3間梁間3間の入母屋造檜皮葺の社殿で、正面に千鳥破風を飾り、1間の軒唐破風の向拝(こうはい)を設ける。慶長9年(1604年)の建立。大正13年(1924年)4月15日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定され、1950年の文化財保護法施行により国の重要文化財となっている。

出典:wikipedia

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