玉子焼(たまごやき)は、鶏卵、出汁、浮粉(うきこ)または沈粉(じんこ)と呼ばれる粉と小麦粉・タコを材料に調製される軽食で、兵庫県明石市の郷土料理である。地元の明石市または東播磨(特に加古川市、高砂市、播磨町、稲美町)、神戸市西部(西区、垂水区、須磨区など)以外の地域では、卵を調理した卵焼きと区別するため、明石焼(あかしやき)と呼ばれることが多い。柔らかく、直径5cm程度の球形が自重で押し潰れたような形をしており、見た目はたこ焼きに似ている。江戸時代の終わり頃から食べられていて、たこ焼きの元になった食べ物といわれている。いわゆる大阪のたこ焼きとは、などの点が異なる。焼く際に焼き鍋に曳く油に胡麻油を用いる店舗がある。店によっては、タコ以外にこれも明石名産の穴子を具として入れているところもある。小さなまな板状の木製の皿に盛り付けられ、添えて出される出汁に浸けて食べる。元々は熱い玉子焼を冷まして食べるために存在していた物であり、温度は常温だった。現在では常温ではなく、温めた出汁を提供する店もある。出汁に薬味として三つ葉を浮かべて出す店舗も見られる。持ち帰りの場合、出汁は口を輪ゴムで縛ったビニールの小袋に入れられて渡される場合が多い。まな板状の木皿は手前が低く奥が高くなっている。これは、皿の洗浄の際に同方向に重ねると水切りがよいためや、奥の柔らかい玉子焼を取りやすいためなど、諸説ある。また玉子焼が柔らかくまた崩れやすく、また大阪のたこ焼きとは違い千枚通しを使わず、焼き鍋から木皿に取り出しにくいため、焼き鍋の上に木の板をかぶせ焼き板ごと裏返して板状の木皿に乗せる。その時の持ち手がついているため、今のような形になったとも言われている。また、この焼き鍋を裏返しにして木皿の上に玉子焼をのせる動作も、玉子焼を焼く上でのひとつの見せ場だと言う。明石市でも特に明石駅南側の魚の棚などの商店街一帯にある店舗が有名で、明石を目指す観光客の目的の一つにもなっている。また明石以外の土地では、たこ焼きを扱う店で「明石焼」の名称で扱われることが多い。この名称が広がったのは大阪府守口市に本社を置く白ハト食品工業が1973年に白ハト印明石焼として各地で販売を開始したことが大きい。なお明石で「明石焼」のみで「玉子焼」の表記がない店舗には老舗は少なく、観光客向けの店舗が多い。古くからある店では玉子焼の専門店は少なく、お好み焼き、そば焼き(焼きそば)、玉子焼の三本柱で提供している店が多くある。明石にずっと住んでいる年配者では、「タマゴヤキ」ではなく「タマヤキ」と呼ぶ者も多く、明石の寺町(大観校区)の玉子焼店では今でも「タマヤキ」で通じる。一人前あたりの個数は、今では店によって異なっている。かつては一人前が銅板の焼き鍋1つ分だったため、一人前を一鍋(ひとなべ)と呼んでいた。明石焼の影響から、明石市に近い神戸市長田区・兵庫区などでは、たこ焼きにソースを塗って出汁につける食べ方で提供している店もあり、神戸たこ焼きと呼ばれている。
出典:wikipedia
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