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第10回参議院議員通常選挙

第10回参議院議員通常選挙(だい10かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1974年(昭和49年)7月7日に日本で行われた国会議員(参議院議員)の選挙である。この選挙では自民党総裁・首相であった田中角栄が企業から集めた巨額の選挙資金を使い、集票を図った。田中はヘリコプターをチャーターして派手な選挙戦を繰り広げ、金権選挙と批判された。投票日、東海地方は七夕豪雨という水害に見舞われ、三重県伊勢市では投票が延期された。自由民主党日本社会党公明党民社党日本共産党※は補欠当選(任期3年)与党・自由民主党は苦戦し、公認のみでは非改選を含め126人となり、半数ちょうどながら過半数を失った(追加公認で過半数を維持)。苦戦の原因は、複数区・全国区での不振であった。しかし、1人区では追加公認1人を含め、25勝1敗と絶対的な強さを見せ、2人区以上と好対照の結果となった。特に北海道選挙区(定数4)では公認候補2名を擁立したものの、これとは別に自民党の政策集団であった青嵐会が「青嵐会公認候補」と称して高橋辰夫を擁立。自民党の公認候補は高橋にかなりの票を喰われ、共倒れした(高橋も落選)。野党は、日本社会党は1人区で自民党に歯が立たず、前回より議席を減らした。代わって議席を伸ばしたのが公明党、日本共産党で、公明党は北海道選挙区と福岡県選挙区、共産党は北海道選挙区と大阪府選挙区で初めて議席を獲得した。全国区では自民党公認でトップ当選した宮田輝始め、2位と3位に市川房枝、青島幸男が入り、タレント候補の強さを見せた。公明、共産、タレント候補の躍進は、野党の多党化が一層進んだことを示した。結果として、与党128、野党124という僅差となり、伯仲国会が生まれた。そして田中角栄は立花隆らによる田中金脈問題の追及を受け、12月9日に内閣総辞職に追い込まれることになる。後任は、椎名裁定により三木武夫内閣が発足した。

出典:wikipedia

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