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ファクシミリ

ファクシミリ()は、画像情報を通信回線を通して遠隔地に伝送する機器、あるいは仕組みのこと。日本の電波法施行規則では「ファクシミリ」は「電波を利用して、永久的な形に受信するために静止影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されている(電波法施行規則2条1項23号)。ラテン語の"fac simile"(同じものを作れ)←{"facere"(為す)+"simile"(同一)}が語源。英語圏では、短縮語である"fax"が広く使われている。日本語では、"fax" を音声転写した「ファックス」あるいは「ファクス」という語が一般的に使用される。大文字のFAXという表記もよく使われる。なお、FAXは本来はゼロックス社のファクシミリに附された登録商標であったが、希釈化が進み、現在では普通名詞として扱われるようになってきている。より問題の少ない表記としてはfacsあるいはfacs.が適切である。送信側で原稿の二次元情報を線または点に分解し読み取り、データ圧縮や変調等の信号処理をして、通信回線で中継し、受信側で信号を復調して原稿を復元する。通信回線としては、公衆交換電話網が利用されることが多いが、IP電話・LAN・インターネットなどの電話交換機を介さないIP通信網を利用した、InternetFAXが2000年代に入り利用されるようになった。写真等、中間調の画像を電送するものを写真電送、文字、図面等を電送するものを模写電送と言う。通常は、電話機と一体になっているものがほとんどである。業務用の複合機などでは、受話器がないものもある(電話は別回線の電話機で受けるため必要ない。また、同一回線で電話も利用できるように、電話機を接続できるようになっている複合機もある。)。企業や商店で、電話での言い間違い・聞き間違いなどのトラブルを避けるため、注文書・見積書などの急ぎの書類のやり取りに使用される。また、家庭でも手書き文書などのやり取りがリアルタイムで行える特徴があり、とりわけ道順や地図などの音声だけでは伝えにくい情報の伝達には威力を発揮し、放送局ではテレビやラジオ番組の視聴者からのリクエストなどをFAXで受け付けていることも多い。聴覚障害者にとっては、音声電話に代わる身近な通信手段でもある。2011年現在では、家庭用・業務用とも、一般の電話回線やIP電話を利用したG3 FAXがほとんどである。同一メーカー同士の通信の場合には、メーカー独自の手法でデータを圧縮して通信時間の短縮を行っていることが多い。原稿の読み取り部は、イメージスキャナである。印刷部は、プリンターである。初期には、放電破壊式が用いられた。表面に黒色の導電層と白色絶縁層の2層を塗布した放電破壊紙を使用し、走査を行う記録針に高圧を印加して導電層との間で放電させる。これにより表面の絶縁層を除去して内面の黒色を浮きだたせ、文字を印刷する物だった。印字中は放電に伴いオゾン臭がするという欠点があった。暫くして、感熱紙を使用した感熱方式が登場するが、用紙の保存性が悪い物がほとんどであった(一部ではあるが保存性を向上させた感熱紙も存在した)。この後、ヘリウム・ネオンレーザー管が普及すると、レーザーを用いた印刷方式が登場した。直接、印画紙やフィルムにレーザーを当てて感光させる物等は階調を必要とする写真電送ファックスとして普及した。後に半導体レーザー素子が普及すると一気に低価格化が進み、レーザープリンターが普及するに至り、レーザー方式の複写機・プリンター・スキャナなどとの複合機が企業などで使用されるようになった。印刷単価よりも機器の価格の安さが優先される家庭用は、当初は感熱紙タイプが用いられていたが、最近販売されている普通紙タイプのものは、単色の場合は熱転写インクリボン方式、カラー複合機の場合はインクジェット方式が使用されることが多い。電信、電話など通信の発達と共に画像電送の要望も高まり、19世紀半ばには開発が始められた。ファクシミリが発明されたのは、電話よりも30年ほど早い、1843年のことである。1843年、イギリス人のアレクサンダー・ベインがファクシミリの原型を発明し、特許を取得した。送信側では、振り子の振幅方向に平行な下部側面に絶縁板をセットする。その絶縁板上に金属の文字を置き、振り子の先に絶縁板に接触する金属針を取り付けて、左右に振り子を動かす。接触針は絶縁板を左右に移動して、絶縁部分に接触している時は“非導通”、金属部分に接触すると“導通”の信号を送る。1回の振幅毎に絶縁板を上方(又は下方)に少しずつ移動させて、絶縁板全体を走査させる。受信側でも同様な振り子と接触針を設けて、化学反応によって変色する記録紙に接触針を走査させる。“導通”の信号のときに電流を流して、記録紙を変色させて送信側の絶縁板上の金属文字を再生させる。送信側の読取走査と受信側の記録走査は、それぞれ別の振り子を利用しているので同期が難しく、記録位置にずれが発生して画像が乱れ実用化されなかった。ベインの同期が難しいという欠点を改良したのがイタリア人カセル (Giovanni Caselli) である。1862年、カセルは送信側から振り子の同期信号を送り、受信側の振り子を電磁マグネットで制御して同期を取ることを発明した (Pantelegraph)。フランス郵便・電信公社で採用され、手書きの文字や図面や絵等の電送に使用された。用紙は111mm×27mmで、約25文字程度が電送でき、主に銀行のサイン照合に利用された。1848年、イギリス人ベイクウエル (Frederick Collier Bakewell) は、ベインの発明を大きく改良し、現在のファクシミリの基本形を発明した。1851年のロンドン万国博覧会で展示された。送信側は、金属円筒に特殊な絶縁インクで書いた金属箔を巻き付ける。円筒の円周方向に固定して接触させた金属針(接触針)を設け、円筒を回転させて“導通”、“非導通”の信号を得る。円筒を回転しながら、接触針を円筒の片方の端から他端にむかって軸方向に少しずつ移動させることによって、円周面(金属箔)全体を走査して受信側に送る。受信側も送信側と同じ大きさの金属円筒と接触針を設け、電流が流れたときに変色する化学紙を巻き付け、送信側に同期して回転させる。送信側の導通・非導通の信号は記録紙に濃淡となって表示される。受信側の円筒の回転速度やスタート・ストップを送信側の円筒と同期することが難しく実用化されなかった。1898年、アメリカ人ハンメル (Ernest A. Hummel) はベイクウエルの欠点を改良した装置 (Telediagraph) を発明した。8インチ径の円筒を用い、送信側の円筒が1周回転する毎に同期信号を発生し、その信号毎に接触針を軸方向に1/56インチ移動していく。受信側では送信側の同期信号を受けて同様な方法で円筒と接触針を制御して同期を取る。同時に送信原稿の信号を受けて記録する。送信原稿は薄い金属箔に非導通のワニスで記載し、受信側では2枚の白紙に挟まれたカーボン紙に記録する。原稿サイズは最大8×6インチ (203mm×152mm) で送信時間は20 - 30分、いくつかの米国新聞社で採用された。その後、1876年にベル (Alexander Graham Bell) により電話が発明され、更に、1883年にエジソンにより真空管が発明、更に真空管から光電管が発明された。1906年、ドイツ人コルン (Arthur Korn) とフランス人ベラン (Edouard Belin) がほぼ同時に、同様な方法で写真の電送に成功した。送信側の円筒に巻き付けていた金属箔を写真やイラスト、文字等が書かれた用紙に変え、接触針の代わりに光電管を使用した。回転するドラムに巻き付けた用紙の小さな一点にレンズで焦点を合わせて、光電管に光を送る。固定したレンズと光電管をドラムの軸方向に少しずつ移動させる。用紙に書かれた文字やイラスト等の“白”と“黒”及びその中間色の部分は光電管によって色の濃さに比例した電気信号に変わり、その信号を電話回線で送る。受信側では送信側と同期して円筒を回転させ、円筒に巻いた印画紙に、送られてきた信号に基づいた光を当てて感光させる。写真の中間調(ハーフトーン)電送を実現させた。コルン式もベラン式も、両方の円筒(ドラム)の回転を一致(同期)させるために、送受信それぞれ別の2個の音叉を使い、その振動に合わせて両方のモーターの回転数を同じにするという原理を使っていた。送信側と受信側の温度や湿度の違いで、音叉の周波数が微妙に変わるためにモーターの回転数に誤差が生じ、画像が乱れるという問題があった。コルンのシステム (photoelectric telephotography) は1910年からパリ・ロンドン・ベルリン間を電話回線経由で結ばれて運用され、ベランのシステム (Belinograph) は1930年代・1940年代にニュースメディアで使用された。その後、日本電気の丹羽保次郎と小林正次が画期的なFAXの技術を開発(後述)し、1920年代後半から実運用が開始された。1929年、ドイツ人ヘル (Rudolf Hell) はテレプリンター方式をファクシミリに採用した新しい方式 (Hellschreiber) を発明した。タイプライタ型のキーボードで文字を入力する。その文字を7×7ドットのパターン(ピクセル)に分解して左側のドット列から順次ON-OFF信号として送信する。受信側ではカーボンコピー紙と記録紙を重ねたテープを円筒に接触させ、円筒の回転に合わせて移動させる。回転する円筒には螺旋状に等間隔な小さな突起が連なり、この突起列は円筒を2周している。円筒と記録用のテープが接する箇所にハンマーがセットされ、受信したON信号によりハンマーで円筒をヒットすると円筒の小さな突起部分がカーボン紙から記録紙に転写される。記録された文字は傾いているが充分可視、判読できる。有線、無線に対応できること、通信系のノイズや歪み、電文の漏洩(秘密の保持)に対して強いことで、1930年代の第2次世界大戦まではポータブルな装置 (Feld-Hell) がドイツ軍に使用された。その後は1980年代までニュースの電送に使用された。日本では1924年(大正13年)6月、大阪毎日新聞と東京日日新聞が日本で初めてドイツからコルン式の電送写真機を3台購入したが不安定、次いで、朝日新聞が1928年(昭和3年)6月フランスからベラン式の電送機を3台購入、実験は成功したが、いずれも画像乱れの問題があり、実用化されなかった。 1928年、日本電気の丹羽保次郎とその部下、小林正次はベラン式やコルン式の同期ずれによる画像乱れを改良したNE式写真電送機を開発した。NE式は在野の発明家安藤博による「同期検定装置」を採用。送信側の回転ドラムを交流モーターで回し、その交流を受信側に送って記録用のモーターを回し、電流の変化を真空管で光の変化に変換し光学的に同期を見ることで画像に乱れなく写真を電送出来た。大阪毎日新聞がNE式を採用した。1928年11月10日に京都御所で行われた昭和天皇の即位礼を、京都から東京に伝送したのが実用化第1号であった。即位礼の時、速報を大阪毎日新聞社と朝日新聞社がかって出た。しかし、ベラン式やコルン式では、信号の同期がとれないため画像が歪んでしまい、国は歪んだ画像を文書に載せ公開することを禁止する法律を制定した。朝日新聞社にドイツのFAXの技術者が、大阪毎日新聞社に当時の日本電気の技術者が就き、両社とも試験時はまったく成功せず、大阪毎日新聞社が本番のとき、初めて成功した。朝日新聞社は、大阪毎日新聞社が速報を出した数時間後に、やっと成功した。その後、NE式は新聞社から始まり官公庁や大企業で専用回線を使用した写真電送に使用され、一般向けでは逓信省が1930年(昭和5年)に「写真電報」という名でサービスを開始した。1936年に開催されたベルリンオリンピックではベルリン - 東京間に敷設された短波通信回線により電送された写真が新聞紙面を飾り、それまでの飛行機便による速報写真は役目を終えていった。1937年(昭和12年)にNE式は携帯端末となり、日中戦争の報道に使用された。NECの無線技術は高く評価され、後に日本陸軍の無線・通信設備を独占した。戦後は、逓信省による東京 - 大阪間の公衆模写電信業務、電電公社の電報、気象庁の天気図、国鉄(現JR)による連絡指示事項を全国の駅に一斉同報、警察の手配写真、新聞報道の写真や記事伝送などに利用された。FAXの普及が急速に進んだのはFAX画像データ伝送の全世界標準化と電話回線のデータ通信への開放である。CCITT(現 ITU-T)において国際的なFAXの画像データ伝送方法(プロトコル)についての標準化が審議された。最初に、1960年(昭和35年)に前述のコルンやベラン、小林らが開発した円筒・機械式走査の『写真電送装置の標準化』が行われた。円筒の直径は66・70・88mmの3種が選定され、走査ピッチ(円筒軸方向の移動幅)は円筒直径を協約数(264または352)で除した数値(直径66mmで協約数264の場合の走査ピッチは0.25mm)とした。この規定により協約数が同一であれば、円筒径が異なる送受信機間でも画像乱れの無い通信が可能となる。その他、ドラムの回転速度(60・90・120・150rpmの4種)とその誤差、同期や位相、振幅変調や周波数変調等について勧告が出された。平面走査タイプのスキャナや新しい記録方式の開発に対応して、1968年(昭和43年)G1規格(電話回線、データ圧縮無しでA4サイズ原稿を6分で送信)が勧告された。G1規格は走査線密度は3.85本/mm、電話回線での走査線周波数は180本/分(3本/秒)、振幅変調 (AM : Amplitude Modulation) と周波数変調 (FM : Frequency Modulation) について規定している。スキャナで得られる画像信号はアナログで、振幅変調で送信する場合は、搬送周波数1300 - 1900Hzの範囲内で白を最大振幅、黒を最小振幅と定めている。周波数変調で送信する場合は、白が搬送周波数-400Hz、黒が搬送周波数+400Hzの範囲内と規定され、交換回線経由での搬送周波数は1700Hzと規定されている。1971年(昭和46年)特定通信回線、1972年(昭和47年)公衆通信回線を利用した通信の自由化(回線開放)とともに、電話回線がデータ通信やFAX通信に広く利用され、東方電機(後の松下電送)・NEC・東芝・東京航空計器・日本無線等が競ってFAXのG1適用機を商品化した。さらに、1976年(昭和51年)にA4サイズの原稿を3分で送信するG2規格が勧告された。走査線密度はG1規格と同じ3.85本/mmで、走査線周波数を360本/分にし、2倍の速度の標準化をしている。画像信号のデジタル化と伝送時間を短縮するデータ圧縮技術が実用化されて、1980年(昭和55年)にA4サイズの原稿を1分で送信するG3規格が勧告された(数回の改訂があり最新版は2003年7月)。対象とする用紙はA4・B4・A3・レターサイズ・リーガルサイズで、その短辺幅を考慮して、走査幅は215・255・303mmの3種を規定している。走査の送り方向の走査線密度(垂直方向)は3.85本/mm(G1・G2を踏襲)、オプションとして7.7本/mm・15.4本/mmを規格化している。走査方向(水平方向)の信号はG1・G2規格ではアナログであるが、G3規格では細かく分割した画素単位(8画素/mm)で白と黒の2値にデジタル化される。オプションとしてインチ系の規格もあり、走査の送り方向(垂直方向)は100・200・300・400・600・800・1200本/1インチ (25.4mm) の7種が、走査方向(水平方向)は100・200・300・400・600・1200画素/1インチ (25.4mm) の6種が規格化されている。画像データのデジタル化にともない、データ圧縮や誤り訂正の技術やFAXにメモリーを内蔵しての種々の機能(一斉同報、機密保護通信、ポーリング受信、時刻指定通信、マルチドロップ、メモリー間通信等)が開発された。G3規格ではオプションとして1次元符号化と2次元符号化、拡張2次元符号化によるデータ圧縮やECM (Error Correction Mode) などを規定することにより、1分送信を実現している。1984年(昭和59年)にFAXデータを高速デジタル回線で送信するための標準化、G4規格が勧告された。G4規格はG3規格を拡張して回線交換公衆データ網 (CSPDN)、パケット交換公衆データ網 (PSPDN)、ISDNに対応した規格である。以上の規格の制定や回線開放と共に量産とコストダウンが進み、官庁や新聞社から大企業、さらに中小企業や個人へと使用が拡大した。1981年には日本電信電話公社(電電公社)により、通信料金の安いファクシミリ通信網(Fネット)が開始された。 同時に日本電気、日立製作所、富士通、松下電送、東芝が分担開発したミニファックスMF-1が電電公社から発売され、ヒット商品となった。1984年にはG3規格摘要の改良機MF-2を開発・販売を開始した,。その間、現在の主力であるG3ファクスが開発され、また1985年に電話機を始めとする端末設備の接続が自由化されると、中小企業や商店などで急速にファクスが普及し始めるとともに、パーソナルコンピュータなどのFAX内蔵モデムが登場する。1988年に開催されたソウルオリンピックを目前に高解像度のカラーイメージスキャナーが登場し、同時に日本の主要都市に光ファイバーが敷設され、デジタル通信回線により高解像度の電送された写真が地方新聞社に送られカラー写真が紙面を飾った。1990年代に入ると、コードレス留守番電話機と結合された形で、一般家庭でも使われるようになった。また、ファクシミリの機能を活用しあらかじめ決められたコード番号を入力することで様々な情報を受信することが可能なFAXサービスの提供が主な企業より行われた。1843年、ベインは振り子の振幅方向に平行な下部側面に絶縁板をセット、その絶縁板上に金属の文字を置き、振り子の先に絶縁板に接触する金属針を取り付けて、左右に振り子を動かす方式を発明した。振り子の先の接触針は絶縁板を左右に移動して、絶縁部分に接触している時は“非導通”、金属部分に接触すると“導通”の信号を送る。1回の振幅毎に絶縁板を上方(又は下方)に少しずつ移動させて、絶縁板全体を走査させる。送信側の読取走査と受信側の記録走査は、それぞれ別の振り子を利用しているので同期が難しく、記録位置にずれが発生して画像が乱れ実用化されなかった。1862年、カセルはベインの同期が難しいという欠点を改良した。1862年、カセルは送信側から振り子の同期信号を送り、受信側の振り子を電磁マグネットで制御して同期を取ることを発明した (Pantelegraph)。フランス郵便・電信公社で採用され、手書きの文字や図面や絵等の電送に使用された。1848年ベイクウエルは金属円筒に特殊な絶縁インクで書いた金属箔を巻き付け、金属針を接触させて、円筒を回転させて“導通”、“非導通”の信号を得る。円筒を回転しながら、接触針を円筒の片方の端から他端にむかって軸方向に少しずつ移動させることによって、円周面(金属箔)全体を走査(スキャン)してその信号を送信した。1906年、コルンとベランはイラスト、文字等が書かれた用紙を回転する円筒に巻き付け、用紙の一点にレンズで焦点を合わせて、光電管に光を送る。固定したレンズと光電管をドラムの軸方向に少しずつ移動させて全体を走査する。用紙に書かれた文字やイラスト等の“白”と“黒”及びその中間色の部分を光電管によって色の濃さに比例した電気信号に変えて送信する。ドラム回転式は原稿を1枚ずつセットするので操作が煩雑で多数の原稿に時間を要する等の問題があり、平面走査による操作性の改善が求められていた。オプティカル・ファイバは極細に引き延ばした糸状のガラスである。そのガラス糸の端面に光を当てると光は直進し、ほとんどロス無く他端に到達する。そのファイバ約1500本を横(原稿幅)一列に並べて、読み取りする原稿に接触させる。原稿に光を当てて白・黒の反射光を対応する1500本のオプティカル・ファイバで反対側に送る。反対側の終端はセンサ側で、配列の順序はそのままで円形に固定し、その円形に対向して円盤を配置、モータで円盤を回転する。円盤にはファイバ終端の円形に相当する位置に1本のファイバがセットしてあり、円盤の回転により1500本のファイバをスキャンする。ファイバの他端から出た光はフォト・マルチプライア(光電子増倍管)で電気信号に変換される。このオプティカル・ファイバはライン・サークル・コンバータと呼ばれ、オリンパス光学が開発した。原稿に蛍光灯の光を当てレンズでフォト・ダイオード・アレイに焦点する。アレイはフォトダイオード512個を一列に並べてLSI化したものである。主走査方向256mm幅の原稿を4分割し4個のフォトダイオードアレイ面に焦点を合わせる。4×512個のフォトダイオードの出力を順次取り出すことにより1ラインの画像信号をスキャンする。8pel/mmの解像度を得る。原稿に蛍光灯で光を当てレンズで一列に並べたフォトダイオードに焦点を合わせる。各フォトダイオードに対応してCCD (Charge Coupled Device Image Sensor) が配置されている。フォトダイオードが受けた光の強さを対応するCCDに伝えて記憶し、CCDを順次読み出すことによりスキャンする。照明を蛍光ランプからLEDアレイに変えて長寿命化、セルフォック・レンズを使用して光路長を30cmから1cmに短縮、センサにCdSタイプを使用したスキャナが開発された。大幅な小型化が図られ、読み取り部のユニット化が実現した。完全な密着イメージセンサは京セラが1996年に発売したのが最初で、その後各社が開発し、各社のファックスで広く採用された。本や雑誌、薄い用紙や小さい用紙等の原稿をガラス面に伏せてセットしてスキャンする。現在のコピーマシーンで採用されている自動給紙機構を持つ高性能ファックスが出現した。1843年、ベインは振り子の振幅方向に平行な下部側面に接触針を設けて、化学反応によって変色する記録紙に接触針を走査させた。“導通”の信号のときに電流を流して、記録紙を変色させて送信側の絶縁板上の金属文字を再生させる。1848年ベイクウエルは金属円筒に送信側と同じ大きさの金属円筒と接触針を設け、電流が流れたときに変色する化学紙を巻き付け、送信側に同期して回転させる。送信側の導通・非導通の信号は記録紙に濃淡となって表示された。1906年、コルンとベランは送信側と同期して円筒を回転させ、円筒に巻いた印画紙に、送られてきた信号に基づいた光を当てて感光させた。写真の中間調(ハーフトーン)電送を実現させた。OFT (Optical Fiber Tube) は表示面にオプティカル・ファイバ(極細に引き延ばした糸状のガラス)を束にして板状にしたプレートを使用したCRT(ブラウン管)である。内面に塗布された蛍光体に電子が衝突して発光し、ファイバを直進して表示面に出てくる。表示面に記録紙を密着して感光させる。一般のCRTは光が発散するが、OFTではファイバの方向へ光が直進するので、レンズにより焦点を合わせる効果と同様な解像度の良い画質となる。FAXに使用するOFTは表示面が扁平な形状で、横幅は用紙の幅(A4の場合約210mm)、縦方向は約1cmである。記録用紙(ZnO紙)を帯電器に通した後、OFTのファイバー・プレートに密着して少しずつ移動する。帯電した用紙はOFT表示面からの光に当たったところが放電(露光)して潜像をつくり、次工程で黒色微細粉をいれた液体で湿したローラと接触(液体現像 : ローラ現像)させることにより、記録紙の帯電していない箇所に黒色粉が付く(現像、定着)。マルチスタイラスは32本の針状電極を微細間隔で一直線に並べてブロック化したものである。そのブロックを64個並べて1列2048本とし、静電記録紙に密着させる。白・黒の信号により金属針の電圧をオンオフして記録紙に帯電させて潜像をつくる。記録紙を現像器に通すと帯電した箇所に黒色微細粉が付く。その記録紙をローラに通して圧力をかけ、黒色微細粉を紙の繊維間に押し込んで定着させる。感熱記録紙は熱により黒色を発色する。FAXの場合は8個/mmの間隔で横一線に並べた発熱体(サーマルヘッド)を記録紙に密着させて画像を得る。多くの普及型FAXで採用されている。構造が簡単でコストが安いが、記録紙が長期保存により退色する短所がある。感光ドラムを「帯電」させ、レーザーで照射すると、照射された箇所の電荷が放電して電荷像(潜像)を作る。帯電させた黒色の微細な粉末(トナー)を感光ドラムに近づけると電荷のない部分にのみトナーが付着する(「現像」)。感光ドラムに用紙を押しつけて、トナーを用紙に「転写」する。ドラムを通過した用紙に強いフラッシュ光を当てトナーを用紙に溶着させて「定着」をする。印字品質が良く印刷速度が速いが、複雑な構造で、コストが高い。現在ではレーザー・プリンタで使用されている。普通紙の上にフィルム状の熱転写リボンを重ねて発熱体(サーマルヘッド)に接触させると、熱が加わった箇所にリボンの色(FAXの場合は黒)が転写される。初期のFAXはロール紙が使用されていたが、最近ではA4またはB4サイズのカット紙が使用されている。1ラインごとに画像データを処理してデータを圧縮する符号化方式である。一般の文書の画素データ (pel) は黒または白の連続が多いことを利用したデータの圧縮方法である。黒(または白)画素の連続した数(ランレングスという)をコードに変換して送信し、受信側で元の画素に復元する。出現頻度の高いランレングスから順番に短いコードに変換して、画像データを符号化することにより、送信データを短く(圧縮)することができ、送信時間を短縮することができる。FAXでは従来の6分の1になりA4原稿を約1分で電送できる。1980年CCITTにおいて、G3規格の中でMH (Modified Hoffman) 符号化方式としてランレングスに対するコードが標準化され、「1次元符号化方式」として制定された。文字や簡単な図形が中心の原稿は、画像データの上の行と下の行は殆ど同じで、変化は少ない。この性質を利用してデータ量の大幅な圧縮を図ったのがRAC (Relative Address Coding) である。RACは下の画像データを一段上のデータ(参照ライン)と比較して、変化している箇所を検出し、その位置を符号化してデータ圧縮をする方式である。参照ラインのデータが圧縮なしの場合にMR (Modified Read) 方式、参照ラインのデータがMH方式(上記「1次元符号化方式」)で圧縮されている場合はMMR (Modified Modified Read) 方式という。1980年CCITTによるG3規格の中では上記「1次元符号化方式」のオプションとして「2次元符号化方式」として制定された。1次元符号化方式 (MH) は“白”と“黒”の2種の変化であるが、この方式は二ラインの“白・白”、“白・黒”、“黒・白”、“黒・黒”の4つの組み合わせがある。この組み合わせの変化とランレングスのデータを送信する。2走査線一括ランレングス符号化方式とも呼ばれている。ファクシミリのG3規格には標準モードとオプションとしてファインモードがある。標準モードでは装置の縦方向(副走査)はmm当たり3.85ライン、ファインモードで7.7ラインであり解像度が良い。じかし、ファインモードはデータ量が2倍で、伝送時間が2倍長くなるという短所がある。ALDC (Adaptive Line Dencity Control) は、複雑な図や細かい文字かどうかを送信データのランレングスで判定してファインモードと標準モードに自動的に切り替える機能である。FAXの送信データを蓄積交換装置に送ってメモリーし、後宛先FAXに送信する。1979年に商品化された蓄積交換装置は現在のFAXへ継承されている下記のように多数の機能を実現している。上記の機能は1982年にはフロッピー・ディスク内蔵のファクシミリに受け継がれ、1986年にはRAMを画像メモリーとしたファクシミリ引き継がれた。受信側のFAXから要求して送信側FAXのデータを送信させる機能である。受信側FAXのキー操作により、登録されたFAXに接続し、文書等を送信させて受信する。電話料金が安価になる遠距離・夜間等の通信に利用された。1980年に実用化された。その後、1984年以降では、メモリーを内蔵するFAXが商品化され、同報装置無しでこの機能を実現した。FAXの画像データをメモリに蓄積し、宛先のFAXのメモリに高速で伝送する。1982年に世界で初めてフロッピーディスク内蔵のFAXが商品化され、A4サイズを世界最高速の9秒で電送(G3規格は1分)した。この方式を「スーパー伝送」と呼んだ。電話回線を利用してのファイル転送の先駆けとなった。同報先の1台のFAXにデータを送信し、そのFAXから近隣のFAXに同報する。国際回線や東京・大阪間等の遠隔地の多数のFAXに同報する場合に効率が良く、低コストで伝送できるシステムである。1982年に商品化された。FAXの画像データを圧縮して送信する際、途中の通信回線でノイズやひずみ等でデータが間違った場合、受信した画像が大きく乱れる。この対策として、受信データの間違いを修正する方法がECMである。FAXの画像データを分割して、その一つ一つの後に数ビットの補正データを附加して送信する。受信側では受信した画像データと補正データを照合して、正しく受信した場合はそのまま、エラーを起こしたデータに対しては補正データにより修正して印刷する。1987年(昭和62年)にCCITTがG3規格のオプションとして採用した。電話回線にはノイズや歪みがあり、送信したデータが正しく伝わらないことがある。FAXの画像データを送信した場合、データにエラーがあると画像が乱れ、ひどい場合には文字が読み取れない場合がある。高速伝送は送信時間を短縮できるがノイズや歪みの影響を受けやすい。低速での伝送は比較的にノイズや歪みの影響が少ない。モデムは伝送速度の切り替え機能があるが、当初は自動切り替えの機能を持っていなかった。モデムフォールバックは受信側で電話回線の状況を計測し (SQD : Signal Quality Detection)、品質が良くない場合には伝送速度を下げて品質を確保する機能である。この手法(フォールバック)は現在でもADSL等で採用されている。ステップアップはこの逆で、品質が良い場合に伝送速度を上げる方式である。FAXは読取部、記録部、シーケンス制御部、データ圧縮・復元部、伝送制御部、モデム部で構成されている。自己診断プログラムにより各ユニットの機能の自動チェック、パターン発生器によるテスト、折り返し伝送テストができ、操作パネルにその結果を表示する。1979年に商品化されたFAXに採用された。スキャナで読み込んだB4やA3サイズの原稿のデータを、宛先のFAXの記録紙のサイズに合わせて (A3→A4・B4、B4→A4) データ変換して送信する。誤接続の防止をするために送信側のFAXに宛先FAXの電話番号を表示する。自動受信待機時は主電源をOFFにし、受信の時点で自動的にONにすることで、大幅な省電力化が図られる。経済産業省の統計によると、FAX機能を持つ機器の日本における生産台数はピーク時の1997年には861万台であったが、電子メールの利用増加などにより、2010年には26万台と激減した。生産・販売を行なう企業もそれに伴い減少した。複合機のみを販売する企業は、複合機を参照。その他に、パーソナルコンピュータやサーバのFAXソフトウェアの発売企業や、InternetFAXとオンラインストレージとを組み合わせたASPがある。ASPは、InternetFAX#蓄積交換方式を参照。設置時にFAX本体の設定をダイヤル回線かプッシュホン回線かISDNの何れか契約している回線に正しく設定しなければ正常に送受信する事が出来ない。また、ADSL等を使用している場合、干渉を避けるため、間にフィルタを取り付ける必要がある。収容される隣接する回線がADSLを使用している場合、影響を受ける場合がある。

出典:wikipedia

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