日本テレビ放送網株式会社(にっぽんテレビほうそうもう、英称:)は、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者である。スカパー!プレミアムサービスをプラットフォームとして日テレジータスの放送を行う衛星一般放送事業者でもある。1953年8月28日に日本国内で初めての民間放送テレビ局として開局した。NHK・民放を通じて日本で唯一、郵政省→総務省でなく電波監理委員会によって予備免許が与えられたテレビ局でもある。一般的には日本テレビ(にほんテレビ)または日テレ(にっテレ、Nittele)と呼ばれる。他に「NTV」(エヌティーヴィー)、コールサイン「JOAX-DTV」(東京 25ch)からの「AX」(エーエックス、アックス)という略称もある。なお、当社は2012年10月1日、認定放送持株会社制移行のために(旧)日本テレビ放送網株式会社(現日本テレビホールディングス株式会社・旧会社)から新設分割され現業を移管・放送免許を承継された(新)日本テレビ放送網株式会社(現行会社)が現業を行なっている。本項では、2012年9月30日までの旧会社と10月1日以降の現行会社について述べる。リモコンキーIDはアナログ親局4chから「4」。※テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた。関東広域圏における地上波放送以外に、以下のチャンネルを放送、供給している。1966年にNNN(Nippon News Network)を、また1972年にNNS(Nippon television Network System)を形成し、各系列局とネットワークを結んでいる。現在NNN加盟局は30局、NNS加盟局は29局。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。開局以来長年「4チャンネル」、「AX」、「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。2003年の放送開始50周年と汐留移転を契機にコーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞・テレビ情報誌の番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「日テレ」(以前は「NTV」)、一部番組の動画配信や関連商品の版権表記では「NTV」として表記されている。業界ではCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。これにちなんで、かつてはSHIBUYA-AX(シブヤ-アックス、2014年5月31日営業終了)というライブスペースを運営していた時期があり、『AX MUSIC-FACTORY』、『AX MUSIC-TV』という番組も放送していた。また、2010年には日本テレビタワーにミニライブハウス「汐留AX」(SHIODOME-AX)を設立した。また、グループ内の番組制作会社『日テレアックスオン』(略称:『AXON』)の社名にも「AX」が使われている。登記上の社名は「にほん」ではなく「にっぽん」と読むのが正しい(これはNHKの場合と同様)。ただし呼出名称は「にほんテレビ(デジタルテレビジョン)」であり、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多く、局名告知においても全て「にほんテレビ」で統一されている。正式社名が「日本テレビ放送網」であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。正力構想が実現していれば、現在の日本国内の民放の仕組みは異なるものになっていた可能性がある。開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や『なんでもやりまショー』などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と同社施設の独占中継権を掌握していたのが有利に働いた。日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。「全ては自社こそテレビのパイオニアである」ということを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保一丁目(現・新宿六丁目)に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、後に頓挫する。建てる予定であった用地は後に日本テレビゴルフガーデンとしてオープンした。しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局である読売テレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社制作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降した。正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の中京テレビへの単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など、正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われ、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直す。その後、朝枠に『ズームイン!!朝!』などの情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化した。しかし、ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時「軽チャー路線」で成功し視聴率三冠王に輝いていたフジテレビの後塵を拝し、番組制作現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ『TVおじゃマンボウ』を開始することで、視聴者へのPRを行った。1990年代は1980年代末に発足した社内チーム「クイズプロジェクト」を機にバラエティ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』・『マジカル頭脳パワー!!』が登場。早朝5時台に『あさ天5』を立ち上げ、『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』など報道・ワイドショーが人気コンテンツとなる。1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」であったフジテレビを追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年から2003年に10年連続「年間視聴率四冠王」、1994年度から2002年度に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデンタイム・プライムタイム・全日に更にノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」を史上最高となる46か月連続で達成するなど一時代を築いた。しかし2003年度には、巨人戦中継の視聴率低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、プライムタイムが2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月 - 2005年3月)の調査では、全部門で2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。この時期には長寿番組が続々と終了した。午前の帯番組のワイドショー『ルックルックこんにちは』(2001年春)を皮切りに、朝の情報番組『ズームイン!!朝!』(2001年秋)、サスペンスドラマ番組『火曜サスペンス劇場』(2005年秋)、夕方の報道番組『NNNニュースプラス1』(2006年春)、お昼の生活情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』(2007年秋)といった番組が次々と打ち切られた。52年間続いた民放テレビ局最長寿の報道番組『NNNきょうの出来事』(2006年秋)にもメスが入り、結果2000年代前中盤の数年で日本テレビのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。2000年代終盤以降はスポンサーニーズの高いコアターゲット層(T層・F1層・F2層)を意識した番組編成が功を奏し、全時間帯での視聴率向上に成功している。2008年・2009年には2年連続でノンプライム帯での年間・年度視聴率首位を獲得した。2011年には8年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2011年度には9年ぶりに「年度視聴率三冠王」をそれぞれフジテレビから奪還した。2014年には3年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2014年度には3年ぶりに「年度視聴率三冠王」を奪還。また、放送収入(地上波放送におけるタイムCMとスポットCMの年度売上高の合計)でもフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た。2015年1月第5週から6月第2週には歴代最高記録となる20週連続三冠王を達成した。2015年には2年連続となる「年間視聴率三冠王」、2015年度には2年連続となる「年度視聴率三冠王」を達成した。また、年間売上高でも3000億円の大台を突破して前年まで31年間首位だったフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た。日本テレビは日本のテレビ業界において、新しい放送媒体・放送形式を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を定着させてきた事で有名である。放送免許取得や民間資本による開局・本放送開始はもちろんのこと、コマーシャルの放送、カラー放送、音声多重放送(世界初)、ワイドクリアビジョン放送、洋画の日本語吹き替え放送、L字型画面、データ放送、ワンセグ放送独自番組放送(非サイマル放送)、3D立体映像での生放送、完全3D映像による野球中継、ネット動画配信サービス、放送中のドラマ全話無料配信も日本の民間放送では日本テレビが初めてであった。選挙特番における出口調査を全国規模で導入したのも日本テレビ報道局が最初である。ビデオ・オン・デマンド事業にもテレビ局としては早く参入し、日本初のテレビ局主導のインターネット動画配信サービス「第2日本テレビ」を運営していた(2012年10月から「日テレオンデマンド ゼロ」に改称)。完全無料化も功を奏し、テレビ局が運営するビデオ・オン・デマンドサービスの中で再生回数トップを誇り、2009年1月には単月黒字化に成功した。2010年12月からは有料動画配信サービス「日テレオンデマンド」の運営も開始した。2014年には一部の番組を放送後7日間パソコンやスマートフォンで無料視聴できる「日テレいつでもどこでもキャンペーン」を開始した。また、「Hulu」から日本市場向けの事業を継承し、定額制動画配信サービスにも参入した。ウェブサイトの充実にも積極的に取り組んでおり、公式ウェブサイトアクセス数も在京民放テレビ局の中で首位を獲得している。2000年代頃から環境問題に関して積極的に取り組んでいる。2003年3月に「日テレ・エコ委員会」を発足させ、在京民放キー局として初めてISOの環境マネジメントシステム規格ISO 14001の認証を取得したほか、2004年から毎年6月5日の世界環境デーを含む1週間を「日テレ系ecoウィーク」と題し、期間中は番組やイベントを通して環境問題を提起している。2010年には「つなげよう、ecoハート。」をテーマにNHKと連携してキャンペーンを繰り広げる。著名なアニメーション映画監督の宮崎駿率いるスタジオジブリとの関係が深く、同社の作品を独占的にテレビ放送する権利を持つ。また、日本テレビのマスコット「なんだろう」も宮崎駿が手掛けたものである。現在(2015年時点)、民放キー局の中では唯一時代劇やサスペンスドラマ・刑事ドラマの制作を行わず、再放送枠も設けていない。連続ドラマはヒット作には恵まれても制作数は少なめ。ドラマコンテンツはBS日テレや日テレプラスでも再放送している。海外ドラマについては韓国などアジア圏のドラマをBS日テレ等で放送するパイオニアでもある。1990年代以降の主な再放送枠で放送するコンテンツは、バラエティ番組や情報番組・連続ドラマの再放送やPR番組、アニメ(新作放映が中心)など。かつては、他の民放キー局に比べて収入全体に占める放送収入の割合が著しく高い状態であったが、現在は映画事業、通販事業、イベント・文化事業などによる放送外収入も好調である。映画事業に関しては、スタジオジブリ作品や『名探偵コナン』シリーズ、細田守監督作品などのアニメ映画のほか、『デスノート』・『20世紀少年』シリーズ・『カイジ』シリーズ・『GANTZ』など少年漫画・青年漫画の実写化がある。データ放送では鉄道運行情報を表示しており、JR東日本線の運行情報をJR東日本公式で表示している唯一のテレビ局である。また『歌スタ!!』は在京キー局の中で深夜番組としては最初にデータ放送を導入した番組である。汐留の日本テレビタワーの本社スタジオ機能は2004年2月29日に稼働し、生放送の報道・情報番組と一部のバラエティ番組が制作されている。19階から24階は一般のテナントビルとして賃貸しており、19階は日テレグループ各社やSBSなど海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居している。20階には準キー局である読売テレビと系列局の南海放送の東京支社も入居している。旧本社・南本館にあったマイスタジオの名称は汐留移転後も使用されている。汐留・日本テレビタワーに本社が移転された後も、旧社屋は麹町分室「日テレ麹町ビル」として北本館にある2つのスタジオと南本館にある貸しスタジオに限り、引き続き使用している。日本テレビで最大面積を誇るGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。また制作部門の一部デスクは分室に留まっている。また、日本テレビグループ企業の本社が入居しており、CS日本(以前はBS日テレも)の本社と送出マスターもここにある。周辺には、バップなど日本テレビの子会社・関連会社が入居する別館群がある。旧西本館は一般テナントビルとして使用されている。麹町社屋は「西本館」、「南本館」、「北本館」、「カラーセンター」の4棟から成り立っており、カラーテレビ放送開始に伴い建設された「カラーセンター」が後に新築された南本館と合体化された。しかし旧「カラーセンター」棟は老朽化が激しく、棟内にあったHスタジオとJスタジオは本社移転を契機として使用を中止した。2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため、開局以来本社を置いていた千代田区二番町(通称:麹町)から港区東新橋(通称:汐留)に移転した。しかし、移転後に本社機能・番組収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い、日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していない事や、新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから、本社機能と報道・情報番組制作、一部のバラエティー番組制作が『日本テレビタワー』にシフトし、バラエティ番組の多くが汐留に本社を移した現在も『麹町分室』で制作されており、BS・CS放送の番組送出は麹町で行っている。こうした機能分散の例はテレビ朝日六本木ヒルズ完成前の時代(アークヒルズのスタジオ建設や本社機能移転)などがある。『麹町分室』で制作された番組は『日本テレビタワー』(汐留社屋)に光ファイバーでHD/SD転送されてローカルマスターを経由して日本テレビの親局(東京タワーもしくは東京スカイツリー)から送出し放送されたり、ネットマスターを経由して全国の系列局に送出される。逆に『日本テレビタワー』で制作したBS・CSの番組は『麹町分室』に光ファイバー転送されてそれぞれのマスターを経由して放送される。汐留・麹町間はスタッフ専用のシャトルバスで結ばれている(六本木再開発時代のテレビ朝日も同様)。スタジオ技術は子会社のNiTRo(旧NTV映像センター)が請け負っている。災害時の送出機能も備えている。伝統的に巨人戦を中心としたスポーツ中継や情報番組、バラエティ番組を得意としている。巨人戦中継は開局当時から「ドル箱番組」として日本テレビの番組編成の中心となっていたが、2002年を境に視聴率の低下が続き、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになった。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日本テレビは大きなダメージを受けた。対策として東京ドームの巨人主催ゲームの数試合をNHKや他の民放に開放したり、あるいはBS日テレへ移行したりして地上波の中継は縮小傾向にある。現在では地上波中継も週末のデーゲームが中心となっている。ワイドショー・情報番組が多く制作されており、ノンプライム帯に占める生放送の割合が高い。2014年現在、月曜日 - 木曜日は午前4時から午後7時まで一部のミニ番組を除き生放送番組が連なっている(読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』を含む)。この分野を得意としている日本テレビはゴールデンタイム・プライムタイム・全日に加え、ノンプライムも視聴率の1つの区分として重要視している。バラエティ番組では1960年代から1970年代に掛けて『光子の窓』、『シャボン玉ホリデー』、『ゲバゲバ90分』などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率も低迷したものの1990年代にはその勢いを取り戻した。その反面で一時期までは『ロンパールーム』や『カリキュラマシーン』などの教育番組にも取り組んだ。他局と比較してゴールデンタイム・プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い。そのため、一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている。番組の開始時間を00分の定時ではなく、55分や57分などのいわゆるフライングスタートをキー局でいち早く導入した局であり、現在では他局でも多用されているが、2008年10月から2011年6月まではテレビ東京と同じように、月 - 金曜日の21時枠の番組を20:54開始に統一するという思い切った編成も行っていた。1970年代から1990年代初頭にかけ、当時のプロデューサー岡田晋吉を中心に『太陽にほえろ!』、『大都会』シリーズ、『俺たちの勲章』、『われら青春』、『俺たちの旅』といった刑事アクションや青春ドラマを量産。一時代を築くと共に、松田優作、中村雅俊、柴田恭兵ら多数のスターを発掘した。また、水谷豊主演による『熱中時代』、『事件記者チャボ!』などのスタジオドラマも高視聴率を記録している。2015年4月現在、プライムタイムで放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は『水曜ドラマ』・『土曜ドラマ』・『日曜ドラマ』の3本。これは他局に比べて少ないが、『家なき子』や『金田一少年の事件簿』『ごくせん』『家政婦のミタ』など国民的な人気を得るドラマも少なくない。『水曜ドラマ』は女性層、『土曜ドラマ』はファミリー層、もしくはティーンエイジ層を意識した作品を放送している。『日曜ドラマ』は「大人の男性も楽しめて、月曜日へ弾みになるドラマ」をコンセプトとしている。自社製作では『ルパン三世』シリーズ、『それいけ!アンパンマン』など、読売テレビ製作の『宇宙戦艦ヤマト』、『名探偵コナン』などを放送。また、スタジオジブリ制作のアニメーション映画作品にも参加するなど、アニメ史に残る作品を輩出している。現在は自社製作では金曜夕方(2016年4月からは金曜午前)に『アンパンマン』を放送しているほか、深夜帯に深夜アニメを毎クール2本放送しているが、2012年以降、長年続いていた火曜深夜枠を明け渡した後は、他キー局と比べると放送曜日の変動が激しい傾向がある。一方で深夜アニメに関しては日テレオンデマンドで地上波より有料ながらも最速配信を行っている。日本テレビ系列のアニメ製作会社は、主に、トムス・エンタテイメント、A-1 Pictures、エイケン、タツノコプロなどが多い。そのほか土曜夕方5時30分枠および6時枠は読売テレビ製作アニメを逆ネット(全国ネット)している。日本テレビの番組の特徴として、大規模なテコ入れが多いことがあげられる。例えば『伊東家の食卓』は生活に役立つ「裏ワザ」を紹介する内容にしてから視聴率が上向き、『エンタの神様』は歌やマジックなどを取り入れた総合エンターテインメント番組からお笑いに特化した番組に変化することで視聴率が上昇。いずれの番組も開始から数か月は不振であったものの新機軸を入れることにより視聴率が上向いた成功例として知られる。『24時間テレビ』は第14回(1991年)には平均視聴率6.6パーセントを記録するなどマンネリ化が進行していたが、第15回(1992年)以降はエンターテインメント化に成功し、近年では年間視聴率トップ10に毎回ランキングされるほどの高視聴率番組になっている。『高校生クイズ』もマンネリ化により一時は視聴率が10パーセントを割るところまで低迷していたが、第28回(2008年)から“知力の甲子園”というコンセプトに衣替えしたことが功を奏し、視聴率は急上昇した。しかし、テコ入れによってかえって視聴率を低下させることもしばしばで、例えば『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』では「ウリナリ芸能人社交ダンス部SP」や「ポケットビスケッツ」等の企画が好評を博したが、人気が低迷し「レギュラー陣入れ替え」をしたものの振るわず終了。また、人気番組であった『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』も、初代司会者逸見政孝のガン闘病による降板後番組名と内容変更を繰り返し、終了した。『伊東家の食卓』も放送10年目にリニューアルしたが、このときは「裏ワザ」がほとんど紹介されなくなり、半年後に終了した。他系列に比べ、系列局が全国ネットの番組を制作する機会が多い。2015年4月現在、読売テレビは『電波教師』(土曜日17時台)、『名探偵コナン』(土曜日18時台)、『秘密のケンミンSHOW』(木曜日21時台)、『ダウンタウンDX』(木曜日22時台)、『木曜ドラマ』(金曜日0時台〈木曜日深夜〉)、月-金曜14時・15時台の『情報ライブ ミヤネ屋』、土曜日8時台・9時台前半の『ウェークアップ!ぷらす』を制作している。中京テレビは『まさかのタメ年トークバラエティー!ビックラコイタ箱』を制作している。かつては深夜のバラエティー枠『ZZZ』を系列局に開放し、札幌テレビ(『爆笑問題のススメ』など)、山口放送(『三宅裕司のドシロウト』など)、テレビ岩手(『フライデーナイトはお願い!モーニング』)、広島テレビ(『松本紳助』など)、福岡放送(『新型テレビ』など)が制作に参加した。また、1970年代には基幹局以外でも北日本放送がゴールデンタイムのテレビドラマ『ゲンコツの海』を、山梨放送がプライムタイムのバラエティ番組『田宮二郎ショー プラザ47』を制作した。夏期・冬期には『土曜ロータリー』・『土曜パラダイス』・『日曜スペシャル』などの放送枠で各系列局制作のマストバイ22局向け全国ネット番組が相次いで放送される。年に1・2回のペースで全国ネットの単発番組を制作している系列局も多い。2011年7月に発足した部署。2006年に従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新たに「スポーツ・情報局」が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。2009年7月の組織改正により制作局が廃止され、バラエティー局とドラマ局に分割されたが、2011年7月の組織改正で再び統合され、制作局の下にバラエティーセンターとドラマセンターが置かれた。さらに2012年6月からはバラエティーセンターとドラマセンターが廃止され制作局に移管した。具体的に制作されている番組の種類は次の通り。その他、日本テレビ制作局制作番組の分野別一覧も参照のこと。制作局と共に2006年に「スポーツ・情報局」として発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その後、2007年7月の組織改正により、情報エンターテインメント局とスポーツ局に分割された。スポーツ局には「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」、情報エンターテインメント局には「CP班グループ」がそれぞれ作られた。2012年12月より情報エンターテインメント局は情報カルチャー局に改称された。具体的な制作番組は以下の通り。その他、日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと。報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・生活文化部・映像取材部・ニュースセンター・マルチニュース制作部・ネットワークニュース部・業務部・NNN事務局・解説委員会・報道審査委員会の13部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。2012年6月1日付の組織改正で、民放では珍しい生活文化部が設置された。海外の放送局を模して、レールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてHDに対応している。ニュース映像素材は最近ではHDカメラによる取材や現場からの中継も行っており、民放キー局としては報道取材におけるHDの導入が早く、今では日本テレビの放送エリア内の取材は、ほぼ全面的にHD化されている。地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、サブは3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。ニュース映像の収録・編集は4階のCVセンター、テロップ・CGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている。NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6階にあり、ニュース配信を行う送出設備のほかVTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。具体的に制作されている番組の種類は次の通り。その他、日本テレビ・報道局制作番組の分野別一覧も参照のこと。日本テレビでは以下のように、汐留「日テレプラザ」(日テレタワー敷地内)および周辺にて年数回開催される総合イベントをはじめ、『ズームイン!!SUPER』などの番組主体のイベントも開催しているほか、ミュージカルや美術展などにも力を入れている。また、ラジオ日本で放送している日本テレビ提供の番組『坂上みきのエンタメgo!go!』でもイベント情報を紹介している。※は現在でも継続してシリーズ化されている映画1970年代1980年代1990年代2000年代前半2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年日本テレビが製作・出資に関わる映画は、「製作委員会方式」による作品が主流である。準キー局の読売テレビ、親会社の読売新聞、基幹系列局の札幌テレビ・ミヤギテレビ・静岡第一テレビ・中京テレビ・広島テレビ・福岡放送などが制作委員会に名を連ねている作品が多い。他他他※2013年5月30日以前は新宿センタービル(東京都新宿区西新宿一丁目25番1号)が予備送信所として使われていた。全145局の送信所が存在する。2011年7月24日終了時点全97局の送信所が存在した。70・71chは難視聴対策のためのSHF放送。長野県・静岡県の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として、区域外再放送をアナログ放送終了後3年間(2014年7月24日まで)を限度として実施していた。山梨県郡内地方のCATV事業者でも、アナログ放送時代にはその終了までアナログ放送でのみ実施していた。なお、激変緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施する。静岡県●…ハイビジョンカメラ現在過去に設置沖縄県はアメリカ占領下の1960年前後に相次いで開局した沖縄テレビ、琉球放送の2局とも拘束性の強い単独ネットで開局した。前者はフジテレビとの資本提携で開局し、九州などの第2局がフジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日の3局クロスで開局したのを尻目に、NHK沖縄放送局の前身の沖縄放送協会開局後、1969年に正式に単独ネット局に。後者は草創期の九州のネット回線の都合からTBS系列に加盟しJNN協定でクロスネットが認められなかったためであった。なお、沖縄テレビを開局させた同社初代社長・具志頭得助はフジテレビの前に日本テレビを訪れ、「時期尚早」と断られている。その後、1989年に設立された南西放送を日本テレビ系列として開局させる計画があった。民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、琉球朝日放送(テレビ朝日系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていたが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された(宮崎県内でも、3局目を日本テレビ系で開局する予定で社屋用地も取得していたが、諸事情で計画が頓挫し周波数割当そのものが取り消された)。現在は日本テレビで放送されている番組の一部は沖縄テレビ(フジテレビ系列)(『土曜サスペンス劇場』→『ドラマ・コンプレックス』→『火曜ドラマゴールド』、『NTV土曜ドラマ』などの番組提供付きの番組などを放送)と琉球放送(TBS系列、一時期は『木曜スペシャル』を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。また、CS★日テレで日本テレビの番組を沖縄でも視聴することができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなった。さらに、政府の事業仕分けにより、最後まで沖縄テレビで同時ネットされていた政府広報番組『ご存じですか』と『新ニッポン探検隊』が2010年3月に終了したため、沖縄県内で日本テレビから同時ネットされているレギュラー番組は無くなった。
出典:wikipedia
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