高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年6月6日 - )は、日本のミュージシャンである。シンガーソングライターであると同時に、ドラマー、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして活動している。また、ファッション・デザイナー、文筆家としての顔も持つ。立教中学校(現:立教池袋中学校)・立教高等学校(現:立教新座高等学校)卒業(高校の3年後輩に佐野元春がいる)。武蔵野美術大学中退。ソロ・デビューした1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)前半までは、「高橋ユキヒロ」とカタカナ表記の名前を名乗っていた。高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしての活動が有名。その他、鈴木慶一と共に結成した「ビートニクス」、細野晴臣とのユニット、スケッチ・ショウとしての活動を始め、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュースも手掛けている。山本耀司のパリ・コレ出展の際の音楽を担当したり、椎名誠監督の映画の音楽監督を務めたこともある。近年は自身の体調などの関係から、披露される機会が少なくなったが、本職はドラマーである。その厳格なまでに正確なリズムと少ない音数で多彩な表現を可能とする独特のタイトな演奏は、特にYMO世代のミュージシャン達から高くリスペクトされている。音楽活動の他に、これまでに「Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Buzz Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks Mono」(PLAN・NET-WERK CO.)、「YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION」(WAG Inc.)といった自身のファッション・ブランドのデザイナーも務めている。1983年(昭和58年)には、『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた。その他、映画やCMへの出演、エッセイの発表など、その活動は多岐に渡っている。映画『四月の魚』では主演を務める。俳優の竹中直人と交流が深く、『竹中直人の恋のバカンス』、『デカメロン』などに出演した際には、シュールなコントに挑戦している。趣味は釣り。神経症の治療のために始めたものだが、以来すっかり夢中になってしまい、ラジオ番組で中継を行ったことすらある。釣り同好会「東京鶴亀フィッシングクラブ」(旧・東京鶴亀磯釣り会)の会長である。兄は、元ザ・フィンガーズで音楽プロデューサー高橋信之。姉は、日本のファッション界における広報の第一人者である伊藤美恵。ファッション・ブランド「soe」のデザイナー伊藤壮一郎は伊藤美恵の息子、高橋の甥にあたる。また、近代文学研究者の高橋世織は、従兄弟。また、現在の妻は「non-no」モデルであった高橋喜代美(当時の芸名は「しもいきよみ」)。2009年(平成21年)11月24日より、Twitterを利用している。1952年(昭和27年)、東京に生まれる。小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていたという。立教中学時代、同級生の東郷昌和と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というバンドを結成。主にパーティー等で活動していた(後に東郷は高橋の兄・信之のプロデュースでフォークグループ「バズ」としてデビューする)。高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。1969年にフォーク・グループ「ガロ」のバックバンドに加わる。しかし、『学生街の喫茶店』のヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼とともにガロを脱退。武蔵野美術大学在学中の1972年(昭和47年)、加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。ミカ・バンドは海外(とりわけイギリス)において評価されている。1974年にはロキシー・ミュージックの全英ツアーにおいてオープニング・アクトを務めた。帰国後、解散。ミカ・バンド解散後、「サディスティックス」を経て、1978年(昭和53年)からはソロ活動を開始。そして同年、細野晴臣、坂本龍一とともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて2度にわたるワールドツアーを敢行した。YMOは世界的な大成功を収め、日本のみならず世界の音楽シーンに多大な影響を与えた。高橋の作曲としては「ライディーン」が有名(坂本龍一が論理的な作曲法を用いるのに対して、高橋幸宏はこの曲を鼻歌から作っている)。結成当初、YMOのメンバーはヴォーカルを取らない(ゲスト・ミュージシャンに任せる)という意向を細野は持っていたが、坂本の推挽で高橋が「中国女」のボーカルを手がけたことにより、ボーカリストとしての才能も発揮。またファッション・デザインの才も発揮して衣装のデザインも手掛けていた。高橋は当時、自身のブランド「Bricks」や「Bricks-MONO」のデザイナーだった。YMO結成前、当時の坂本龍一のぞんざいな服装を見た高橋が「君はちゃんとした服装をすれば格好よく見えるのに」と服を大量に用意してコーディネートしている。1980年(昭和55年)には「POP THE HERO '80s」(ラジオ関東)のパーソナリティを(準レギュラーに当時のマネージャー伊藤洋一と供に)担当。ソロやYMOの活動の一方で、1981年(昭和56年)には鈴木慶一と供に「The Beatniks(ビートニクス)」を結成し、活動を開始する。1982年(昭和57年)、個人事務所「オフィス・インテンツィオ」を設立。1983年(昭和58年)4月より、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティを担当。同年12月、YMO「散開」(解散)とともに放送終了。YMO散開以降、ソロ活動を本格化させ、また「ビートニクス」としてもマイペースに活動。1989年(平成元年)には「サディスティック・ミカ・バンド」が桐島かれんを迎えて一時再結成。1992年(平成4年)3月には山本耀司、高橋信之、田中信一と共に、「AGENT CON-SIPIO」を設立。翌1993年(平成5年)には録音スタジオ「CONSIPIO STUDIO」とレコードレーベル「CONSIPIO RECORDS」を発足。同年2月、YMO「再生」(再結成)を発表し、東京ドームにてコンサートを行う。1997年(平成9年)には自らも「CONSIPIO RECORDS」に移籍したが、現在は休眠状態である。2002年(平成14年)からは細野晴臣と共にYMO以来のユニット「スケッチ・ショウ」を結成、活動を開始する。2004年(平成16年)にはスケッチ・ショウ+坂本龍一のユニット「ヒューマン・オーディオ・スポンジ(HAS)」として、エレクトロニカイベント「sonar」に出演。2005年(平成17年)には再び東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)と契約。翌2006年(平成18年)3月に7年ぶりのソロアルバム「BLUE MOON BLUE」をリリース。スケッチ・ショウで実践したエレクトロニカの手法を通過させた新機軸のポップ路線を展開した。アルバム発表後は高野寛、高田漣、権藤知彦を主要メンバーに迎え、ライブハウスからロックフェスまで、各地でライブを精力的にこなした。10月には恵比寿ガーデンホールで開催された「SONAR」への出演を交えながら、新宿ICC、仙台メディアテーク、東京都現代美術館の3箇所で「ミュージアムツアー」と称したライブを行い、インプロヴィゼーション中心のクオリティの高い演奏を披露、新たなる次への展開をうかがわせた。また同年、キリンラガービールのテレビCMとの連動企画で「サディスティック・ミカ・バンド」が木村カエラをボーカルに迎えて二度目の再結成。10月にはアルバムをリリースした。同じく2007年には同CMの企画でYMOがこれも二度目の再結成。CMでは「ライディーン」のセルフカバー版「RYDEEN 79/07」を披露し、同時にネット配信を開始。5月にはチャリティ団体「Smile Together Project」主催のライヴに(HASとして)出演、また7月には「ライヴ・アース」に出演。ワールドハピネスの主催。2008年(平成20年)、新バンドpupaを、原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久と共に結成。同年7月2日にアルバム「floating pupa」リリースした。2009年(平成21年)3月11日にはオリジナル・アルバムとしては22作目となるニュー・アルバム「Page By Page」がリリース。小山田圭吾をサポートに迎え同年6月6日には3年ぶりのソロ・ライヴ、7月には自ら「念願だった」というフジロック・フェスティバルに出演、10月にはフェス形式のライブハウス公演に登壇するなど単発的ながら充実のライブ活動を展開した。2010年(平成22年)、pupaの2ndアルバムをリリース。2012年(平成24年)12月22日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて高橋幸宏の還暦を記念するライブ「高橋幸宏 60th Anniversary Live」が開催された。2013年(平成25年)9月12日、ユリイカ2013年10月臨時増刊号として「総特集◎高橋幸宏」が発売された。2014年(平成26年)、新ユニット高橋幸宏&METAFIVEを、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井と共に結成。同年7月27日にLIVEアルバム「TECHNO RECITAL」リリースした。2015年(平成27年)LOVE PSYCHEDELICOのツアーに帯同。高橋幸宏&METAFIVEをMETAFIVEというユニット名に改める。竹中直人、安田成美、高野寛、山下久美子、中原理恵、シーナ&ザ・ロケッツ、立花ハジメ、ピンク・レディー、門あさ美、SMOOTH ACE、NOKKO、桐島かれん、TOKIO、EBI、SUSAN、Urban danceなど。桜田淳子、竹内まりや、田原俊彦、高岡早紀、浅香唯、小坂一也、藤真利子、堀ちえみ、ピエール・バルー、高井麻巳子、杉本彩、サンディー&サンセッツ、宮本典子(現mimi)、伊藤つかさ、ザ・ベンチャーズ、冨田ラボ、安田成美など提供作品多数。BUZZ、山下達郎、荒井由実、矢沢永吉、太田裕美、キャンディーズ、浅野ゆう子、山口百恵、桑名正博、草刈正雄、岩崎宏美、オフコース、泉谷しげる、加藤和彦、矢野顕子、大貫妙子、八神純子、ビル・ネルソン、アグネス・チャン、堀ちえみ、海援隊、来生たかお、浜田省吾、南佳孝、鈴木茂、ブレッド&バター、Zaine Griff、郷ひろみ、松井常松、テイ・トウワ、東京スカパラダイスオーケストラ、EPO、山本達彦、渡辺香津美、高中正義、やくしまるえつこ、小林武史、小椋佳、渡辺美里、ムーンライダーズ、LOVE PSYCHEDELICO、セニョール・ココナッツなど多数の作品に参加(ドラムをはじめ、キーボード、コーラスなど)。山本耀司のパリ・コレクション出展用の音楽を制作、椎名誠監督映画『ガクの冒険』では音楽監督を務めた。カシオのリズムマシン「RZ-1」に内蔵されたドラム音の監修を行った。METAFIVE他、多数。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。