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パソコン通信

パソコン通信(パソコンつうしん)とは専用ソフト等を用いてパソコンとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスであった。全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上の廃止となった。インターネットが世界中のネットワーク同士を結ぶ開かれたネットワーク(オープンネットワーク)であるのに比べると、パソコン通信は原則として特定のサーバとその参加者(会員)の間だけの閉じたネットワーク(クローズドネットワーク)であった。原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパソコンにモデムや音響カプラなどを接続して一般加入回線(電話回線)を経由してサーバにダイアルアップ接続していた。その中で電子メールの送受信や電子掲示板、チャットなどを利用した情報交換が行われた。株式取引や公営競技の投票が運営されていた時期もある。ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受は文字データ中心である。パソコンではなくワープロ専用機や家庭用ゲーム機・携帯端末での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。日本でパソコン通信ホストを運営していた団体にはニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネット(アスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとしてエプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットはそれぞれ数百万の会員を集め活況を呈した。一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり原則無料であったが一般向けに料金を徴収するなどの商用であれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。大規模なところでは趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブではフォーラム、PC-VANではSIGと呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。通信方式はインターネットの各種通信プロトコル(TCP/IPなど)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみ(AOLでは画像表示もできた)である。ストップビットなど、様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。画像などバイナリデータの送受信もできたが各種バイナリ転送プロトコルを使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、ishなどバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。通信速度は初期には音響カプラを用いた300bps程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになるとモデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のダイヤルアップ接続用アクセスポイントが主要都市に整備され始めた1996年頃には28,800bps、1997年頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない(56kbpsで通信するには、サーバ側にISDN回線と、デジタル信号で送信する(電話局の交換機でアナログ信号に変換する)専用のモデムが必要なため(このモデムが内蔵されている業務用TAもあった)。一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限)。また1980年代半ばから無線機にTNCと呼ばれるデータ通信機器を接続してパケット通信を行うことがアマチュア無線家の間で流行し、シリアルポートを持つパソコンやワープロでこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされたネットゲーム(個人がプログラムを組んだオセロゲームやチェス等の物が主だが)もアマチュア無線経由で流行した。日本における公開提供を目的としたパソコン通信の始まりは、1984年に「千代田常磐マイコンクラブ」が松戸市内に開設したものであるという。一方、それ以前の1982年に後の「MacEVENT(Apple系情報ネット)」の前身となるパソコン通信サービスが林伸夫により行われていたとの記録もある。1985年、日本電信電話公社が日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。これを受けて数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、網制御装置(NCU)を内蔵したものである。1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる。基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しておりニフティとCompuServe、朝日ネットとPeopleなど提携関係にある一部の場合を除いては他サービスとのつながりはほとんどなかった。電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、メールに限っては障壁がなくなった。パソコン通信では、アクセス数の増加への対応や全国各地に居住する利用者への負担を軽減するためにはアクセスポイントを増やさざるを得なかった。ニフティとPC-VANがそれぞれの運営母体である富士通のFENICSとNECのC&Cという自前のVANを活用し、全国各地にアクセスポイントを続々と設置していったのに対して、他社は遅れを取ってアクセスポイント数も少なく、日本の商用パソコン通信サービスはニフティとPC-VANの寡占状態となり、1996年にはそれぞれ会員数200万人を数えた。草の根BBSでは、24時間開設となっても複数の電話回線と複数のモデムがなければ複数の人間が接続できず、長時間の接続を制限することもあった。遠距離からの電話回線料金の負担を軽減するための、パケット通信によるTYMPASやTri-PといったVANサービスで全国からの接続を仲介したこともあった。例えば、東京から大阪のホストへ直接電話回線の従量料金で接続することは相当な電話料金がかかり、VANサービスならば全国の主要都市にアクセスポイントがあり、東京のアクセスポイントに接続すればよかった。しかしホストとユーザーともにVANサービスを利用するための費用も必要であり、費用徴収が困難な側面もあり、個人で運営するBBSの運営は無料により近隣地区からユーザーの接続という趣味の範囲にとどまることが多かった。個人運営のホストの中には夜間のみ開設され、昼間は普通の電話として使われる回線もあり、専用の回線を24時間開放することは非常な贅沢であった。ネットワーキングフォーラムと呼ばれる全国大会も開催され、BBSの接続番号などを記載した「ワープロ/パソコン通信BBS電話帳」がマイコンBASICマガジン別冊として年2回のペースで出版されたこともあった。また、出版社などが運営するところもあったり、NHK衛星放送局も運営していた(銀河通信)こともある。これに引き換え1994年頃から、世界規模の通信網であるインターネットへの一般個人からの接続環境が整備され始め、翌1995年のWindows 95の登場により、インターネット接続機能が標準で組み込まれ、接続の設定が容易になった。もっとも、ビル・ゲイツはインターネットの普及はまだ先であるとして、パソコン通信を前提としたネットワーク(MSN)を考えていた。それ故、Windows 95の初期バージョンには、インターネット関連の機能は搭載されておらず、別売りの「Microsoft Plus!」に拡張機能としてのInternet Explorerが含まれていた。ただし、ビル・ゲイツは、Windows 95発売後に自分の判断の誤りに気づき、OSR2以降ではインターネット関連機能が標準搭載されるようになった。すなわち、OSR2ではTCP/IPが初期状態で選択されており、Windows 95を使えばインターネットに接続できるというイメージ戦略に成功した。また、NTTがINS1500などダイアルアップ回線として安価に多数の回線を収容できるサービスを始めるなど、設備投資が安価になるなどの環境整備もあり、相次ぐISP企業の参入と、ダイヤルアップ接続用アクセスポイントの設置地域が拡充され、多くの地域で安価(市内通話料金あるいはテレホーダイ + プロバイダ料金)にインターネットへ接続できる環境が整っていった。この状況の変化により、基本的に一つの閉じたシステムであるパソコン通信については、事業の将来性や存在意義が薄れてしまったり、2000年問題で更新を迫られたホストも少なくなかったことから、殆どの商用サービスでは事業を中止したり(アスキーネットや日経MIX, People)、ISPに事業の中心を移したりしていった(ニフティやPC-VAN, ASAHIネット)。2013年10月現在では大手、草の根とも、従来のパソコン通信上にあったコンテンツは、インターネットWeb上の電子掲示板等に移行しているところが多く、Telnet接続で文字通信手段を残しているホストもあるが、無手順による接続ホストは消滅に近く実態は殆どつかめない。なお全盛期当時の過去ログなどは、利用者によって個人的に保存されたもの以外は、ホストのハードディスク故障、古い記録媒体の劣化やアクセス手段の喪失のほか、運営者によって破棄されるなどして散逸していることが多い。また、保存されているデータも、著作権者が所在不明などの理由により、再利用されることはほとんどない。一般での利用は全盛期は過ぎているものの、営業用などに同じシステムを利用した物が少数ではあるが、未だに続いている。NECのモバイルギアシリーズ、シャープのザウルスなどで屋外での利用を考慮したツールを発売した事もあるが主な利用は掲示板ではなく、メールなどのデータの送受信としてである。また、屋外での公衆電話機にパソコン通信を考慮したモジュラジャックが付くなどしている。端末側の設備として携帯電話に於いては速度は遅いものの、パソコンと直接接続する物もある。ネットの利用形態は様々だが、その中でも「オンラインソフトウェア(特にフリーソフトウェア)」の広範囲な流通と、素性をよく知らない人との気さくな「会話」は、パソコン通信で初めて可能になった。意思伝達の主な方法が文書であると、日常的に文書を書く人と書かない人では文書作成力や読解力に格差が生じることから意思がスムーズに伝わらずに誤解が生じることもあった。文字でのやり取りは対面して話す時とは違い感情がそのまま文章に表れるとは限らず、また感情を読み取れる人ばかりではないため、感情やニュアンスを表すのに意図的に顔文字(絵文字)が付け足される場合もあった。また物事に付いての考えが異なれば意見が衝突する機会が度々生じ、いたるところで議論が行われるようになった。それに伴い、議論を楽しもうという人たちが表れる一方で見物して楽しもうという人たちも発生した。草の根BBSなどでは、限りある回線を占有するだけでコミュニティに積極的に参加しない人をROM(ReadOnlyMember)やDOM(DownloadOnlyMember)と呼び、特に否定的な意味で使われたがROMは一般的には読むだけで発言しない人を示す用語であった。1980年代末期になりパソコン通信が普及するようになると、パソコン通信でユーザーが自作したパソコン用プログラムがオンラインソフトウェアとして公開されるようになった。従来はパソコン雑誌に投稿して掲載されるか、作者個人か仲間内で使われるしかなかったような小回りの効く便利なツールが一般に流通する機会を得ることになった。一般に単機能のものが多く商用ソフトほど大規模ではないが、中にはファイル管理ソフトやパソコン通信ソフトなど市販の商用ソフトを凌ぐ人気を得たものもある。日本国内では、その多くはNECのパソコンPC-9800シリーズのMS-DOS上で動くものであった。プログラミングが得意な人が善意で自作ソフトウエアを公開し、利用者によるバグ報告や要望を取り入れて改良が行われた。その多くは個人による開発であるが、利用者による改良を期待して企業が商用ソフトを開発する前段階として無償公開するソフトもあった。作者の意向によってフリーウェア(フリーソフト)、シェアウェアなどに区分されたが「羊羹ウエア(気に入ったら羊羹を送って欲しい)」という変わり種もあった。MS-DOS上で動くソフトウェアが主流を占めた時代には決済の手段が限られていたため、ほとんどが無料のフリーウェアとして公開されMicrosoft Windowsが普及し出すと開発ソフトウェアが高価だった背景もあり、徐々に商用BBSで決済を行なうシェアウェアが増えていった。人気の高いソフトウエアは開発元のホスト局にアップロードされるとたちまち全国の他のホスト局に転載されるのを始め、「月刊パソコン通信」などパソコン通信を扱った雑誌付録としてフロッピーディスクで配布された。しかし初期のパソコン通信では電子メールに課金されたり容量制限が厳しかったり、他のパソコン通信サービスとは相互にメールができなかったりしたためサポートは自らの加入しているパソコン通信のみというものも多かった。以下は、小規模なホスト用ソフトウェアである。ホストは、パソコン以外にも汎用コンピュータを使用した物も多々ある。下記は主にパソコン用のパソコン通信向け機能を持った端末ソフト(いわゆる通信ソフト。ダム端末エミュレータと呼ばれる事もある)である。この他にもワープロソフト中に通信機能を持ったものやワープロ専用機に通信機能(OASYSのAutoComなど)を持った物もあった。以下は、各ホストプログラムの出力やコマンドに対応した、専用ソフト(オフラインログリーダーなどと呼ばれた)である。1980年代後半から1990年代のパソコン通信全盛期においては、パソコン通信の話題を専門に扱った専門誌が各社から発刊された。内容はモデムなどのハードウェアや通信プロトコルなどの技術情報、商用ソフト・オンラインソフトの使い方や新作情報、パソコン通信クライアントソフトウェアなどフリーソフトの配布、草の根BBSの開局情報、商用パソコン通信のフォーラムやSIGの紹介など多岐に渡った。

出典:wikipedia

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