フリーソフトウェア財団(フリーソフトウェアざいだん、, 略称FSF)とは、1985年10月4日、リチャード・ストールマンにより創設された非営利団体である。当団体は、フリーソフトウェア運動、すなわち、コンピュータ・ソフトウェアを作成、頒布、改変する自由をユーザーに広く遍く推し進めることを狙い、コピーレフトを基本とする社会運動の支援を目標に掲げている。FSFはアメリカ合衆国、マサチューセッツ州の団体である。元々は、マサチューセッツ工科大学の地下室と呼ばれたコンピュータルーム内の計算機を活用して、数多くのソフトウェアを製作したストールマンの活動が起源となっている。創立から1990年代中頃まで、FSFの資金は、GNUプロジェクトのためにフリーソフトウェアを作成するソフトウェア開発者を雇用する為、概ね拠出されていた。1990年代中頃からは、FSFの従業員とその奉仕活動者(ヴォランティア)は、フリーソフトウェア運動とフリーソフトウェアコミュニティに対する法的かつ構造的な問題に対処するため概ね活動している。FSFの目標は首尾一貫しており、コンピュータ上で利用できる唯一のソフトウェアがフリーソフトウェアとなることを目指している。FSFはGNUコンパイラコレクションなど、GNUシステムにとって非常に重要となるさまざまなソフトウェア群の著作権を保持している。FSFは(あくまで保持しているこれらソフトウェアのみの)著作権者として、とりわけGNU General Public License (GPL)で許諾されているソフトウェアに対し、そのライセンス違反に起因する著作権侵害がひとたび発生すれば、GPLの強制(エンフォースメント)を行使できる唯一の存在である。その他のソフトウェア・システムの著作権者がGPLを彼らのライセンスとして採用した場合、FSFはそのライセンスを受けているソフトウェアの著作権的利益を保護すべしと力説し、通常割り込んで来る唯一の組織だったのだが、2004年にハラルト・ヴェルテが同様の組織gpl-violations.orgを立ち上げている。1991年から2001年まで、GPLの違反は、非公式に、通常ストールマン自身により、しばしばFSFの弁護士エベン・モグレンからの助言を受けて是正されていた。典型的なことに、この期間のGPL違反はストールマンと違反者とが電子メール数通を交換することで解決されていた。2001年後半、当時のFSFの"執行役員"("Executive Director")であったブラッドリー・M・クーンは、モグレン、デイヴィッド・ターナー(David Turner)そしてらの助言を受けて、これらの成果を生かし、FSF "GPL コンプライアンス・ラボ"("GPL Compliance Labs")という組織として正式に発足させた。2002年から2004年にかけて、Linksysそしてによるものといった明確なGPL違反事例が続出するようになった。この間、GPL遵守と関連する、GPL違反是正ならびにライセンスの啓蒙活動は、FSFの活動における主要な焦点だった。2008年12月、FSFは、シスコがGPLで保護された(FSFが著作権を持つ)コンポーネントを利用し同社Linksys製品と共に出荷したことに対し、(ライセンス違反による著作権侵害で)提訴した。シスコは2003年にライセンスの問題について通知されていたが、シスコはGPLの条項による義務を繰り返し無視した。2009年5月、シスコは、FSFへの金銭的支払い、シスコがライセンス遵守を実践しているかの継続的調査を指揮する"フリーソフトウェア監査役"("Free Software Director")の任命という和解案に合意し、FSFは訴状を取り下げた。2003年から2005年にかけて、GPL自体の条文説明並びにその法的側面を解説する法律セミナーを開催していた。大抵は、ブラッドリー・M・クーンとが教鞭を振るっていたが、このセミナーは(Continuing legal education, CLE)認定を受け、GPLの法的な教育活動として正式な認定を受けた最初の成果であった。「"フリーソフトウェアコミュニティの注目を集めるのに極めて重要"」と主張する「最優先度プロジェクト」のリストをFSFは維持管理している。FSFはこれらのプロジェクトを「"コンピュータユーザは頻繁に非フリーソフトウェアの利用の誘惑に駆られており、フリーな置き換えが不十分である理由により、重要である"」と考えている。以前、作業が必要とされるとして注目されていたプロジェクトには、OpenOffice.orgやGNOMEデスクトップ環境のJava依存部の互換性を保証するため、、GNU Interpreter for Java、GNU ClasspathそしてGNU Compiler for Javaが含まれていた(本項の詳細は、英語版ウィキペディアの記事"を参照せよ)。しかし、後日あるプロジェクトが最優先度リストに加えられたものの、活発な開発につながっておらず、また、プロジェクトがのんびりと進められている状況を見て、本活動が本当に効果を発揮しているのか批判する者もいる。FSFの"理事"("board of directors")は以下の人物が務める。以前理事を務めたものは以下の人物を含む。FSFの理事会は、議決権を持つ委員によって選出される。委員の持つ権利のうち、少なくとも投票権に関しては、次に述べる財団の定款(規約)に略記されている。参考訳FSFの議決権を持つ委員が誰なのか、その構成を示す有効な文書は現時点では不明である。FSFの"執行役員"("Executive director"、代表取締役)は現在、ウィリアム・ジョン・サリバンが務める。以前この地位に就いていたものは、ブラッドリー・M・クーン(在任: 2001年-2005年)、(在任: 2005年-2010年)であった。設立から現在にかけて、FSFには大抵約十数名の従業員がいる。全てではないが、FSFの本部機能の大部分はマサチューセッツ州ボストンに設置されている。エベン・モグレンとは以前、プロボノの"法務顧問"("legal counsel")として個人でFSFに従事していた。Software Freedom Law Center(SFLC)の立ち上げにより、FSFに対する法的サービスはSFLCにより行われることになった。2002年11月25日、FSFは個人向けのFSF"賛助会員プログラム"(FSF "Associate Membership program")を立ち上げた。ブラッドリー・M・クーン(2001年から2005年までFSFの"執行役員
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。