広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。京都府立峰山高等学校では、新浦寿夫や鈴木啓示のフォームを真似たというしなやかな投げ方で注目を浴びた。大きなテイクバックとリストの強さを生かしたフォームは評価が高く、最速144キロのストレートと鋭いカーブが持ち味だった。1980年夏の甲子園府予選では準々決勝に進出するが、京都商に惜敗。同年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。エースナンバー18が与えられる。1983年から1軍入りしていたが、登板機会に恵まれず、1986年オフ片平晋作、永射保両選手との交換トレードで西武ライオンズに移籍。しかし、層の厚さから西武在籍中はわずか5試合の登板に留まった。1990年オフ、峰山高の大先輩である野村克也が監督を務めるヤクルトスワローズに移籍、移籍1年目に29試合に登板し、一瞬ながら野村再生工場で再生した。1992年、現役引退。
出典:wikipedia
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