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基満男

基 満男(もとい みつお、1946年11月10日 - )は、兵庫県武庫郡(後の神戸市東灘区)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。少年時代はサッカーをやり、中学3年時に野球を始め、報徳学園高校では1年から二塁レギュラーとなるも、父親を亡くす。の第36回選抜高等学校野球大会に出場、同期に水沼四郎がいる。駒澤大学に進学するが、大学1年の8月に学費が払えなくなり中退。地元・神戸に戻るも大企業の野球部は年度途中採用をしておらず、篠崎倉庫に入社し1年半勤める。その間に報徳時代の先輩が、同じく報徳の先輩だった西鉄スカウトの深見安博へ紹介し、秋に香椎球場で打撃、平和台球場で守備のテストを受け合格。その後テスト生として西鉄に入団、1年目となるからレギュラーに定着した。入団したての頃は技術修得のために、自ら授業料を払い教えを請うという、かなりの努力家であった。の黒い霧事件で嫌疑がかかり、5月に入り球団は疑惑の選手に対し出場を見合わせた。コミッショナー委員会は基について、八百長の依頼を断った事、八百長の報酬を渡されるも拒否したことが認められ、既に球団から出場停止となっていたことを考慮され出場停止処分とはならず「戒告処分」にとどまった。には打率.301、20本塁打、盗塁25と活躍、ベストナインを受賞、パシフィック・リーグを代表する二塁手となった。開幕前に、中日へのトレードが内定していたが、トレード相手の藤波行雄が任意引退も辞さぬ移籍拒否をしたため破談となった。西武ライオンズの誕生により所沢移転が決まったオフ、鵜沢達雄、根本隆との交換トレードで大洋に移籍。セ・リーグの大洋へ移籍すれば巨人戦の中継があり、福岡のファンに自分の姿を見てもらえることが、その理由であった。に監督の別当薫から振り子打法の助言を受けた。打席に立ちバットの先でホームベースの3点を軽く叩き、バットを持ち上げた後、ゆするようにバットを立て左足を軽く上げてから、体の反動でボールを上から叩く打法を身につけた。二塁手のレギュラーとなり、移籍2年目のには自己最高の打率.314を記録、ダイヤモンドグラブとベストナインに輝いた。両リーグでのベストナイン受賞は当時としては史上5人目だった。に一軍コーチ補佐兼任となり、同シーズン限りで現役引退した。からまで大洋の二軍打撃コーチ、からまでは日本ハムの二軍外野守備・打撃コーチを務めた。その後はRKB毎日放送・テレビ神奈川・TVQ九州放送解説者、西日本スポーツ評論家などを歴任している。基には独自の技術として「ウッドペッカー」がある。西鉄のジム・バーマがしていた、グラブにボールを入れて右拳で叩いて上げるという遊びを真似していたものを、大洋時代に実践したものである。これは二塁手として二遊間のゴロをバックハンドでさばいた時に二塁ベース上の遊撃手に向かって出すバックトスなのだが、グラブそのものを動かすのではなく(グラブの先にひっかかることがある)、グラブを二塁ベースに向けて軽く開口し、拳状にした右手でボールの入ったグラブのポケット部分を裏からトンカチのように叩き、ふわっとしたちょうど良い加減のトスを出すというものである。太平洋・クラウンで同僚だった真弓明信は「基さんには、守備から打撃から野球を教わったよ。特にダブルプレーは鍛えられた。基さんはとにかくトスが速い。ショートにとって、トスが速いのは本当に助かるんやね。捕ってからベースを踏んでもいいし、すでにベースに入っているときにはランナーもいないし。速いに越したことないから」と語っている。

出典:wikipedia

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