上橋 菜穂子(うえはし なほこ、1962年7月15日 - )は、東京都生まれの児童文学作家、ファンタジー作家、SF作家、文化人類学者。日本児童文学者協会会員。父は洋画家の上橋薫。香蘭女学校中学校・高等学校を経て、立教大学文学部史学科卒業、1993年同大学院博士課程(後期課程)単位取得退学。2007年「 : ある「地方のアボリジニ」のエスニック・アイデンティティの明確化と維持について」で立教大学文学博士。女子栄養大学助手、武蔵野女子短期大学(→武蔵野女子大学短期大学部を経て現・武蔵野大学)非常勤講師、川村学園女子大学講師、助教授、同大学児童教育学科教授、2012年10月には、特任教授として教育学部児童教育学科で児童文学を担当している。幼児から父方の祖母から、多くの民話を聞いて成長する。両親は多くの本を読んでくれ、母からは『モモちゃんとプー』、『もじゃもじゃペーター』、父からは『西遊記』、『水滸伝』。初めて自分で選んだ本は『王様の剣』だった。多くの物語を読むとともに幼い時から物語を作ることを目指していた。母方の祖母の家が野尻湖にあったが、小学校5、6年の自由研究で、野尻湖でのナウマンゾウとヤベオオツノジカの化石発見について文章を書く。野尻の山で木の葉の化石や、手の跡のある縄文土器を見つけ、生き物はいずれ死んで物だけが残る寂しさを感じる。武術経験もあり、古武道を習っていたこともある。東京都品川区の香蘭女学校で中高一貫教育を受ける。高校生のとき英国へ21日間学習旅行に行き、ルーシー・M・ボストンを訪問し古い英国の屋敷と生活を知る。文化人類学者シオドーラ・クローバー『イシ 二つの世界を生きたインディアンの物語』を読み、白人の中での先住民の孤立に衝撃を受ける。高校2年の文化祭で原作・脚本・出演の西欧中世悲劇『双子星座』を自主上演、在学中に何度か同級生となった片桐はいりの初舞台ともなる。同学年で旺文社の文芸コンクールで『天の槍』を書き佳作となる。手塚治虫や萩尾望都などの漫画を読んでおり、高校3年では漫画家になろうとしていたが、結局は作家を目指す。大学は史学科だったが、山口昌男『アフリカの神話的世界』でアフリカ神話に衝撃を受け、文化人類学を学び、大学院に進む。アボリジニの研究のために訪れたオーストラリアで、インターンシップとして小学校で日本文化を教えたのをはじめに、長年にわたりフィールドワークを行い食事や労働を共にした。この経験は小説の作風にも大きな影響を及ぼしている。『守り人シリーズ』は中央アジアの民俗の見聞が大きいと述べている。大学院まではアニメが大好きで、『伝説巨神イデオン』や『風の谷のナウシカ』などのファンだったが、フィールドワークが忙しくなり観なくなる。その後、偶然テレビで観た『攻殻機動隊シリーズ』にハマる。後にアニメ化された『精霊の守り人』の監督も偶然同じ神山健治だったという。1989年『精霊の木』で児童文学作家としてデビューする。1991年に刊行した『月の森に、カミよ眠れ』で翌年、日本児童文学者協会新人賞を受賞し、同時期の荻原規子やたつみや章と並んで日本古代を題材とした日本的ファンタジーの書き手として注目を浴びる。1996年『精霊の守り人』で独自の異世界を舞台にした女用心棒を主人公にしたハイ・ファンタジー作品を発表する。同作で、野間児童文芸新人賞・産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞する。2008年6月には、英訳も出版された。以後、『守り人シリーズ』として書き継いでいくことになる。『闇の守り人』で第40回日本児童文学者協会賞、2002年には『守り人シリーズ』で第25回巌谷小波文芸賞を受賞する。『神の守り人』で小学館児童出版文化賞を受賞する。また再び古い日本を舞台にした『狐笛のかなた』で野間児童文芸賞受賞、産経児童出版文化賞推薦作品となる。2012年5月設立の河合隼雄物語賞の選考委員となる。『精霊の守り人』、『獣の奏者』(アニメ番組名『獣の奏者エリン』)のアニメ化の際は企画段階から監修者として参加。『獣の奏者』では、この時の製作者側の詳細な質問に答える中で、主人公が再度自分の中で動き出すとともに物語に謎と続きがあることがわかり、『III 探求編』と『IV 完結編』が生まれた。ファンとの交流を大切にしており、サイン会・講演会なども頻繁に行う。単行本・文庫・青い鳥文庫・電子書籍の4形態で出版されている。紙媒体は全て講談社から発売。単行本版の装画は浅野隆広、装丁は坂川栄治+田中久子(坂川事務所)。文庫本版の装画は原島順、装丁は樋口真嗣。
出典:wikipedia
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