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都営バス小滝橋営業所

都営バス小滝橋自動車営業所(とえいバスおたきばしじどうしゃえいぎょうしょ)は、東京都中野区東中野に所在する都営バスの営業所で、高田馬場・大久保・早稲田周辺を発着する路線を担当する。管轄下に杉並支所を置く。営業所記号はEを用いる。小滝橋の名は、近くにかかる神田川の橋名に由来する。営業所は東中野の新宿区側に入り込んだところに位置し、営業所前を除いて中野区内を走る路線はなく、営業エリアは新宿区と文京区、飯田橋駅、市ヶ谷駅、新橋駅、上野方面である。営業所の前には関東バスの本社がある(停留所名は「小滝橋」)。戦前から存在する営業所の一つ。源流をたどると、国産初の自動車メーカーだったダット自動車こと快進社(現・日産自動車)の輸送部門子会社、ダット乗合にまで行き着く。ダット乗合は日産発足後の1935年(昭和10年)に王子電気軌道に買収され、翌年には王電傘下の他社と合併して東京環状乗合自動車に生まれ変わる。陸上交通事業調整法による裁定の結果、1942年(昭和17年)2月1日付けで東京環状乗合から東京市電気局に引き渡され、市営小滝橋自動車営業所が正式に発足した。戦中は戦争被害で営業所の統合が行われたが、当営業所も新宿営業所に統合され、小滝橋支所となっていた。戦後、復旧資材が整ったことにより、小滝橋営業所として新宿営業所から分離された。新宿駅から190円(ICカードは186円)で都庁周辺を循環運転する。系統番号の頭文字はCity Hallから頭文字を取ったものである。平日は7〜19時台に運行されるが、土曜・休日は11〜15時台の運行に短縮される。都庁周辺エリアは元々京王帝都電鉄(現・京王電鉄)がバスを運行するエリアであったが、東京都庁へのアクセスであることと京王帝都電鉄バス側の保有していた車両がバリアフリーでない一般車両のみであったことから、東京都交通局が単独で運行開始することとなった。その後、1999年(平成11年)11月に京王バス側にもノンステップバスが導入されたことから、京王バスが新規参入できることになり2社局共同運行が実現した。運行開始時は三扉の都市型超低床バス、1997年からノンステップバスを導入しており、都庁のお膝元の路線としてバリアフリー化に力を入れている。2001年、都議会議事堂の駐車場にエコ・ステーションが新設され、CNG車も運行に加わっている。2009年4月1日、それまで担当していた新宿支所がはとバス委託となることから直営の間近の営業所である小滝橋営業所に移管されたため、CNG車(H107・108・L790)が新宿支所から転属した。小滝橋営業所にとっては早77系統を早稲田営業所に移管した1974年以来の新宿駅西口進出となった。戦前のダット乗合から続く歴史の長いものである。1949年(昭和24年)に東京大学への系統(現・学01・07系統)とともに再開し、1972年(昭和47年)まで系統番号は学バスを表す50番台(52番)であった。ほぼ並行する地下鉄東西線開業後も存続され、高頻度の運行を保ちながら現在に至っている。学生の利用を主眼に置いた学バス路線として一般の路線よりも割安な運賃で運行している。学生のほか沿線住民の利用も多く、早稲田大学の各時限前後や朝ラッシュ時には通勤通学客で混雑する。年末には穴八幡宮への足としても繁盛する。入学試験期間には往復割引乗車券が発売される(通常運賃は大人180円・小児90円、ICカードは大人175円・小児88円。往復割引券は300円)。センター試験の時には、途中停車しない急行便が運行される。現在は、はとバス委託路線で、新宿支所の担当となったが、早大正門 - 渋谷駅循環の早81の入出庫運用も、小滝橋車庫からほぼ同じ区間を営業するが、こちらの便は割引料金にはならず大人210円・小児110円(ICカードは大人206円・小児103円)である。小滝橋車庫と新宿車庫の間は回送となっている。都02系統の本線と異なり、大塚電車営業所所管の都電17系統(池袋駅前 - 数寄屋橋;経由地は同じ)の代替バス517系統(池袋駅東口 - 大塚車庫 - 文京区役所 - 水道橋駅 - 一ツ橋 - 新常盤橋 - 東京駅八重洲口 - 有楽橋 - 有楽町駅)をルーツとする。1972年(昭和47年)の系統番号見直しで楽67系統と名を変えて、1982年(昭和57年)の第3次再建計画に伴う路線再編成により一ツ橋 - 有楽町駅を短縮のうえ池67系統となり、1990年(平成2年)には平日・土曜の朝の一部を除き文京区役所までの運行となった。このとき、都02系統と一部重複しているために併合され、都02乙系統を名乗った。この経緯から、都市新バスの系統として扱われないが、場合によっては都市新バス「グリーンライナー」の一部として扱われるケースもある。大塚営業所時代はほぼ全便にわたって都02系統の専用車で運行されていた。当初は大塚営業所が管轄したが、2008年3月30日付で巣鴨営業所に移管される。さらに2015年3月30日に小滝橋営業所へ移管、初代飯62系統廃止の1979年11月23日以来の池袋駅進出となった(それ以後も劇場バス劇06系統の設定があった)。一ツ橋まで運行されるのは平日3便・土曜2便、いずれも朝のみで、それ以外の時間帯と日曜・祝日は全便が東京ドームシティ発着となり、春日駅からラクーアの周囲を反時計周りで折り返す。文京区役所(現・春日駅)- 一ツ橋間で並行していた水59系統(巣鴨駅 - 一ツ橋)は2000年12月に廃止されたが、都02乙系統の一ツ橋発着便は現在に至るまで残されている。出入庫は上69系統・小滝橋車庫 - 春日駅間での営業と、高田馬場駅 - 高田馬場二丁目 - 学習院下 - 池袋駅間回送(小滝橋車庫 - 高田馬場駅間は飯64系統で営業)の2通りある。2000年(平成12年)12月12日の都営地下鉄大江戸線環状部開通に伴う路線再編成で廃止された秋76系統の運転区間の一部について、再び運行を開始したものである。同じく小滝橋車庫が起点だが、途中の大部分が異なる経路を運行する飯64のように飯田橋駅までは行かない。牛込北町からは橋63系統と同じ経路をたどる。第2次再建計画に伴う路線再編成で橋62系統(池袋駅 - 飯田橋駅 - 新橋駅)を短縮・再編して誕生した系統。2年後の追加再編成に伴い、1979年(昭和54年)11月22日限りで廃止、小滝橋営業所も池袋地区から一旦撤退した(ただし劇場バス劇06系統の設定はある)。2代目飯62系統と重複する区間はあるが、初代と2代目の系統に経緯上のつながりはない。新橋駅から内幸町と官庁街・麹町・牛込を経由し、山手線の西側に抜ける路線。以前は120系統として京王帝都との相互乗り入れ路線で、大久保駅から大久保通りを直進して中野駅・下田橋までの運行であった。交通局第2次再建計画に基づく追加の路線再編成で京王帝都電鉄との相互乗り入れをやめ、橋63系統(新橋駅 - 市ヶ谷駅 - 国立病院医療センター - 大久保駅)と中63系統(国立病院医療センター - 中野駅 - 下田橋;練馬営業所所管)に分断。中63系統は1988年(昭和63年)10月16日に廃止された。現在も、日テレ旧社屋の麹町と新社屋の新橋(汐留)を直結する唯一の交通手段であり、平日のみ運行されている統計局行きは、同局関係者の通勤対策便のため各種案内にも掲載されていないが、誰でも乗車できる。また、法律の改正(規制緩和)で、中63・橋63系統に分断後長い間回送運転となっていた大久保駅前 - 小滝橋車庫間が、2002年2月25日に営業運転に切り替えられた。1968年(昭和43年)の都電第3次撤去で廃止された15系統(高田馬場駅 - 茅場町)の代替路線として515系統と名乗って開業した。第2次再建計画に伴う路線再編成で小滝橋車庫 - 東京駅丸の内北口間に変更短縮され、さらに第3次再建計画に伴う路線再編成で九段下 - 東京駅丸の内北口間も廃止となった。上69系統と小滝橋車庫から東五軒町までは同じ経路となっており、ほぼ交互に両系統が運行される。なお、東五軒町の次の大曲停留所は両系統で異なる位置に設置されている2008年3月30日に経路変更を実施、飯田橋一丁目 → 九段下を循環扱いにした。この九段下付近の経路は時計回りのループとなり、この区間内にあるまないた橋から九段下行きに乗車した場合、終点・九段下より高田馬場方面へ継続乗車が可能である。早稲田発着は早朝のみ。高田馬場駅発着は都02乙系統、学02系統の出入庫を兼ねる他、22時以降に小滝橋車庫 - 高田馬場駅間の折り返し便が存在する。上69系統は、高田馬場から上野まで東西に横断する。1968年(昭和43年)の都電第3次撤去で廃止された39系統(早稲田 - 厩橋)の代替として、539系統(早稲田 - 上野公園)で運行が始まる。1972年に系統番号を上69系統と変更、1974年に小滝橋車庫まで延伸した。1997年(平成9年)7月22日、平日の一部便のみ上野駅まで運行されるようになるが、こちらは2002年11月30日付で廃止。2003年、グランド坂下 - 西早稲田間を甘泉園公園経由に変更し、小滝橋車庫方面のみグランド坂下停留所を廃止した。2008年3月30日に経路変更を実施、湯島三丁目 → 上野公園を循環扱いにした。この上野付近の経路は反時計回りのループとなり、この区間内にある上野広小路から上野公園行きに乗車した場合、終点・上野公園より高田馬場方面へ継続乗車が可能である。飯64系統とは小滝橋車庫から東五軒町まで同じ経路となっており、ほぼ交互に上69・飯64系統が運行される。なお、東五軒町の次の大曲停留所は両系統で異なる位置に設置されている。2015年3月30日に小滝橋車庫 - 春日駅間の折り返し便が新設された。これは都02乙系統の出入庫を兼ねたものである。32系統として運行されてきた橋62系統が長距離で定時運行が不可能になったため、1977年12月に短縮した。その後、1979年11月23日に廃止。関東乗合自動車(現・関東バス)、西武自動車(現・西武バス)との3社局共管で江古田二丁目・新井薬師駅と東京駅丸の内北口を結んだ121系統として1950年(昭和25年)4月に開通。関東乗合は新東線、西武バスは大久保線と名乗った。当初は練馬営業所(現・練馬支所)が担当だった。その後は1961年12月に小滝橋営業所へ移管されるが、1969年(昭和44年)に関東バス、続けて1971年(昭和46年)に西武も撤退して都営単独の24系統に生まれ変わる。その後も区間短縮や経路の変更を経て1990年7月に現在の運行区間となった。2014年(平成26年)4月1日付ではとバス委託のため、杉並支所に移管。2系統として当営業所が担当してきたが、1974年(昭和49年)に早稲田営業所へ移管、代わりに上69系統が小滝橋管轄となった。当営業所が44系統時代から運転してきていたが、はとバスに委託するために2009年4月1日から、新宿支所に移管。早81出入系統は新宿移管後にも運転されていて、学02系統とほぼ重複しているが、こちらの運賃は一般の運賃が適用されており、学バス定期券での乗車は出来ない。小滝橋車庫から新宿車庫まで回送されている。この系統はゲームソフト「東京バス案内2」でも取り上げられている。現在、新宿支所で運行している宿74・宿75系統である。系統番号整理前の1968年に新宿営業所へ移管された。旧中野乗合自動車の血を引く関東乗合自動車の新宿線をベースに、1948年(昭和23年)8月に東京駅 - 阿佐ヶ谷車庫間で開通した路線。1ヶ月後に石神井公園駅まで延長、同時に西武自動車(現・西武バス)との3社局共管路線となり関東乗合では東京線と呼称した。石神井公園駅から現在の関東バス阿50・阿45・宿07系統を合わせたルートで小滝橋へ、そこからは東西線をなぞって飯田橋、外堀通りに出て水道橋からは志村営業所の105(後の東55)系統と似たルートで東京駅へ向かっていた。都電第3次撤去と同時の1968年(昭和43年)9月28日限りで都営と西武が撤退、廃止となった。関東バスは新宿伊勢丹 - 石神井公園間の宿06系統・伊勢丹線に変わり、1978年(昭和53年)に新宿西口発着へ変更。その後阿佐ヶ谷駅と中野駅で分割して現在の新宿線および石神井線になる。かつてはいすゞ自動車製のみであったが、2001年度から2003年度にかけて日野・レインボーHRが配置された。それを皮切りに2007年度に日野・ブルーリボンIIが配置され、小滝橋営業所で初のLED表示を持つ車となった。その後は購入方法が変更されたこともあり、2008年度にUDトラックス・スペースランナー、2011年度と2012年度は三菱ふそう・エアロスターが配置され、4メーカーすべてが配置されることとなった(このうちUDトラックスはバスの製造を中止、西日本車体工業も解散となっている)。2009年度、2014年度、2015年度はいすゞ・エルガが配置され、日野・レインボーHRは大部分が新宿・杉並・青梅支所や南千住営業所などに転出している。CH01系統の移管時には新宿支所からいすゞと三菱ふそうのCNGノンステップバスが転入していたが、後にいすゞ車は除籍、ふそう車も臨海支所へと転出した。

出典:wikipedia

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