エニセイ川(イェニセイ川、ロシア語: 英語:Yenisei ブリヤードモンゴル語:Горлог мүрэн)は、ロシアを流れる河川である。北極海に流れ込む最大の水系で、世界でも第5位の長さである。(オビ川を5,570kmとした場合には世界第6位)。流域面積はユーラシア大陸で最大の河川でもある。(バイカル湖の水を含めるとセントローレンス川を超えて世界最大の水量となる)エニセイ川という名前は、エヴェンキ人による呼び名のイオアネシ(エヴェンキ語: - Ioanessi)に基づくとされる。17世紀に入り、西から毛皮交易を求めてコサックが流域に入り、「イェニセイ」と呼び始めた。エニセイという名称の由来に関しては様々な説がある。ウルグ=ヘム(Ulug Khem)の先住民はエニセイ川を「絶え間ない流れ」と呼んだ。エヴェンキ語では「大きな水」を意味するイオアネシ(Ioanessi)と呼んだ。またテュルク諸語に由来するという説もあり、「母」を意味する「アナ」と「川」を意味する「セイ」が合わさったと解説される。モンゴル系・テュルク系民族が住んでいたエニセイ川流域には、17世紀ごろからコサックが進入してきた。毛皮を求めてウラル山脈を越えてオビ川流域の西シベリア平原に進出していたコサックは、河川を利用してシベリアを東西に往復しながら次第に東へと進んできた。16世紀末には、オビ川から東へ伸びるケチ川へコサックが要塞を置き、流域のケット人にヤサク(毛皮貢納の税)を課し、ケチ川源流から丘を越えてエニセイ川流域に侵入した。17世紀以降にはエニセイスク、アバカンスク、クラスヌイ・ヤール(後のクラスノヤルスク)などの要塞が次々に建てられた。エニセイ川流域は金や毛皮の産地としてロシア帝国に富をもたらしたが、同時に流刑地でもあった。モンゴルから北へ流れ、シベリア中央部を貫き、北極海の一部であるに注ぐ。河口は川幅1km - 3km幅の川が十数本に分かれており、幅50kmの三角州になっている。上流部は急流で洪水が多く、人口密度は非常に低い。中流部にはいくつかの巨大な水力発電用ダムが建設されており、ロシアの原料生産産業を支えている。その一部はソビエト時代の強制労働によるものである。人口稀薄なタイガ地帯を流れ、多くの支流を集めたのち、一年の半分が氷に閉ざされるツンドラ地帯を抜けてカラ海に注ぐ。近年、流量は増加傾向にあり、地球温暖化による永久凍土の融解が要因として指摘されている。北極海の塩分濃度の変化が地球規模の影響をもたらすおそれなどが懸念されている。エニセイ川は二つの主な源に発する。エニセイ川はサヤン山脈などに囲まれるミヌシンスク盆地に入り、アバカン川、オヤ川(Oja)、などの川を集める。この付近での川沿いの大きな町にはミヌシンスク、アバカン、クラスノヤルスクなどがある。長さ320kmで部分的に航行も可能な上アンガラ川(Upper Angara)は、ブリヤート共和国を流れてバイカル湖の北端に流れ込む。しかしバイカル湖で最長の流入河川は、モンゴルに発し湖の南東側に三角州を形成して流れ込む長さ992kmのセレンガ川である。その最大の支流はモンゴル中部のハンガイ山脈東麓から流れる。その他の支流には、モンゴルの首都ウランバートルを流れるトーラ川(Tuul)、フブスグル湖からの唯一の流出河川である(エギーン川、Egiin Gol)などがある。アンガラ川(、Angara)はバイカル湖から流れ出す長さ1,840kmの川で、この地方の中心都市であるイルクーツクを経て、エニセイ川にはストレルカ(Strelka、北緯58度10分、東経92度99分)で合流する。アンガラ川には四か所のダムがあり、この地方の産業のために電力を供給している。イルクーツクにある44mのダムには出力650MWの発電所がある。500km下流のブラーツクには1960年代に124mのブラーツクダムが完成し、出力4500MWの発電所が造られ、ダム湖はその形状から「龍の湖」と呼ばれている。東サヤン山脈の北麓に発する支流のオカ川とイヤ川が「龍」の両あごを形成し、アンガラ川が400kmにおよぶ長い尾を形成する。250km下流のには同じくらいの大きさの新しいダムがあり(ここで合流する支流のイリム川にも大きなダムがある)、さらに400km下流のボグチャニにもダムがある。さらに新しいダムを造る計画もあるが、環境への影響の大きさから反対の声があり建設予算がついていない。拡大し続ける東シベリアの石油産業の中心地でユコスの大精油所の所在地、アンガルスクは、イルクーツクの50km下流に位置する。大きなパイプラインが西へ伸び、さらに日本海岸のナホトカへ日本向けの石油を輸送するパイプラインも建設されようとしている。東シベリアの埋蔵資源の限度はまだ明らかではなく、イルクーツクの北200kmのコヴィクチンスコエ(コビクタ、Kovyktinskoye)、およびイルクーツクの北500kmの中央シベリア高原にあるヴェルフネチョンスコエ(ベルフネチ、Verkhnechonskoye)など大きなガス田や油田が開発途上にあり、東アジアへの輸出が期待されている。エニセイ川とアンガラ川がストレルカで合流した後、大カズ川(Great Kaz)が300km下流で合流する。この川は、オビ川支流のケート川(ケチ川、Ket)と、オビ・エニセイ運河で結ばれていたことが特筆される。エニセイ川は幅が広くなり、川には無数の中州が出現し、多くの支流が合流して流れは大きくなる。特に大きな支流は、長さ1,800kmを超えるポドカメンナヤ・ツングースカ川、および3,000km近い長さのニジニャヤ・ツングースカ川という右岸側の二つの大河で、いずれも東の中央シベリア高原から流れている。これらの川の上流に当たるツングースカ地方はツングースカ大爆発で知られるが、現在は石油・天然ガスの探査や開発が進んでいる。ニジニャヤ・ツングースカ川との合流点を過ぎると、エニセイ川は北極圏に入り、ツンドラ地帯が広がる。エニセイ川は年の半分以上は凍結する。何もしないと無数の氷が川をせき止め洪水が発生するため、爆発物を使い氷を吹き飛ばし水を流す作業が行われる。ドゥディンカは、クラスノヤルスクと定期客船で結ばれる最下流の港町である。河口の先では幅50km、長さ250kmのエニセイ湾が形成されている。この部分では砕氷船が航路を確保するために使われる。氷河期には、北極への流路は氷床で閉ざされていた。まだ詳しいことは分かっていないが、最終氷期にはエニセイ川やオビ川は西シベリア低地を覆うほどの巨大な湖(西シベリア氷河湖)に流れ込んでいたとみられる。またこの湖の水は北極海に出られないため、最終的には黒海に向かっていたと考えられている。"下流より記載" "291692
出典:wikipedia
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