警察法(けいさつほう、昭和29年6月8日法律第162号)は、「個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めること」(1条)を目的とする、日本の法律である。1947年(昭和22年)に制定後、1954年(昭和29年)の全部改正により現在の法律となる。改正前の警察法(昭和22年12月17日法律第196号)は旧警察法ともいう。全部改正によって、国家地方警察と自治体警察は廃止され、警察庁と警視庁及び道府県警察が設置された。戦前の日本警察は、内務省警保局による中央集権体制で運営されていた。しかし、太平洋戦争で日本が敗戦し、連合国の統治下に置かれると、GHQは日本の警察機構を天皇制(天皇制ファシズム)の維持擁護を目的とした非民主的な警察体制であると断罪し、内務省の廃止を含めた全面的な見直しを要求してきた。1947年9月3日、内閣総理大臣片山哲が公安庁設置法案を軸とする警察制度改組計画を提出した。これに対する同月16日付のマッカーサー書簡の指示内容に基づき、政府は警察法案を起草した。同年12月17日、警察法(旧警察法)が公布され、1948年3月6日に施行された。旧警察法の理念と特徴は、次のようなものであった。警察の地方分権としての自治体警察は、自治体の財政負担が大きく、行き過ぎた警察組織の細分化は過度の縄張り争いを招き、広域捜査の困難をもたらした。また、国家地方警察と自治体警察が独立対等のため国の治安に対する責任が不明確になる等の問題が発生した。そのほか、中華人民共和国の誕生や東西冷戦の激化により、自治体警察の生みの親であるGHQの占領政策も急速に右旋回し始め、警察制度の中央集権化を復活させる動きが出始めていた(逆コースを参照)。そこで、1951年の法改正では、住民投票の付託により、自治体警察の存廃を決めることができるようになり、小規模町村の自治体警察を国家地方警察に吸収することが可能になった。その結果、ほんの数年で1千以上の自治体警察が廃止され、残るは財力に余裕のある大都市の自治体警察のみとなっていた。また、この改正により国家地方警察と自治体警察との間の人事交流が解禁され、公安警察の事実上の一体運用と、それに伴う国家地方警察から自治体警察への裏金の移動も行われるようになった。1952年、日本が独立を回復すると、旧警察法に内在する問題を根本的に解決すべく、警察制度改革が始まり、1954年6月8日、旧警察法を全面改正した新警察法が公布され、同年7月1日から施行された。新警察法では、従来の国家地方警察と自治体警察による二本立ての制度を廃止し、新たに警察庁と都道府県警察を発足させて、日本の警察機構を再び中央集権化した(地方警務官も参照)。また、内閣の責任を明確化すべく、国家公安委員会委員長に国務大臣を充てることになった。法改正案は、1954年2月15日、第5次吉田内閣により提出された。6月3日、衆議院本会議は、2日間の会期延長をめぐり大混乱となる。ついには議長堤康次郎が議院警察権を発動。要請により警官隊が初めて国会内にはいった。6月4日、社会党左派・社会党右派は、会期延長は無効であると共同声明を出した。以後、社会党両派・日本自由党・労働者農民党(労農党)・日本共産党(共産党)は出席しなかった(参議院では延長の議決がなかった)。6月5日、衆議院では、社会党両派・日本自由党・労農党・共産党の欠席のまま、10日間の会期延長を議決した(参議院では議決がなかった)。6月7日、衆議院を通過。翌8日、公布。7月1日施行。
出典:wikipedia
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