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金櫻神社

金櫻神社(かなざくらじんじゃ)は、山梨県甲府市御岳町(みたけちょう)2347番地に鎮座する神社である。市域北部、荒川上流の山間部に位置する。幕末までは蔵王権現と呼ばれ、慶応4年(1868年)の由来書で「金櫻神社」と称している。雄略天皇時代に金峰山に本宮として創建されたとされる山岳信仰の神社で、金峰山信仰(御嶽信仰)の中心神社。周辺には新式や御師屋敷や宿坊があり、御岳村は門前町を形成した。神体は、高さ20メートルの花崗岩質からなる五丈岩。祭神は少名彦命(スクナビコナ)、大己貴命(大国主)、須佐之男命(スサノオ)、日本武尊(ヤマトタケル)、櫛稲田媛命(クシナダヒメ)。御神宝は水晶。社記によれば、本宮は景行天皇40年にヤマトタケルが東征の帰路に参詣し、甲斐国造塩海宿禰に社殿の造営を命じたという。雄略天皇10年、神勅により御岳山に社殿が造営。大宝2年(702年)には大和国金峰山から蔵王権現と金精大明神が勧請され、それぞれ本宮と中宮に合祀された。古代には甲斐国司が参詣し、空海は自筆経文を奉納したという。甲斐武田氏の祈願所として崇拝され、始祖の逸見清光が中宮社殿を再建したという。鎌倉時代には幕府執権の北条時頼が大般若経を奉納し、日蓮も法華経を奉納したという。御像石の頂からは「甲斐派美」と呼ばれる湧水が湧き、甲府市域を流れる荒川や相川をはじめ、武蔵国の多摩川や信濃国の千曲川の水源とも信じられていたため、耕作守護神としての信仰も集め祈雨祭祀が行われた。江戸中後期には関東・中部地方において秩父地方の三峯神社や奥多摩の武蔵御嶽神社を中心にニホンオオカミを眷属とする眷属信仰が興隆するが、狼信仰の信仰圏に含まれる甲斐山間部において金桜神社は上野原市の王勢籠神社とともに狼信仰の神社として知られ、金桜神社では『甲斐国社記・寺記』では日本武尊の案内役を務めたという白狗の説話を紹介しており、これに基づく絵画資料なども存在し現在でも狼札を配布している。里宮境内の中宮本殿・東宮本殿(ともに1955年焼失)は中世の建築で、年代は不詳であるが室町時代の建立であると考えられている。『甲斐国志』では里宮本宮は武田信義の造営で、中宮本殿は源清光により再建され、東宮本殿は近世に浅野長政に建立されたとしている。中宮本殿は三間社流造、東宮本殿は方三間・単層の入母屋造の社殿。両本殿とも屋根は檜皮葺で箱棟を載せる。両本殿は1907年に国の重要文化財に指定されたが、昭和30年(1955年)12月18日の火災で両本殿はじめ12棟や伝左甚五郎作の昇竜降竜が焼失しており、現在の朱塗社殿は昭和34年に再建されたものである。伝武田勝頼奉納の能面8面、住吉蒔絵手箱、家紋散蒔絵手箱、筏散蒔鼓胴、武具散蒔絵鼓胴はそれぞれ山梨県指定有形文化財。昇竜降竜は堀友二作のものが奉納されている。また、境内には「鬱金の桜」がある。例大祭は4月21日から22日で、御岳大神楽が行われている。現在は神域が秩父多摩国立公園に属し、御岳昇仙峡とともに観光名所となっている。

出典:wikipedia

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