シジクレイ・デ・ソウザ(Sidiclei de Souza、1972年5月13日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。父のシジネイ、兄のジャンカル、さらに3人の親戚もブラジルでプロサッカー選手になったサッカー一家で生まれ育つ。ボランチだった父の影響で、自らも少年時代からボランチとしてプレーしていた。地元のカスカヴェルECのジュニオールでプレーした後、1990年にパラナ州内にある日系クラブのSEマツバラに移り、1993年、20歳の頃にプロ契約を結ぶ。1997年にマツバラからジャパンフットボールリーグのモンテディオ山形に加入して、初来日を果たす。1998年にはクラブのJFL3位という好成績に大きく貢献した。1999年、J1の京都パープルサンガに完全移籍。初のJリーグでも1年を通して活躍し、出場停止1試合を除く29試合にフル出場した。自身は翌2000年も京都でのプレーを考えていたが、「このチームで続けられる、と思っていたらできなかった。いまでもその理由が分からない」と述懐する 何らかの理由により実現せず、この年は大分トリニータに期限付き移籍される事になった。大分は最終節までJ1昇格争いに絡み、2位と勝ち点1差の3位でシーズンを終えた。翌2001年、今度はヴィッセル神戸に期限付き移籍で加入し、2002年からは完全移籍となった。2004年、神戸からガンバ大阪に完全移籍。2005年はクラブ史上初となる外国人キャプテンに任命され、G大阪はこの年にナビスコカップ準優勝、J1リーグ初優勝を果たした。2008年、9年ぶりに京都サンガF.C.に復帰。2009年12月1日、京都は契約満了に伴いシジクレイと来シーズンの契約を結ばないことを発表した。2010年、古巣の(旧・カスカヴェルEC)と契約したが7月にCNマルシリオ・ジアスへ期限付き移籍。2011年、2月にに移籍し、5月に現役を引退した。引退後、ECアギア・ネグラのコーチに就任。2013年、ガンバ大阪のコーチに就任。2015年シーズン終了後、契約満了により退団。289||26||58||10||21||2||368||3835||5||2||1||3||1||40||749||9||colspan="2"|-||7||3||56||12その他の公式戦|2006||G大阪||2||6||0!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦ガンバ大阪
出典:wikipedia
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