米谷 實久(まいや さねひさ、1876年(明治9年)8月2日 - 1945年(昭和20年)9月6日)は、旧陸奥国米谷村(現:宮城県登米市東和町米谷)の村社・鹿島神社20代目祠官(社掌)である。明治39年、米谷村の「鹿島神社」は、秈荷神社(ぜんかじんじゃ)に合祀されたため、米谷實久は最後の社掌となる。社掌とは、旧制での神職の職名で、神社における祭祀(さいし)をつかさどる神職の長のことで「祠官、神主、宮司」といわれる。 妻:米谷 ヨシ 生:明治10年10月4日 (宮城県登米郡登米(とよま)村:大槻文助長女) 没:大正12年6月19日 (東京府北豊島郡三河島町) 社格:村社 祭神:武甕槌命(たけみかずちのみこと) • 奈良時代頃から、寺が、「神社」に付属して置かれるようになった(神仏習合) • 社僧を置き、寺務の統括を行う。 ☆社僧とは、神社に所属して仏事を行う僧。 • 神護寺、別当寺、宮寺、神宮院・・・とも呼ばれる。 • 明治元年(1868年)、明治政府より神仏分離令により、神社、寺院として独立、あるいは、廃絶した神社も多い。 社格:村社 祭神:経津主命(ふつぬしのみこと)、倉稲魂命(くらいねたまのみこと) 合祀:・賀茂神社(祭神・別雷命) ・神明社(祭神:天照皇大神) ・秋葉神社(祭神:加具土命) (ぜんかじんじゃ) 宮城県登米市東和町米谷字秈荷56 修験道《奈良時代初頭の「役小角」(えんのおずぬ)、を祖とし、護摩(ごま)を焚き、呪文を唱え、 祈祷をして、難行・苦行を行って、霊験を得る山岳信仰》の、修験者(山伏)の尊称としても用いられた。 <地 名> • 奈良県奈良市米谷町 (大和国添上郡)・・・まいたに • 兵庫県宝塚市米谷 (摂津国川辺郡)・・・まいたに • 兵庫県宝塚市米谷清 (摂津国川辺郡)・・・まいたにきよし • 宮城県登米市東和町米谷 (陸奥国登米郡)・・・まいや • 宮城県遠田郡小牛田町北浦米谷浦 (陸奥国遠田郡)・・・まいやうら <読 み> こめたに、こめや、よねや、よねたに、まいや、まいたに・・・。 ☆ 昭和47年までの米谷郷土史編纂委員会の調査による。姓の読みは、日本各地にそれぞれの読みがあって、定かでない。 東和町の東陽寺裏庭には、米谷(まいや)の地名の由来となった、「米渓ヶ泉」と呼ばれる清泉があります。 『住古この泉より白米を食する僧等がおり里人奇瑞の事と地名の「前谷」を「米谷」と改めた。』米谷(まいや)の地名由来の泉である。 (東和町教育委員会の説明標識と東陽寺HPによる) 同寺は、仙台藩の伊達騒動「樅の木は残った」で有名な原田甲斐の菩提寺です。 • 宮城県登米市内 中田町1軒・・・東和町米谷に居住者無し。 • 千葉県松戸市馬橋から独立して、千葉県、埼玉県、神奈川県に在住。・・・馬橋に居住者無し。 ☆ 明治時代の戊辰戦争で活躍した、登米市登米(とよま)の本覚寺に墓がある、仙台藩士・米谷吉郎右衛門氏に関わる系統や、 戦国時代の伊達政宗配下によって謀殺されたという、米谷城城主で葛西氏の家臣・米谷常秀氏に関わる系統、 および岩手県大船渡市にあるスーパー・マイヤの系統は、本件:陸奥国米谷の鹿島神社の系統に関連するかは不明。 ☆ 登米市東和町役場にて作成された米谷家系図の資料をもとに確認。 4.1 「東和町米谷郷土史年表」 米谷郷土史編纂委員会 昭和48年3月発行 4.2 「東和町米谷郷土史年表付録」 米谷郷土史編纂委員会 昭和48年3月発行 4.3 「東和町米谷家系図」 登米市東和町役場 平成14年8月作成 4.4 宮城県神社庁 HP 4.5 弟・実清の家系に保管されている資料
出典:wikipedia
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