山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山之内滋美、1948年8月4日 - ) は歌手、女優、ロシア演劇・ロシア大衆歌謡ピェースニャ研究家である。京都府京都市出身、大阪外国語大学ロシア語学科、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専修卒。関西芸術座、劇団三十人会、表現劇場に参加。吉田名保美事務所、中村企画(社長中村敦夫)を経て現在フリー。在学中より演劇に惹かれ、女優を目指す(代表作参照)。ロシア語のできる女優は日本では少なく、他に栗原小巻が知られている程度である。ロシア演劇研究家としてはスターリンに粛清された悲劇の演出家メイエルホリドを永年のテーマとし、メイエルホリドの孫娘であり生涯をかけて祖父の名誉回復に尽力したマリヤとの深い親交があった。1988年のモスクワ芸術座来日、2001年の国立ポクロフカ劇場の初来日にあたっては日本国内での周知活動に加え、通訳、トークの進行係としても尽力した(「ロシア演劇2002」第3, 5号に寄稿あり)。語学留学中にソ連の大衆文化に触れたのをきっかけに、歌手として以前よりロシア/ソ連の大衆歌謡(いわゆる「ロシア民謡」も多く含まれる)を歌ってきた。シャンソニエ、ライブスポット等の舞台でコンスタントにロシア大衆歌謡を歌う他、ロシア語でそれらを歌う講習会も開催。ロシア語と日本語で歌ったCDもリリースした。1978年、NHK軽音楽オーディションに合格、1977年から司会を勤めていたNHKテレビ「ロシア語講座」でもロシアの歌を披露した。山之内はオーディションの際、審査員の藤山一郎に励まされたことがロシアの歌を続けていく支えになったと語っている。「ロシア民謡」に加え、ソ連国民の間で非合法ながら愛されたヴラジーミル・ヴィソツキーや、同じく地下で愛聴された「ロシアの吟遊詩人」ブラート・オクジャワの歌を紹介することにも力を注いでいる。生前のオクジャワとも親交があり、2003年5月、ポーランドのクラクフで開かれた「第2回国際オクジャワ・フェスティヴァル」では『わが人生の歌』と『紙の兵隊』を歌った。ロシア語の知識と経験を生かして、ロシアの声に勤務し、日本語放送のアナウンサーをしたこともあり、その前にはNHKワールド・ラジオ日本ロシア語放送のディスクジョッキーをつとめていた。後者は録音番組であったため山之内が日本を離れた後もしばらく放送が続き、一時期は山之内のロシア語と日本語が日本海を行き交っていた。他に、朗読・ナレーションでも活躍した。劇団関係者・歌手として訪ソ機会が多く、軍港セヴァストーポリ訪問、個人宅宿泊等、当時外国人には非公開だった同国のさまざまな内情に触れてきた。厳しい秘密主義をとっていたソ連であったが、音楽フェスティバルのゲストとしてならば、軍艦の中に立ち入り軍人や兵士と言葉を交わすことさえできたという。曰く「一介の芸人」故に鉄のカーテンの向こうに深く踏み込むことのできたその経験をベースに、更にペレストロイカ以降公開された文献を加え、ソ連の大衆音楽事情を研究し、その成果の一端を『ロシア愛唱歌集(正・続)』として出版した。近年では、生のロシア文化事情を知る第一人者として、母校の早稲田大学を初め、多くの大学や文化サークルから非常勤講師として招かれている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。