川崎市電(かわさきしでん)は、かつて川崎市交通局が運営していた路面電車である。市電川崎 - 塩浜間6.7km。軌間1,435mm。電化方式は直流600V。全線現在の川崎区内を走り、かつ日本鋼管前(現在のJFE前交差点)以東は臨港地区の工場地帯を走るため、朝夕のラッシュ時以外は閑散としたローカル線であった。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)、軍需工場に通勤する人の数は14万に達していたが、燃料不足からバス・トラック輸送が限界となり、交通問題懇談会の要請で川崎市は工場労働者の足として最初の開業区間を5か月の突貫工事で建設した。しかし通勤客輸送に活躍する間もなく、米軍の空襲で手ひどい損害を受けた。戦後は僅か2両の電車から復興、東京都から応援車両をもらいうけ、路線延長、複線化、新車の投入など整備を進めて川崎市民や工場通勤客の足として順調に伸びたが、自動車に押されたことと、路線網が未完成のままだったため、既に川崎区内に路線網を張り巡らせていた川崎鶴見臨港バスと戦後発足した川崎市バスによる路線競争に対して取り残された存在となり、経営合理化のため1969年(昭和44年)に廃止された。塩浜操車場の建設によって、川崎市電の池上新田 - 塩浜間と、京急大師線の小島新田 - 塩浜間が休止となった。休止後は川崎市バスと臨港バス、さらに京浜急行電鉄が既存のバス路線を増発し、代行とした。京浜急行では既存区間の増便とは別に大師線の産業道路駅から塩浜方面への代行バスも出し、一部は国鉄蒲田駅(東京都大田区)まで運転した。しかし、池上新田で接続していた川崎市営トロリーバスの廃止に合わせて不要不急の財産を整理した結果、1967年(昭和42年)に正式廃止となる。この結果京浜急行電鉄も小島新田 - 塩浜間を再開する意味がなくなったと判断、1970年(昭和45年)正式に廃止して代行バスの運行を取りやめた。市電川崎駅 - 川崎駅前駅 - 商工中金前駅 - 第一国道駅 - 渡田新町駅 - 渡田三丁目駅 - 成就院前駅 - 小田栄町駅 - 昭和電線前駅 - 東渡田三丁目駅 - 日本鋼管前駅 - 浜町三丁目駅 - 浜町四丁目駅 - 桜橋駅 - 桜本駅 - 池上新田駅 - 日本鋼管池上正門前駅 - 入江崎駅 - 塩留橋駅 - 塩浜駅
出典:wikipedia
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