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吉田万里子 (プロレスラー)

吉田 万里子(よしだ まりこ、1970年2月15日 - )は、日本の女子プロレスラー(現在はセミリタイア中)。本名は盛田(旧姓:吉田)万里子。広島県尾道市(旧御調郡向島町)出身。身長163cm、体重65kg。血液型O型。1988年、全日本女子プロレスに入団。翌年メキシコに短期遠征し、グラン・アパッチェの下でルチャリブレの技術を学んだ。帰国後、三角跳びプランチャなどの「マリポーサ殺法」と呼ばれた高度な空中技で注目され「好感度No.1」の評価を得た。1992年7月5日、後楽園ホールでのジャパン・グランプリ公式戦で、同期の井上京子と対戦。この試合ではルチャをベースにした京子と吉田のレスリング・センスがまんべんなく発揮された、明るさ、楽しさと激しさが並び立った好試合であった。会場内で鬼ごっこしたり、トペにいこうとした京子を、リングの下を潜って反対側に行ったり、コーナーにレフェリーの村山大値と京子を追い込んで、京子にかけるつもりが京子に逃げられて、村山にバンザイ型のモンキー・フリップを敢行、すかさず京子がカウント3を入れる、といった見せ場があった。試合結果は30分フルタイムの引き分け。1992年10月、頸椎損傷により1年10か月に及ぶ長期欠場を強いられる。この間にUWFインターナショナルの試合を観戦したのがきっかけで、空中技主体から関節技主体へファイトスタイルを変えることを決意、藤原喜明の門を叩く。1994年8月に復帰後は、体調の問題や、自身の方向性と全女フロントの意向との板ばさみになるなどの要因から、同期の井上京子、井上貴子に比べ精彩を欠く、1997年2月6日にレディ・アパッチェを破りCMLL世界女子王座を奪取。同年9月には全女退社、アルシオン入団を機に空中技を封印。サブミッション・レスラーに転身した。アルシオンではアジャ・コングや浜田文子らを破ってシングルタイトル「クイーン・オブ・アルシオン」の初代王者に就き、サンビスト藤井惠との異種格闘技戦(2003年5月24日)を敢行。リング外でも選手会長などの要職に就いた。2003年7月にアルシオンが堀田祐美子率いるZ-SPIRITSに吸収されAtoZになるとそのままスライド入団するが、方向性の相違から同年12月に退団。2004年4月、アルシオン旗揚げ時のメンバーの大向美智子や直弟子のAKINO、中西百重らとフリーランス集団M's Styleを結成。2005年にあっては、米国カリフォルニア州を本拠地とするオール・プロレスリングという団体の主催する女子プロレスラーの選手権『チックファイト』に参戦し、最終的にチアリーダー・メリッサを破って優勝者の座に輝いた。更には翌2006年にもこの大会に参戦し、ミッキー・ナックルズを破って優勝している。2005年の6月に初の主催興行「息吹」を開催。その際、吉田による任意団体とはせず、運営管理をチケット販売会社「株式会社エスオベーション」に委託し、同社は「息吹事務局」を発足させた。「息吹」では当初はやはりメインイベントを張ることが多かったが、2007年3月18日の第13回を最後にメインを退いた。その後は中盤に出ることが多くなり、8月5日の第16回では遂に第1試合に登場した。その後、2008年を最後に選手活動を一時休止し、以降は「息吹」のプロデューサーに専念する。2009年5月、「体幹チューニング」カラダ調律師の資格を取得し、インストラクターとして活動する。2011年、井上京子らにより旗揚げされる「ワールド女子プロレス・ディアナ」で選手復帰。ただし、引き続きインストラクター活動を優先するため、試合出場は不定期となる予定。全女時代にはレフェリーとして試合を裁いたこともあり、息吹でもレフェリーとしてリングに上がる場合もある。因みに、フジテレビアナウンサーの西山喜久恵とは同郷・同窓生であり、中学時代からの親友関係にある。選手名鑑での「好きな有名人」のアンケートでは、必ずと言っていいほど彼女の名前が挙がる。人柄が良いことから、吉田を慕う後輩女子レスラーは少なくない。後輩レスラーらと一緒に練習をしており、専門誌などでは「吉田道場」と呼ばれている。2014年7月からは先輩のブル中野が経営する『中野のぶるちゃん』を手伝っている。2016年、ワールド女子プロレス・ディアナにて新人で全女のファンである池野真奈美のデビュー戦の対戦相手を務め勝利する。1999年3月31日、門恵美子との試合中に後頭部から落下した門が昏睡状態に陥り、4月9日に死去した。以上は全女時代に使用

出典:wikipedia

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