広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - ) は、日本のフォトジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長。広河隆一事務所代表,イスラエル、パレスチナの双方に多くの人脈と知人を持ち、パレスチナ問題を取材し続けている。チェルノブイリを事故以来25年以上に渡って取材し、また救援活動を行っている。福島第一原発事故の後は、主に日本の原発や放射能に関する諸問題を取材するかたわら、福島の子どもの救援活動を行っている。福島の子ども保養プロジェクト「NPO法人 沖縄・球美の里」理事長。日本中東学会、日本写真家協会、日本写真協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)、各会員。 パレスチナの子供の里親運動顧問、チェルノブイリ子ども基金・元代表。、中華民国の天津市で出生、2歳の時に引き揚げ、小学校入学以前から大阪府羽曳野市恵我之荘に居住した。東京都世田谷区在住。1956年旧:高鷲町立小学校(現:羽曳野市立高鷲小学校)卒業、1959年羽曳野市立高鷲中学校卒業、1962年大阪府立生野高等学校卒業、1963年早稲田大学教育学部に入学し、1967年早稲田大学教育学部卒業。なお、広河は大学在学中に和敬塾の南寮と称する男子寮に入寮し、入学当初は早大山の会で活動を行っていたが二回生の時に早稲田カメラルポタージュ研究会と称するドキュメンタリー・俱楽部を立ち上げ、また極左暴力集団であるブント系の学生運動を精力的に行っていたが、ノンセクト・ラディカルとして学生運動を行っていたと主張する者もいる。そして、広河は映画会社への内定を受けていたにもかかわらず、その内定を辞退して大学卒業後1967年にイスラエルに渡航し、イスラエル北部のキブツ・ダリヤというキブツに滞在し、そこでヘブライ語を学習した。広河は渡航当初、コミューン的な生産、生活形態をすすめる共産主義的なキブツに対し憧れを抱いていたが、広河がイスラエルへ渡航してから2週間後である1967年6月に第三次中東戦争が勃発し、イスラエルがその戦争に大勝利を収め、かつ広河が滞在していたキブツ・ダリヤにおいて「ダーリヤト・アッ=ラウハー(دالية الرَّوْحا)」又は「ダーリヤト・アッ=ラウハーア(دالية الرَّوْحاء)」というパレスチナ人の村落の廃墟を発見したことなどにより、イスラエルによるパレスチナ人に対する過酷な人権侵害を知るようになり、親パレスチナ的な態度をとるようになった。イスラエルにおいては「マツペン」という反シオニスト的な政治団体で活動を行っていた。エルサレムで反シオニズム写真展を開催した後、1970年、帰国。以後、中東諸国を中心に取材活動を行う。1982年、レバノンの西ベイルートにおけるファランジストというマロン派キリスト教徒主体のレバノン右派民兵によるパレスチナ難民の虐殺、サブラー・シャーティーラーの虐殺を含めた第一次レバノン戦争に関する取材を行い、よみうり写真大賞を受賞。翌83年、同写真でIOJ国際報道写真展大賞・金賞受賞。日本帰国後に戦場カメラマンとしてイスラエルや原発に対して批判的なスタンスをとりはじめる。一時は立教大学において非常勤講師を務めた。講談社の「DAYS JAPAN」に、イスラエルのビジネスマン、アイゼンベルに関する記事や、ダイヤモンドシンジケートの取材、チェルノブイリの現状、731部隊などに関する記事を掲載。また日本テレビ、NHKなどでチェルノブイリや中東に関する報道番組を多数制作発表する。また報道に徹するだけでなく各地で救援活動を行っている。「チェルノブイリ子ども基金」代表(設立時)、パレスチナの子どもの里親運動顧問(設立時は代表を務めた)、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)世話人代表等を歴任。全国各地で講演を行っている。2002年7月、日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)設立、世話人代表(~2004年9月)、のち退会。2003年12月、廃刊になっていたDAYS JAPANを再創刊すべく株式会社デイズジャパンを設立。代表取締役社長を務める。2004年3月、フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」を再創刊する。編集長を務める(2004年4月号から2014年9月号まで)。2007年7月、広河隆一は第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補した川田龍平を応援した。2008年、パレスチナ難民発生から60年の歴史を記録した劇場映画「パレスチナ1948NAKBA」(日・英・仏・アラビア語版)、DVDボックス(30巻、日英版)を「1コマサポーターズ」の支援で制作。2011年、広河隆一は『戦場カメラマンという仕事』という書籍に寄稿している。2012年7月5日、かつて代表を務めた「チェルノブイリ子ども基金」の経験を活かし、福島県の子どもたちを福島第一原子力発電所事故の影響の少ない沖縄県の久米島において保養させるプロジェクト「NPO法人沖縄・球美の里」を発足させた。2014年8月、DAYS JAPAN2014年9月号をもって編集長を丸井春に交代した。2015年12月、広河隆一の戦場カメラマンや政治活動家としてのこれまでの足跡や生き方などを描いた「広河隆一 人間の戦場」と称するドキュメンタリー映画がリリースされ、広河はこの映画に出演した。日本における中東ジャーナリストや戦場カメラマンとして先駆的な役割を果たし、次世代のジャーナリストや市民活動家の養成においても重要な役割を果たしている。ほか多数
出典:wikipedia
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