青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年7月25日 - )は、日本の政治家、参議院議員、安全保障および国家政策研究員、作家。前独立総合研究所代表取締役社長、近畿大学経済学部総合経済政策学科客員教授(国際関係論)、東京大学教養学部非常勤講師。夫人は水産学研究者・水産学博士で、東京海洋大学准教授、同研究所取締役自然科学部長の青山千春、長男は同研究所社長の青山大樹。兵庫県神戸市長田区生まれ。3人兄弟の末っ子として育った。青山家の祖先は、結婚式を挙げた港区南青山の青山墓地周辺の沼地で関東武士で強盗団であった。また、怪談『播州皿屋敷』に登場する青山鉄山が先祖と父親から聞かされ、家系図からも確認していることを公言している。父親は8人兄弟の末弟で、青山が生まれた当時は実家の家業である青山織物株式会社の神戸支店に勤務していたが、上の兄達がアクシデントに見舞われたことで、社長に就任するために会社のある加西郡泉町(現:加西市)へ戻ることになり、青山も家族と共に転居。高校卒業まで同地で過ごした。また、青山が転居前に通っていた日本キリスト改革派教会付属長田幼稚園は、拉致被害者の一人である有本恵子と同じ幼稚園である。1971年3月、淳心学院中高等学校を卒業。同年4月慶應義塾大学文学部に入学するが、1974年2月に中退。同月中に早稲田大学政治経済学部を受験し合格。同年4月、入学。以前から天職と考えた記者になるべく、毎日新聞社から内定を貰っていたが、作家になる方向も考えていたので辞退。しかし、卒業間際に大学の就職課に貼ってあった共同通信社の追加募集の求人票を見つけた女友達(のちの千春夫人)から勧められ、学生課職員に問い合わせ、採用試験を受験し合格。1979年3月 早稲田大学政治経済学部を卒業。1979年4月、26歳で共同通信社に入社。2か月の新人研修後、徳島支局へ赴任、徳島県警の事件記者を担当。徳島大学病院不正事件等の記事を配信していく。新人研修が終わり同期社員が全国に散る前の同年5月25日、港区青山にて妻千春と結婚。1983年6月に京都支局へ異動、京都府警キャップの任に就く。その後、途中数か月間、宗教記者を担当し、再び、京都府政を担当。1984年4月、大阪支社経済部に異動。証券、繊維、財務、金融業界を担当。1987年4月、東京本社政治部に異動。首相官邸記者クラブでは第3次中曽根内閣の最後の1年間、竹下内閣の組閣後半年間、中曽根康弘、竹下登両内閣総理大臣の総理番を担当。自民党では三木派、河本派を担当。民社党・社民連、法務省・検察、労働省・連合、防衛庁の担当を歴任。1995年12月、外務省サブキャップを担当。1996年12月、ペルー日本大使公邸占拠事件発生直後にペルー入りし、共同通信ペルー特派員として半年間ペルーに滞在して事件の一部始終を取材した。1997年12月31日、共同通信社を依願退社。1998年1月1日付で株式会社三菱総合研究所に入社、国家戦略立案の専門研究員となる。2000年4月 学生時代から目指していた物書きとして、小説第1作「夜想交叉路」で第90回 文學界新人賞にノミネートされた、しかし90回の新人賞は該当者無しとなる。その後、シンクタンクの仕事に加え、メディアへの参加(出演)で、日々のスケジュールが逼迫してしまい、小説を発表してこなかったが、11年3か月ぶりに小説を脱稿した。同年5月、中川暢三市長時代の兵庫県加西市の「加西市総合計画特別審議員」を委嘱される。同年6月には関西テレビの選挙解説者を委嘱される。2015年3月に至る迄、選挙解説、ニュース解説として『スーパーニュースアンカー』に番組参加(出演)していた。2002年4月1日、三菱総研時代の仲間数人と独立して、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。同年5月には経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。2006年1月、カタールの中東戦略会議に参加。間に招待されない年もあったが、2012年も日本から1人の参加となった。研究者としては主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし各所で講演・講義を行っている。専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略立案。2006年7月 経済産業大臣の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」の原子力安全・保安部会原子力防災小委員会 危機管理ワーキンググループ委員に四たび任命(現職)。2006年12月 内閣総理大臣の任命により原子力委員会・専門委員(原子力防護専門部会所属)に就任。2007年1月 海上保安庁の公式政策アドバイザーに就任(現職)。2007年4月 近畿大学経済学部・国際経済学科の客員教授(国際関係論)に就任(現職)。2013年9月26日、レギュラーコメンテーターとして番組参加(出演)していた、『ザ・ボイス そこまで言うか!』(ニッポン放送)の青山が出ていた放送回が「平成25年度 日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ教養番組」で優秀を受賞。2016年6月20日、大阪市北区の帝国ホテル大阪にて記者会見を行い、通算8回目の出馬依頼を受諾し、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬する事を表明し、比例区全体の6位である48万1890票を獲得し当選を果たした。また、選挙結果の当落関係無く、独立総合研究所の社長職を退任する事を発表したが、一個人の研究員として独研からの業務委託で政策研究、情報発信、また作家、メディアでの活動を続ける事も明言している。座右の銘は「脱私即的」(私を脱し、本来の目的に付くと言う意味)で、早稲田大学を卒業してから共同通信へ入社するまでの26歳の頃に、自身の体験から考案した造語である。著作のサインに書き記したり、自身のPCの天板にも座右の銘のステッカーを貼っている。他にも、「深淡生」(深く淡く生きて死す。即ち≪思い切り自由に、深々と謙虚に、淡々と強靭に、命のまんなかは真実でいよう≫の意)も座右の銘として挙げている。また、「武士道精神」を重んじ、『葉隠』を愛読している。肩書きについては、新聞、テレビ等で「ジャーナリスト」、「評論家」、「タレント」などと誤って紹介されることが多いため、そのたびに「実務家」であると訂正している。2002年4月に独立総合研究所を設立して以降は、自身の第一の肩書は「独立総合研究所 社長」としている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。