名取郡(なとりぐん)は、宮城県にあった郡。令制国下では陸奥国(のち陸前国)に属す。明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、名取市、岩沼市(吹上・吹上西・阿武隈・大昭和などを除く)、仙台市太白区および青葉区の一部(茂庭・新川など)、若林区の一部(沖野・下飯田・三本塚・井土以南)にあたる。なお、岩沼市の例外となっている区域は1947年に亘理郡から編入されている。また、仙台市青葉区新川は1955年に宮城郡に編入されている。7世紀に設置されたと推定される。かつては和銅6年(713年)に陸奥国に丹取郡を置いたとする『続日本紀』の記事が、「名取」を「丹取」と誤記したものだとする説が有力だったが、現在では否定されている。天平元年(729年)11月15日の日付で、陸奥国名取郡から昆布を納めたときの荷札の木簡が、平城宮から見つかっている。また、郡の字は付されていないものの、郡山遺跡から出た土師器の坏に「名取」と記されたものがある。「名取」の文献上における初見は、『続日本紀』天平神護2年(766年)12月30日条にある名取竜麻呂の改姓記事である。「名取郡」としては神護景雲3年(769年)3月13日条にある名取郡の人吉弥侯部老人の改姓記事がもっとも早い。もとは名取川および支流の広瀬川が宮城郡との境であったが、西方では両郡の境界は曖昧で、秋保郷のように所属が明確でない地域も存在した。近世初期には仙台城付近で広瀬川支流の竜ノ口沢が境界線となり、仙台城は宮城郡へと編入された。江戸時代には北方(31村、長町代官所)・南方(30村、増田代官所)に区分された。幕末時点では全域が仙台藩領であった。『旧高旧領取調帳』に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(61村)
出典:wikipedia
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