ハーバート・P・ビックス(Herbert P. Bix、1938年 - )は、アメリカの歴史学者。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校名誉教授。元一橋大学大学院社会学研究科教授。マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学で歴史と極東語の博士号を取得。日米両国で現代史を教えている。2001年3月に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻・社会学部教授を定年退官。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校歴史学部教授・副理事長・研究科長を経て名誉教授。Committee of Concerned Asian Scholars(1968年に組織された親中派の在米左翼団体)の創立メンバーでもある。著書『昭和天皇』において昭和天皇が戦争に積極的に関与したという主張を提示し、論争を引き起こした。昭和天皇を「ただ自分の地位を守ることに汲々とし、他人の犠牲を省みず,近代君主の座を占めたかつてない不誠実な人物」 と記述している。同書で2001年にピューリッツァー賞を受賞。ハワイ大学のジョージ・アキタ教授は同書は学問的論考というより小説的であると主張し、ビックス自身も一部認めている。ビックスの昭和天皇論は、オリジナルではなく山田朗と吉田裕の研究を下敷きにした焼き直しという主張がある。例えば伊藤之雄は、古川隆久が著書『昭和天皇-「理性の君主」の孤独な生涯』(中公新書、2011年)において、ビッグスを事実関係の不備が目立つとする一方で、山田朗と吉田裕を「水準が高い」「優れている」と述べていることについて、ビッグスを批判していながら「ビッグスが拠った山田朗と吉田裕の研究」を評価しており視座が定まらない、と述べている。同じく秦郁彦も、ビックスの『昭和天皇』は、山田朗と吉田裕の著作が種本と評している。坂野潤治は、天皇は立憲主義者として自己主張を抑制したから戦争責任はないとする擁護論や、国家元首かつ大元帥だった天皇は、満州事変も日中戦争も太平洋戦争も止められたはずだとう単純な批判論と比較すると一歩進んでいるとしつつも、ビックス『昭和天皇』は、天皇は初めから悪玉と決められており、天皇の戦争回避のための努力は意図的に戦争推進のためと読み変えており、具体的には、天皇と牧野伸顕が昭和8年1月〜2月に関東軍を封じて国連脱退回避の努力を行ったかは牧野伸顕日記を読めば一目瞭然だが、日記の一部分だけ引用して、「天皇や側近が、陸軍の大陸政策に代案を示すことで連盟脱退を回避しようとしたことを示す文書は存在しない。・・・手に負えなくなった陸軍と良い関係を維持することは、当時の天皇にとって国際親善よりも重要だった」(上巻、p231-p232)と断定していることを挙げている。伊藤之雄は、ビックスが当時の手紙・日記・書類など一次資料を用いて考察せず、近代日本の立憲君主制解釈或いは明治憲法の運用慣行それ自体について誤った理解をしていると述べている。ビックスの『昭和天皇』については、ウィリアム・ウェブ裁判長から提出された、事実を過度に単純化して天皇に戦争責任があるという論理を追認しているだけで、研究文献や史料の中において自らの論理に都合が良いもの或いは都合の良い一部分だけを使用しているに過ぎず、さらに、近年論じられるようになった被害者を守るための商取引で使われる企業側の説明責任を安易に応用しているが、欠陥商品による事故は企業に責任があるのに対して、戦争は関わった関係国に何がしかの原因があるため教訓になりえない、と批判している。
出典:wikipedia
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