テレンス・マリック (Terrence Malick, 1943年11月30日 - ) は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、プロデューサーである。1943年11月30日、イリノイ州オタワで地質学者エミール・A・マリックの息子として生まれた。父方の祖父母はアッシリア系のキリスト教移民である。テキサス州ウェーコとオクラホマ州で育った。 二人の弟がおり、そのうちの一人であるラリーは1960年代にギタリストとしてスペインに留学。アンドレス・セゴビアの教えを受けたが、1968年にプレッシャーから自身の手を傷つけ、直後に自殺した。マリックはハーバード大学で哲学を専攻し、1965年に首席で卒業。ローズ奨学金を得てオックスフォード大学大学院に入学した。日常言語学派の哲学者ギルバート・ライルの元で学んだが、キェルケゴールやウィトゲンシュタインに関する意見が合わず、博士論文を出さずに中退した。その後はアメリカに帰国し、1969年にノースウェスタン大学からハイデッガーの著作の翻訳本を出版。マサチューセッツ工科大学で哲学を教える傍ら、フリーランスのジャーナリストとしてニューズウィーク誌やニューヨーカー誌、ライフ誌で記事を執筆した。アメリカン・フィルム・インスティチュートが次世代の映像作家の育成を目的に、1967年に設立したばかりのAFI Conservatoryに入学。俳優のジャック・ニコルソンやジャック・フィスクらと知り合った。フィスクは後にマリックの作品の常連となる。1969年には短編映画『"Lanton Mills"』を製作した。1971年にジャック・ニコルソンが監督を務めた『"Drive, He Said"』や『ダーティ・ハリー』の初期草稿に脚本家として携わり、映画界に進出。翌1972年にはポール・ニューマン主演の『ポケット・マネー』の脚本を執筆。1973年には初の長編『地獄の逃避行』を発表した。1978年には2作目の『天国の日々』を発表。それまでのハリウッドでは試みられたことのない編集や光量、音量の調整に試行錯誤したため、ポストプロダクションに2年かかる力作となった。アカデミー作曲賞、音響賞、衣装デザイン賞などにノミネートされ、撮影監督を務めたネストール・アルメンドロスがアカデミー撮影賞を受賞した。また、第32回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、監督賞を受賞した。その後、次作の試作途中で突如パリに移住。その後は公衆の面前に一切姿を現さなくなる。フランスでは数本の脚本を執筆しながら、長い間教鞭を取っていた。1998年、太平洋戦争におけるガダルカナル島の戦いを描いた長編『シン・レッド・ライン』を発表。20年ぶりに映画監督として復帰した。同作は第49回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。アカデミー賞では7部門にノミネートされた。2005年の『ニュー・ワールド』を経て、2011年にブラッド・ピットとショーン・ペンを起用した『ツリー・オブ・ライフ』を発表。第64回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。翌2012年にはオルガ・キュリレンコやベン・アフレックらが出演した『トゥ・ザ・ワンダー』を発表。第69回ヴェネツィア国際映画祭でSIGNIS賞(カトリックメディア協議会賞)を受賞した。2015年にはクリスチャン・ベール、ナタリー・ポートマンらが出演する『"Knight of Cups"』が、2016年にはドキュメンタリー『"Voyage of Time"』がそれぞれ公開される予定である。1973年から2012年のおよそ40年間で製作した作品はわずか6本と、非常に寡作な映画監督として知られる。また、アカデミー賞の授賞式や各映画祭には出席することなく、メディアへの露出やインタビューもほとんどない。少なくとも、2011年の時点ではテキサス州オースティンに住んでいるとみられる。
出典:wikipedia
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