ロビーニョ(Robinho)ことロブソン・デ・ソウザ(Robson de Souza, 1984年1月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サン・ヴィセンテ出身のサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA・アトレチコ・ミネイロ所属。ブラジル代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。攻撃的なポジションなら大抵こなすことができる。世界最高クラスのドリブルの名手。高い得点力とともに、シザーズなどのプレーで見る者を魅了する。「ドリブル・キング」や「フェイント百科事典」等の異名を持つ。ロビーニョとは「小さなロブソン」と言う意味である。2002年、サントスFCに入団。若手のサッカー選手の宝庫と呼ばれるブラジル国内で実力を発揮し、数々のユース世代の世界大会で注目を集めるようになる。2004年のFIFAコンフェデレーションズカップ大会終了後、レアル・マドリードが本格的に獲得に動くが、クラブ間の交渉や移籍金を目当てとした実母の誘拐などで頓挫。2005-2006シーズンから移籍金2400万ユーロで移籍し、正式に加入する。背番号はフィーゴが着けていた10番ということもあり、期待が窺われた。クラブでは、フォワードよりもサイドハーフの位置で起用された。2007-08シーズンはラウル、ファン・ニステルローイとともに3トップを形成しチームのリーガ2連覇に貢献。しかし、シーズンオフにはクラブが自身をクリスティアーノ・ロナウド獲得のための代替要員として扱ったことに激怒。結局、ロナウドの獲得は叶わなかったためクラブは彼を慰留するも、チェルシーが獲得に名乗りを挙げ、2008-09シーズンのリーグ開幕戦当日にチェルシーへの移籍願望を表明する記者会見を開くなど大きな問題となった。その後もシュスター監督をはじめチームは彼を説得するも、本人の意思は強く、最終的にマーケット締め切り日の9月1日に移籍金4200万ユーロでマンチェスター・シティに移籍することが発表された。マンチェスター・シティでは攻撃の中心として活躍し、プレミアリーグ4位タイの14ゴールを挙げたが、2009年1月19日にスペイン・テネリフェで行われたクラブの合宿を無断離脱し、ブラジルへ一時帰国同年1月27日、14日のリーズのナイトクラブでの強姦の容疑で一時拘束されるなど素行に問題があり、マーク・ヒューズ監督とは衝突していた。また、チーム自体もプレミアリーグ10位に終わった。2009-10シーズンは本調子からは遠く、出場機会が減少。1月には古巣・サントスFCへレンタル移籍した。2010-11シーズンからセリエA・ACミランに移籍金1800万ユーロ、4年契約で移籍。9月11日のACチェゼーナ戦でミランでのデビューを飾り、10月6日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦で移籍後初ゴールを挙げた。その後イブラヒモビッチ、アレシャンドレ・パト、途中加入のカッサーノらと共に、得点を量産。チームトップタイとなる14得点で、スクデット獲得に貢献した。2011-12シーズンと2012-2013シーズンは、ケガなどで出場機会は少なく、目立った活躍もできなかった。2013-14シーズンは、他のFWの活躍などで、出場機会に恵まれない状態が続いた。夏ごろに古巣・サントスFCへの移籍交渉が話題になったが、結果的には年俸の折り合いが付かずに破談となった。クラブは移籍でなければ残留との方針を示していたが、移籍の破談を受けて、2013年7月には2016年6月までの契約延長で合意・決定した。2014年8月7日、古巣サントスFCにレンタル移籍で復帰した。2015年5月13日、ミランとの契約を解除した。2015年7月16日、中国サッカー・スーパーリーグの広州恒大へ加入することを発表した。契約期間は6ヶ月で、背番号は『60』を着用予定だったが『56』になった。AFCチャンピオンズリーグ2015は契約により登録外となった。2015年12月13日に行われたFIFAクラブワールドカップ2015のクラブ・アメリカ戦に先発出場した。広州恒大では超級リーグ戦で9試合出場3得点、FIFAクラブワールドカップ2015で1試合の出場を記録した。その後契約を延長することはなく、2015シーズンをもって契約満了となった。2016年2月11日、アトレチコ・ミネイロへの加入をクラブ公式HPで発表した。契約期間は2年間とのこと。サントス以外のブラジル国内クラブに在籍するのはキャリア初。サントスでデビューしたロビーニョは、欧州挑戦後にもサントスへのレンタル移籍を2度経験、大手メディア『ESPN』はサントスが再獲得に乗り出していると報じていたが、3度目の復帰は叶わなかった。2004年にはブラジル代表に招集され、同年、FIFAコンフェデレーションズカップではチームの優勝に一役買う。2006年のW杯の代表にも選出され、4試合に出場。準々決勝の対フランス戦では、ブラジルが負けたにもかかわらず試合終了後にユニフォーム欲しさにジダンに駆け寄った。2010 FIFAワールドカップでは決勝トーナメント1回戦のチリ戦で自身W杯初得点を挙げ、勝利に貢献。この試合のマンオブザマッチに選出された。続く準々決勝のオランダ戦でも先制点を挙げたが、チームは逆転負けし敗退した。
出典:wikipedia
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