千葉県警察成田国際空港警備隊(ちばけんけいさつなりたこくさいくうこうけいびたい)とは、成田国際空港の警備を担当するため千葉県警察警備部に附置された執行隊である。日本国政府は、航空運輸の必要性から新しい空港建設を計画し、その計画地を成田市三里塚を中心に設定したことから、この空港建設に反対する地元住民が反対運動を展開し、後にこれに日本の新左翼などの武装勢力(警察呼称は極左暴力集団)も加わり、空港建設の妨害活動等、さらにはテロリストによる空港関係者・一般人殺害、空港施設への迫撃砲攻撃など、テロ活動を活発に行う様になった(成田空港問題)。1978年(昭和53年)3月26日には、開港直前になって新左翼運動家が管制塔に乱入し、管制塔内の機器を破壊した(成田空港管制塔占拠事件)ため、大幅に開港が遅れ、当時の首相であった福田赳夫の失脚と国際的なイメージダウンにも繋がった。日本国政府は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部に空港警備隊準備委員会が設置され、その後、新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至る。これまで、反対派と機動隊の衝突により双方に死者を出し、多数の負傷者が出た他、過激派の放火によって、4名の空港工事関係者が死亡している。しかし2016年現在では、違法行為に対する取り締まり強化の他、これら違法行為を行った者に対する民事上の損害賠償請求や刑事上の厳罰化、日本国民(特に大学生)の左翼運動離れや極左暴力過激派グループに対する嫌悪感、「“空港のおかげ”によって街が発展した」という現実、実際に稼働している成田国際空港を目の前にして、廃港を求めることへの無力感、また、開港当時に比べて海外旅行が身近になり、元々反対派だった農民も、成田国際空港を利用する機会が訪れてきたことや、家族親戚が成田空港関連の企業に就職したことにより空港容認に転向する、などの理由により、過激な反対闘争は終焉を迎えようとしている。ただし、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)などの一部の組織が、現在もなお一般人(千葉県警察幹部と同姓同名の別人宅を誤認)、新東京国際空港公団(現在は成田国際空港株式会社)職員の自宅や、京成電鉄所有の鉄道車両への放火(京成スカイライナー放火事件)、空港敷地内に金属弾を発射する等のテロ行為を行っている。またアメリカ同時多発テロ事件などの影響から、徒歩見学客でも検問所で検問を受ける必要があるなど、空港警備は強化されている。なお、成田国際空港を使用したスカイマーシャル業務は、千葉県警察機動隊が担当している。任務は、成田国際空港の安全確保及び各種テロ警戒。一連の成田紛争を契機に、常駐の強力な警備力の必要から、警察制度上例外的な空港警備隊が創設された。成田国際空港及びその機能に関連する諸施設を防護し、極左暴力集団等により行われる空港等の安全と秩序を阻害する行為の防止、制圧及び検挙に当たる。(千葉県警察の組織に関する規則(平成6年千葉県公安委員会規則第15号)第93条第2項)航空機事故やハイジャックの初動措置に備えて、機動救助部隊、レンジャー部隊、爆発物処理部隊、銃器対策部隊(MP5サブマシンガンを装備)を警備隊内に編成している他、NBCテロ対策部隊や儀仗隊(ぎじょうたい)(成田国際空港に要人が来ることも多いため)も設置されている(栄誉礼)。現在、年間およそ100回の割合で爆発物処理班に出動が命ぜられている。出動した事案の大半が、空港内での不審な手荷物を検査する作業である。成田国際空港警備隊は、千葉県警察の所属でありながら、人員は県警の定員の枠外であり、全国の警察(皇宮警察も含む)から出向してきた隊員も多い。これらの隊員が1年もしくは2年を期限に出向することによって部隊を構成している。出向の間の身分は、出身の都道府県警察官・皇宮護衛官から千葉県警察官に切り替えられる。出向元警察の実情を考慮し、警視庁と神奈川県警、大阪府警と兵庫県警、警視庁と大阪府警は各空港機動隊で一緒にならないように振り分けてある。連隊編制(総数約1,500名)(※ 参考:千葉県警察の組織に関する規則、千葉県警察職員の補職及び職の設置に関する規則)
出典:wikipedia
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