フィリップ・"フィル"・トル・ヒル・ジュニア("Philip "Phil" Toll Hill Jr." 、1927年4月20日 - 2008年8月28日)は、アメリカ・フロリダ州マイアミ出身のレーシングドライバー。アメリカ人初のF1ワールドチャンピオンであり、ル・マン24時間レースでは3勝を挙げた。生まれてすぐにマイアミからサンタモニカに引越し、9歳で初めて車を運転し、12歳の時に父親からフォード・モデルTを買ってもらい私道で運転をする。1945年、第二次世界大戦には行かず南カリフォルニア大学にて経営学を専攻するが学位を得ず、当時ロサンゼルスで最も大きい外国車の販売代理店である会社の整備士・営業職として働きはじめた。1946年、カルフォルニア・スポーツカー・クラブ("the California Sportscar Club" )の最初のメンバーの1人となり、1948年カレル・スピードウェイでのレースで初勝利。1949年にジャガーの研修員としてイギリスへ渡り、ジャガー・XK140とともにアメリカに帰国し、1950年のアメリカでのレースで勝利する。1952年より私有のフェラーリを駆ってスポーツカーレースで活躍。アメリカでフェラーリディーラーを営むルイジ・キネッティ(1949年のル・マン24時間レース優勝者)に認められ、ヨーロッパへ渡りスクーデリア・フェラーリと契約した。フェラーリ耐久レースチームの一員として活躍。1958年のセブリング12時間レースに初優勝し、その年の6月に行なわれた1958年のル・マン24時間レースをオリヴィエ・ジャンドビアンとともに初優勝した。その後、F1に参戦するが1961年、1962年にル・マン24時間レースを連勝(通算3勝)し、セブリング12時間レースも1959年、1961年も優勝(通算3勝)した。F1引退後はアメリカに戻り、フォードやシャパラルのドライバーとしてスポーツカー世界選手権を戦った。39歳で出場した1967年のが、現役最後の優勝となった。ヒルはフェラーリでなかなかF1出場の機会を得られず、1958年フランスグランプリでは自費でマセラティに乗って参戦した。しかし、フェラーリのF1チームに欠員が出たため1959年よりレギュラー参戦し、1960年第9戦イタリアグランプリでは予選で自身初のポールポジションを獲得すると、決勝でも優勝。初優勝をポールトゥーウィンで飾った。1961年は1.5リットルエンジン規定導入を味方にしたフェラーリの年となった。第6戦ドイツグランプリ終了時で、ヒルはチームメイトのヴォルフガング・フォン・トリップスに4ポイントリードを許していた。第7戦イタリアグランプリにて、ポールポジションからスタートしたフォン・トリップスは、ジム・クラークとのデッドヒートの末接触し、マシンごと観客席に飛び込んでいった。飛び込んだマシンやパーツによって、14人の観客が命を落とし、自身もまた即死した。ヒルはこのレースで優勝してランキングトップとなり、ランキング2位のフォン・トリップス死亡によって、その場でチャンピオンが決定した。だが、レース終了後に初めて僚友の死を聞かされたヒルは、表彰台で人目も気にせず号泣したという。凱旋レースとなるはずだった地元アメリカグランプリは、チームとともに欠場した。1962年は一転してマシンの性能不足で未勝利に終わり、前年末のお家騒動でフェラーリを飛び出したカルロ・キティたちが結成したATSへ移籍した。しかし、1963年シーズンは期待外れで、チームは成績不振により撤退。ヒルはクーパーへ移籍したが、1964年を最後にF1参戦を取り止めた。1966年には1戦のみ復帰するが予選不通過に終わり、以後F1に戻らなかった。引退後はケン・ヴァウグンとともにクラシックカーの修理会社を設立。テレビ解説者として時折登場したほか、自動車評論家として『ロード&トラック( )』誌に試乗レポートを綴った。2008年8月28日、アメリカカリフォルニア州の病院にてパーキンソン病の合併症にて死去。。当時は今程レース数が多くなかったとは言え通算で3勝しかしておらず、これはチャンピオンとしてはマイク・ホーソーンと並ぶ少なさであった。同時期にF1に参戦していたグラハム・ヒルとの血縁関係はないが、同姓ということで親交はあり、グラハムの息子デイモン・ヒルは幼い頃フィル・ヒルに可愛がってもらっていたという。ヒルのF1初優勝は、アメリカ人初のF1優勝であり、また結果的にフロント・エンジン搭載マシンによる最後の優勝ともなった。ヒルにはデレク、ヴァネッサ、ジェニファーの3人の子供がおり、デレク・ヒルは2000年にイタリアF3000選手権(現Auto GP)に参戦し、2001年から2003年に国際F3000選手権に出走していた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。