深川車両基地(ふかがわしゃりょうきち)は、東京都江東区にある、東京地下鉄の車両基地および車両工場の総称である。車両基地の深川検車区(ふかがわけんしゃく、)、車両工場の深川工場(ふかがわこうじょう、)から構成される。東西線の車両が所属している。最寄駅は東陽町駅。なお、2009年(平成21年)度には行徳検車区が組織統合され、同車庫は深川検車区行徳分室となった。本車両基地は越中島貨物駅に隣接し、東京都が所有していた江東区営の野球グラウンドと東京都港湾局が管理する運河の一部を譲り受けた土地である。この場所は運河を埋め立てた場所であり、地盤沈下対策として約1.7mの盛土を行ったが、以後も地盤沈下に悩まされた場所でもある 。本検車区は、当初より将来の輸送力増強を予想して10両編成対応で建設された。東西線の検査業務は、最初の開業時には本格的な車両基地がなく、九段下駅付近に設置した側線を飯田橋検車区と称し、検査業務を行っていた。さらに中野駅延長後は、国鉄の三鷹電車区(現・JR東日本・三鷹車両センター)内に飯田橋検車区三鷹出張所を設置し、列車検査と新車の着検を実施していた。車両数に対して、車両基地の収容数は大幅に不足しており、一部車両は豊田電車区(現・JR東日本豊田車両センター)に留置していたことも記録されている 。東西線車両の定期検査(全般・重要部検査)は1966年(昭和41年)2月より日比谷線の千住工場において実施をしてきた。さらに同車両基地の拡張工事により、1967年(昭和42年)4月より竹ノ塚検車区で検査を実施してきた。これは営団地下鉄では他に検査ができる施設がないためであった。実施に当たっては、中央線と山手線経由(三鷹→新宿経由品川→上野)で常磐線に入り、さらに北千住から東武伊勢崎線を経由して日比谷線へ回送をしていた。なお、深川検車区の発足により、飯田橋検車区は廃止され、深川工場の発足により、国鉄線経由での検査回送は廃止されている。注:当時の法定検査周期は重要部検査が1年6か月または走行距離25万km以内、全般検査は3年以内と、現在よりも大幅に短かった。主な業務は、東西線用車両の月検査と車輪転削、車両清掃である。東西線の全車両が配置されている。その他、6000系の1次・2次試作車は当初は本検車区に配置され、東西線で試験を行った。また、半蔵門線用として新製された8000系も一時的に配置されたことがある。これは当時、05系電車がまだ設計中の段階であり製造に至っていなかったことから半蔵門線延伸用として製造していた3編成が冷房準備車として当基地に配属された。ここで冷房改造を施工し、当の05系が配属されると予定通り半蔵門線へ配属された。主に以下のように使用されている。基地の北西側に事務所がある。基地の北側からはその奥に洗浄線などが見え、その奥に検車庫が見える。基地の西側から中の様子を見るのはやや難しいが、多少高い位置から見れば、検車庫の中に車両が止まっているのを見ることもできる。分かり難い位置にあるが、検車庫よりも奥にも留置線があり、車両留置にも使用される。基地の北側から見て、手前の2線は主として深川工場入場車が留置されている。編成を分割されていることも多い。また、新車導入時にもこの線に止まっていることも多い。洗浄線は車内清掃などの他、単に留置に使用されているだけのことも多い。その手前の線は検車庫出入の入れ換え時に入線して他の留置線へ移動する。配線上、検車区から留置線への移動には2回方向転換が行われている。基地中央部の留置線は、配線の都合もあってか線毎に停止位置が少しずつずれている。乗り入れ車両である東葉高速鉄道2000系も留置される。通常ではJR車が車両基地内に入庫する定期運用はないが、入庫した実績はある。深川工場は1968年(昭和43年)4月に、東西線の工場業務担当職場として建設された。工場設備は、各職場を分散配置から1つの建屋に収めたり、車体職場は横置きから縦置きにするなど、合理的な配置が採られている。1981年(昭和56年)には車体更新修繕場が完成し、5000系車両の更新工事(B修工事やC修工事)の施工や冷房装置取付け工事、同車の東葉高速鉄道1000形への改造実績がある。東西線に所属する車両の重要部検査・全般検査及び改造工事等を行う。また東葉高速鉄道に所属する車両についても、同社からの委託により行われている。沿線道路(工場北側)から見て1番手前の線や手前から2番目の線には編成を組んだ状態又は編成を2分割した車両が留置される。写真奥に見える工場内に列車が入っている時には扉が閉まっている事が多く、入場車両の特定は難しいが、検修庫の先端部まで車両が入線している場合、検修庫の先端部からは工場の窓硝子を通してある程度判別出来る(先端部以外では窓硝子を通して見えない)。この線は構内試運転に用いられる事もある様である。なお、留置線に留置されている入場車両の側窓には赤字で「試運転」とかかれた物が貼られている事があるが、以前は側面表示幕を持つ05系にも貼られる事があった。手前から2番目の線も入場車両の留置に用いられる。尚、東西線車両は編成を2分割しても自走可能である。敷地内の移動は自走による事も多いが、無車籍の牽引車に牽引される事もある(先頭車以外(簡易運転台つき車両含む)を先頭にしての自走は通常行われていない)。公道から離れた奥の方では1両ずつに分割してクレーンで車体を持ち上げなどが行われる。その東側では台車置き場などがある。手前の線から出てきた車両がスイッチバックして奥の方に入って行く事が多い(なお、この入換に使用されるポイントは手動である)。なお、工場東側部分は入口が開いていて、外からでも見える事がある。05系においても、経年10年を迎えた車両よりC修工事を車体更新修繕場にて実施をしている。その後、2006年(平成18年)に施工された05系6次車と7次車(第19 - 24編成)においては、C修と同時に新型の冷房装置への交換が実施された。なお、下記の07系においても冷房装置の交換は実施されている。東西線の07系は有楽町線から転属した車両であるため、改造を受けている。東京都江東区塩浜に位置する(この地域は旧区名から深川と呼ばれる)。検車区の南側には越中島貨物線・小名木川支線などと呼ばれる総武本線の貨物支線の越中島貨物駅があり、かつては連絡線が存在し、5000系と6000系試作車の搬入に使用されたこともある。また、京葉線が新東京トンネルから地上に出て来る所とも至近距離に位置している。この他、付近にはJRバス関東の東京支店がある。東陽町駅からは複線の引き込み線でつながっている。引き込み線は車両基地の手前で地上に出て、道路をオーバークロスして運河を渡り、地平に降りて構内に入る。東西方向に伸びていて、引き込み線は東陽町駅から南へ180°曲がって来るため、本線上とは車両の向きが逆になっている。構内の東側に工場、西側に検車区があり、工場は東陽町駅前交差点を南下した地点にあるが、検車区は木場駅からともほぼ同じ位の距離か、寧ろ同駅からの方が近い。なお、地形がわずかに傾いているため、工場側ではほぼ地面と同じ高さであるが、検車区側ではやや地面より高くなっている。検車区及び工場は、一般公開されたことがある。
出典:wikipedia
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