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浄土真宗東本願寺派

浄土真宗東本願寺派(じょうどしんしゅうひがしほんがんじは)は、浄土真宗の一派である。真宗大谷派から独立した三百数十ヶ寺の末寺・崇敬寺院からなる。本山は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。宗門は法主が統率する。2012年現在の法主は、第二十六世の大谷光見(法名:聞如)。なお、宗教法人法に規定される包括宗教法人ではなく、単立宗教法人の寺院による任意団体であり、宗派と末寺・崇敬寺院の間に法的な包括関係はない。1969年(昭和44年)、京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派内部において、教義上の解釈や宗派の運営方針等をめぐって保革が対立し、紛争に及んだ(お東騒動)。第二十四代法主・大谷光暢(闡如)は改革派の動きに反対し、1978年(昭和53年)、本願寺の法統を守る為として、真宗大谷派との包括関係を解き、京都の東本願寺の独立を進めることを宣言。同時に全国の別院・末寺にも真宗大谷派からの独立を呼びかけた。光暢の長男で真宗大谷派の法嗣(新門)であった大谷光紹(興如)は、これに呼応し、自身が住職を務めていた真宗大谷派東京別院東京本願寺(浅草門跡)の独立を進め、1981年(昭和56年)6月15日に認証された。一方、改革派は、光暢が進めていた東本願寺の独立を阻止し、宗派の憲法である「真宗大谷派宗憲」の改定を進め、1981年(昭和56年)6月11日に新宗憲を公布・施行。これによって、これまで、宗祖親鸞聖人以来の本願寺の法統を伝承する師主(指導者)という位置付けであった「法主」を廃し、権限を有しない宗派統合の象徴という位置付けの「門首」を新たに設け、光暢をスライド就任させた(光暢本人は就任を拒否)。さらに、宗派と本山は不離一体のものであるという「宗本一体」の理念を掲げ、1987年(昭和62年)12月14日、それまで、宗教法人「真宗大谷派」と包括関係にあった宗教法人「本願寺」を閉鎖登記し、宗教法人「真宗大谷派」に吸収合併させた。(それ以降、京都の東本願寺の正式名称は「真宗本廟」となった。)このような一連の動きを受けて、光紹は、1988年(昭和63年)2月29日、真宗大谷派の規則変更により消滅させられた「東本願寺法主」の地位を継承するとして、東本願寺第二十五世法主の継承を宣言。同時に三百数十ヶ寺に及ぶ真宗大谷派からの独立寺院を率いて「浄土真宗東本願寺派」を結成し、「東京本願寺」を本山とした。。これに対して、真宗大谷派は「東本願寺派」および「東本願寺第二十五世法主」の名称の使用禁止の仮処分を東京地裁に申請したが棄却された(昭和63年11月11日決定)。また東京高裁も、この決定を支持し真宗大谷派の抗告を棄却した(平成2年5月11日決定)。その後、1996年(平成8年)には「宗規」と「憲章」を定め、「末寺」制度を設けた。1999年(平成11年)、光紹が遷化(死亡)すると、その長男である大谷光見(聞如)が第二十六世法主を継承し、2001年(平成13年)4月26日には、本山である「東京本願寺」の名称を「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」へと変更。真宗大谷派はこれに対して「東本願寺」名称使用中止を求める申入書を送付(同年5月10日)、また同派東京教区も同様の抗議文を送付した(平成14年12月25日)。※ 浄土真宗東本願寺派の公式サイトの表記には揺れがあり、法主を「○○代」と表記する場合と、「第○○世」と表記する場合がある。本記事では、「開山」である親鸞以外は「第○○世」で表記しました。これ以降、真宗大谷派これ以降、浄土真宗東本願寺派

出典:wikipedia

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