平岡 定太郎(ひらおか さだたろう、文久3年6月4日(1863年7月19日) - 昭和17年(1942年)8月26日)は、日本の内務官僚。樺太庁長官(第3代)。福島県知事(第17代)。正三位勲三等。兵庫県平民。作家三島由紀夫の祖父。農商務官僚平岡梓の父。文久3年6月4日、播磨国印南郡志方村上富木(現在の兵庫県加古川市)に、農業を営む父・太吉と、母・つる(寺岡久平の長女)の間に二男として生まれる。少年の頃は、皇道精神を基調とする鼎(かなえ)塾に学んだ。ここでは忠君愛国の講話が行われた。兄萬次郎はやがて姫路の洋学塾へ進み、定太郎も同じ地の師範伝習所へ入った。伝習所はすぐ神戸へ移り、神戸師範(御影師範学校、現・神戸大学)と改称、入学年齢は「二十一歳以上」とあったが、明敏な定太郎は16歳で許され3年間の寄宿生活を送った。その後上京し、牛乳配達、書道塾の教師などを務め、二松学舎、早稲田専門学校(現・早稲田大学)、共立学校等を経て、大学予備門(現・東京大学教養学部)から、明治22年(1889年)9月、26歳で帝国大学法科大学に入学する。在学中の明治25年(1892年)3月、福原鐐二郎との共著『国際私法』を金港堂から出版する。明治25年(1892年)7月、帝国大学法科大学を卒業し、内務省に入省する。明治26年(1893年)11月27日、永井岩之丞の長女・夏子(なつ)と結婚。翌年の明治27年(1894年)10月12日、長男・梓を儲ける。同年10月、徳島県参事官に就任。明治28年(1895年)5月、栃木県警部長に就任。明治30年(1897年)、衆議院書記官に就任。明治31年(1898年)、衆議院書記官兼内務省参事官に就任。その後、内務省参事官兼内務事務官、高等文官試験官などを歴任する。明治32年(1899年)、広島県内務部長に就任。明治35年(1902年)、宮城県内務部長に就任。明治38年(1905年)、大阪府内務部長に就任。明治39年(1906年)7月、原敬の命で福島県知事に抜擢され就任。知事として、保育所、幼稚園、農学校、商業学校、女子技芸学校にいたる各種教育施設や、公園、鉄道をつくった。明治41年(1908年)6月11日、樺太庁長官に就任。樺太の森林資源開発、パルプ工場建設、鉄道施設・港湾の整備、船舶の航路、炭田の開発などに尽力する。大正2年(1913年)、南満州鉄道会社の総裁候補になり、新聞に名が挙がる。大正3年(1914年)6月、反政友会の農商務大臣・大浦兼武の策謀による公金流用疑惑のため、原敬に樺太庁長官の辞意を伝え、辞表を提出する。大正5年(1916年)5月、定太郎の公金流用疑惑「漁業資金・印紙切手類事件」に無罪の判決が下る。その後、定太郎は南洋精糖株式会社取締役、蓮華鉱山合資会社社長などを歴任後、大正9年(1920年)10月、東京市道路局長に就任するが、同年12月、東京市道路局長を辞任。大正10年(1921年)11月4日、定太郎の後ろ盾であった原敬が暗殺される(原敬暗殺事件)。昭和5年(1930年)8月22日、前樺太庁長官の定太郎を顕彰する銅像が樺太神社に建立され、除幕式が行われる。昭和9年(1934年)5月9日付の新聞に、明治天皇の親筆と偽った書を売り捌く詐欺団首魁として逮捕されていたことが顔写真入りで載るが、2ヶ月後の7月、怪しげな連中にただ担がれただけ、と判断され不起訴となる。昭和14年(1939年)1月18日、妻・なつが潰瘍出血のため死亡し、その半年後、定太郎も軽い脳溢血の発作を起し、杖を離せなくなる。昭和17年(1942年)8月26日、79歳にて死亡。菩提寺は愛宕の青松寺。孫・公威は詩・『挽歌一篇』を作る。樺太庁長官時代に、王子製紙の大泊への誘致に積極的に関わり、樺太の製紙・林業の発展に寄与した。また、漁業改革にも着手し、樺太拓殖の父として、昭和5年(1930年)8月22日、豊原の樺太神社に銅像が建てられた。樺太長官辞任決定した翌々日、大正3年(1914年)6月7日の『樺太日日新聞』には、「(平岡氏は)本島に赴任して以来満六年、樺太庁治の殆んど当初より、今日に至るまで、営々として本島の拓殖に之れ計るの外又他意無く、一意に帝国が北門の鎖鑰を開発するに努めたるを顧ふに於て、吾人は氏の今回の辞任を以て大に追惜の念を禁ずる能はず。平岡氏は世人の熟知する所の如く、人面玲瓏たる人材にして、而も極めて積極主義の人なり。僅少なる財産と、僅少なる国庫補充金と、僅少なる財源の伸張力とを以て、能く樺太に積極的なる拓殖方針を試みたる人也。真価を世間に認められ居らざりし本島を、巧みに中央に紹介して、真の経済的価値を世間に示し、以て有力なる事業家を本島に誘致し、拓殖と産業の隆興とを民間事業界の発達に求め、樺太庁と民間と相俟って、急速なる拓殖の進歩を計らんとする、極めて巧妙なる拓殖方針を定めたる人也」と記され、その在任中の業績を高く評価している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。